獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

石橋湛山の生涯(その68)

2024-09-14 01:02:30 | 石橋湛山

石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

湛山の人物に迫ってみたいと思います。

そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。

江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)

□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
■第7章 政界
□第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき


第7章 政界

(つづきです)

この年は「神武景気」と呼ばれる戦後最初の景気回復の年になった。
明けて昭和31年(1956)1月28日、吉田後継の緒方竹虎が急逝した。
「先生、緒方先生には申し訳ないですが、これで時節到来です」
「石田君、不謹慎なことを言わないでくれ。緒方さんはライバルというよりも、政界では私の先輩であり、敬愛する人物だったのだよ。総理総裁の器でもあった。吉田さんがあんなに政権に執着しなければ、もっと早くその地位に就けたはずなのに」
湛山は、緒方の急逝を惜しんだ。
「しかし、先生。これで旧吉田派には担ぐべき総裁候補がいなくなってしまったんですよ。誰もが、鳩山先生の後は緒方副総裁。そう思い込んでいたではないですか。だからチャンス到来なんです」
「緒方さんの急死は風邪をこじらせたうえに心臓を悪くしたと聞いたが」
「政治家は健康第一ですから。先生も注意してくださいよ」
緒方が亡くなって、派閥こそ違え有力な後継候補として岸信介が浮上してきた。その岸を強力に後押ししていた三木武吉が七月に肝硬変で亡くなった。
その訃報を前に湛山は、遠い日のことを思い出していた。
「あれは、早稲田騒動の時だった。僕は、天野先生を擁していた。三木君は敵対する高田派の急先鋒だった。その三木君と僕が、こうやって手を携えて戦後の政界を生きてきたのは、不思議な何かの縁としか言いようがないな」
三木は、鳩山に最も近い側近であった。この三木の死は、緒方の急逝以上に自民党内に混乱を呼ぶことになった。「ポスト鳩山」が混沌としてきたためである。
湛山には、鳩山内閣でもうひとつ煮え湯を飲まされたことがある。
電源開発公社の総裁人事であった。
三木の死後、河野一郎は今度は岸と組んで内閣の主導権を握った。湛山は、こうした動きに孤立の度を深めた。電源開発公社の総裁人事は通産大臣である湛山の所管であった。
「僕は現在の電力界の実情を客観的に判断してみたんだが、やはり関西電力の堀会長がいいと思うんだ」
そうした湛山の構想に河野と岸は真っ向から反対して、
「藤井副総裁の昇格でいいではないか」
横槍を入れてきた。湛山は、それならばと、「電力の鬼」と異名を取った松永安左ヱ門を指名した。松永は82歳の高齢だったが、まだまだかくしゃくとしていた。
だが、河野と岸はこれにも反対し、とうとう自分たちが推薦する内海清温を総裁の座に据えた。
「先生、我慢しましょう。大事の前の小事と思いましょう」
石田が慰めるように言うと、湛山は、
「分かっている。石田君、僕は決意したよ。この政界というところでは、自分が頂点に立たなければ、本当に国民のためにやりたい政治は出来ないことが、よく分かった」
「よかった。僕はまた、先生が辞表を叩きつけると思っていたものですから……。みんなも心配していました」
「石田君、僕は仏の弟子だよ。日蓮の仏弟子なんだよ」
「先生、日蓮上人という方は激しい精神の持ち主だったそうじゃあありませんか。だから心配していたんですよ」
「確かに。でも石田君、日蓮上人くらい我慢強い方もいなかったんだよ。あらゆる迫害に遭って、それをすべて撥ね除けて生きた人だからね」
「それじゃあ、まるで石橋湛山そのものじゃあありませんか」
「日蓮上人と一緒にするなよ。恐れ多すぎて困ってしまうじゃあないか」
冗談の出るゆとりが湛山に戻ってきたのを見て、石田は安心した。
それと同時に、何としてもこの人を総理総裁にせずにはおかない、岸には絶対に負けないぞ。
そういう信念に近い決意が石田のなかに固まっていた。

 


解説
「石田君、僕は仏の弟子だよ。日蓮の仏弟子なんだよ」
__先生、日蓮上人という方は激しい精神の持ち主だったそうじゃあありませんか。だから心配していたんですよ。
「確かに。でも石田君、日蓮上人くらい我慢強い方もいなかったんだよ。あらゆる迫害に遭って、それをすべて撥ね除けて生きた人だからね」
__それじゃあ、まるで石橋湛山そのものじゃあありませんか。


私も、石橋湛山は日蓮の生き方を体現した人物だと思います。


獅子風蓮