友岡さんが次の本を紹介していました。
『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)
出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。
さっそく図書館で借りて読んでみました。
一部、引用します。
■第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
■第1部「福祉との出合い」
□第2部「司法と福祉のはざまで」
□第3部「あるろうあ者の裁判」
□第4部「塀の向こう側」
□第5部「見放された人」
□第6部「更生への道」
□第7部「課題」
□第2章 変わる
□おわりに
第1部「福祉との出合い」
=2011年7月2日~8月2日掲載=
(つづきです)
8)直面
障害者としての自分
5月。古里に戻って早々高村正吉(60)=仮名=が失踪騒動を起こしたことは、更生保護施設「雲仙・虹」にも伝わった。その話は、蔵田昌成(56)=仮名=の心に、小さなさざ波を立てた。
「虹」に入所して半年。連休が明けたら、県北の障害者向けグループホームに移ることが決まっていた。「あの人とは違う。うまくやっていける」。蔵田は、自分に言い聞かせた。
自分は「健常者」だと思って生きてきた。
長崎市で5人兄弟の末っ子として生まれた。幼いころに父を亡くし、母が女手一つで育ててくれた。中学では2年から特殊学級に在籍したが、卒業後すぐに働きに出た。塗装工や土木作業員など職を替えながら、全国を転々。酒と女を覚えたのはそんなころだ。
くすんでいた人生が、華やいだ気がした。少ない給料を前借りしてスナックに通った。気付いたら、無一文になっていた。
「なければ、悪いことをするしかない」。
転げ落ちるのは、早かった。侵入盗や車上荒らしで前科10犯。刑務所暮らしは通算20年に及んだ。
2年前の冬。服役中に脳出血で倒れた。左半身にまひが残った。出所が近づくと刑務官に「雲仙・虹」への入所を勧められた。NPO法人県地域生活定着支援センターの職員が手続きをしてくれた。検査の結果として、知的障害があることも知らされた。
「障害者だったんだ……」と蔵田は驚いた。過去特殊学級に身を置いたのも、「勉強しなかったからだ」と信じ込んでいた。「障害」を初めて意識すると、刑務所を出て生きていくのが怖くなった。
センターの副山明則(56)は面会した日のことを覚えている。蔵田は、知っていた単語を並べ、福祉や社会保障の話をしゃべり続けた。心の動揺を悟られまいと、背伸びをしていたのかもしれない。
「障害者になった自分」と向き合うのは難しい。認めたくないし、他人にも知られたくない。古里から離れた県北のグループホームを選んだのも、今の自分を母に見られたくなかったからだ。
ただ、「虹」に入って、別れを惜しんで泣いてくれる仲間ができた。ホームに移ると、農作業に汗を流して、楽しいと思えるようになった。「1人で生きられないことは、ダメなことじゃない」と、この年になって分かった。蔵田はこの夏、母の顔を見に、古里に帰ろうと決めているのだという。
(つづく)
【解説】
知的・精神障害があるのに、福祉の支援を受けられず、結果的に犯罪を繰り返す人たち……
福祉の網からこぼれ落ちたこうした「障害者」たちの多くは、社会で孤立し、生活に困窮した挙げ句、罪を重ねている。
福祉の網からこぼれ落ちたこうした「障害者」を支えるのは、法律でしょうか。
制度や組織でしょうか。
ボランティア活動でしょうか。
地域の人々でしょうか。
宗教でしょうか。
友岡さんは、どういうアプローチができると考えていたのでしょう。
獅子風蓮