獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

石橋湛山の生涯(その70)

2024-09-26 01:27:17 | 石橋湛山

石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

湛山の人物に迫ってみたいと思います。

そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。

江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)

□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
■第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき


第8章 悲劇の宰相

(つづきです)

石田は精力的に行動を開始した。
「石橋先生、今の自民党は、7個師団・3連隊からなっているんです」
「石田君、面白いことを言うねえ。それは一体どういう根拠なの?」
「派閥です。まだはっきりしないものもありますが、これからの作戦に必要なので一応分類したわけです。まず」
石田は、20人以上の集団を「師団」、それ以下の10人程度のグループを「連隊」と呼んだ。
「旧民主党では、鳩山系の石橋派、河野一郎派、岸信介派、旧改進党系の松村謙三・三木武夫派、旧自由党では、石井光次郎派(旧緒方派)、大野伴睦派、吉田派(池田系・佐藤系に分かれるが)が師団です。旧改進党系の芦田均派、北村徳太郎派、大麻唯男派が連隊ということになります」
石田はさらに続けた。
「先生、私はこの中で4個師団の連合が出来れば、ポスト鳩山は成功という見方をしているんですよ。つまり、この7個師団・3連隊は合従連衡の目安ですよ」
「君は本当に面白い分析をするんだねえ。だが、残念ながら石橋派なんてものはないじゃあないか。……ま、そうした問題はすべて石田君に任せるよ」
湛山は石田の言葉を楽しむように言って、後のことを石田に託した。湛山の言うように確かにこの時点で、石橋派は石田のほか湛山が吉田内閣で蔵相をやった時に秘書官だった島村一郎など数人にすぎなかった。
「しかし先生、きちっとした石橋派を結成させてみせますよ。大丈夫です。それで4個師団を目指します。なあに、総裁公選に持ち込めれば何とかしてみせます。先生は、とにかく長老たちに総裁公選を主張してください。なかには、鳩山さんにポスト鳩山を指名させるような動きも出てくるでしょうから」
石田の頭には、自民党を結成した時に起草した規約の内容があった。それを最大限に利用しようというのである。
それは、参院議員はもちろん、各都道府県2名ずつの地方代議員にも総裁公選の1票を与えることと、第一回目の投票で1位候補が過半数の支持を得られなかった場合の、上位1、2位による決選投票であった。
「勝負師」。それが石田の党内での渾名であった。勝負の目を読む鋭さは党内一であった。その意味では誰もが石田を恐れ、一目置いた。
石田の戦術の組立ては実に緻密であった。頭の中には、この春のあるパーティで会った時に「チャンス到来だな。自重してやれよ」と握手しながら耳元で囁いた池田勇人の言葉があった。その目は鋭くて、いざという時には協力するぞ、と語っていた。その池田の存在も石田には大きなものがあった。

(つづく)


解説

自民党始まって最初の総裁選挙。

「勝負師」石田の活躍がすごいです。


獅子風蓮