獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

石橋湛山の生涯(その73)

2024-09-29 01:01:40 | 石橋湛山

石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

湛山の人物に迫ってみたいと思います。

そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。

江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)

□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
■第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき


第8章 悲劇の宰相

(つづきです)

「党大会の日程が決まった。12月14日だ」
石田からの報告に、何人かが呼応した。
「ほうっ。討ち入りじゃあないか」
「だが、47士じゃあ選挙には勝てない。その5倍は欲しい」
「それだけあれば大丈夫だ」
「いいかい、以下は俺の読みだ。岸支持は、岸派のほかには河野派、吉田派の佐藤系。これは実の弟だから当たり前だ。それから旧改進党系の大麻派」
「3個師団、1連隊だな」
「だが、 どの師団も規模はでかい」
「で、石井派は?」
「石井派のほかは吉田派の池田系だけだ」
「じゃあ、うちが師団の数は一番多いじゃあないか?」
「ところが、大野伴睦先生のところが分からない」
石田は、嘘をついた。大野派には最後まで中立でいてほしかった。あまり石橋派が多くなると、切り崩される可能性と、岸派が死に物狂いになってくる恐れがあった。それよりは、石橋派はやはり苦しいと思わせたほうが、石田の仕事はやりやすかったのである。
「岸派に優越感を与えておくのが一番だ」
「しかし、岸派有利と見て雪崩現象が起きないか?」
「その心配はよく分かるが、実際に石橋先生は二番手だ。いいかい島村さん、俺の狙いは2、3位連合だ。第一回投票で岸を過半数にさせない。ただし、石橋先生は2位でなければ困る。3位の石井グループを抱き込んで、最後に勝つ。これしか勝利の法則はないんだよ、俺たちには」
石田は、島村たち本当の側近だけになると手の内を曝した。しかし、それでも最後の切り札に抱いている「池田勇人」の札だけは、誰にも見せなかった。
もっとも派閥とはいえ、現在の自民党の派閥ほど拘束力はなかった。この頃の派閥は、いわば「仲よしクラブ」に毛の生えた程度のものであった。
総裁公選の日取りが決まると、石橋派は日比谷の日活国際会館9階に選挙対策本部を構えた。岸派は永田町のグランドホテルに、石井派は赤坂の石井事務所を本部に充てた。
石田は「参院と地方代議員対策」をうるさく言った。
「いいか。党大会直前に上京する地方代議員を上野や東京駅で待ち構えて、そのまま一本釣りするんだぞ。やり方? そのまま用意した旅館かホテルに案内して歓待する。そのまま缶詰にするということだ」
それぞれが手分けしてこうした役目を担った。

(つづく)


解説

「俺の狙いは2、3位連合だ。第一回投票で岸を過半数にさせない。ただし、石橋先生は2位でなければ困る。3位の石井グループを抱き込んで、最後に勝つ。これしか勝利の法則はないんだよ、俺たちには」

勝負師・石田の作戦は成功するでしょうか。

 

獅子風蓮