獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

石橋湛山の生涯(その71)

2024-09-27 01:31:14 | 石橋湛山

石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

湛山の人物に迫ってみたいと思います。

そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。

江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)

□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
■第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき


第8章 悲劇の宰相

(つづきです)

「敵は岸だ。石橋先生が目指すのは2位でいい」
岸の優勢は誰の目にも見えていた。湛山はそんな岸との出会いを回想した。
「私が初めて岸君と話したのは、保守合同の話が出ていた29年の3月だったな。彼は戦前、右翼の学生団体・七生会の指導者だった。もっとも官僚時代の終戦直前に国務相就任を拒んで、東条内閣辞任のきっかけを作った人だがね。A級戦犯でよく起訴を免れたものだ。運がいいんだね。私と保守合同を相談した初対面の頃にはまだ、自由党内では全くの傍流だったんだが、今では立派な総裁候補だもの。実力もさることながら、やっぱり運がいいんだねえ」
岸は湛山よりもひと回り年下であった。
石田の石橋派の結成は着々と進んでいた。
石田、島村のほか、佐藤虎次郎、佐々木秀世、辻政信らが石橋派の中核だったが、夏頃までに、鳩山派内部で河野一郎と反りの合わない大久保留次郎、加藤常太郎、世耕弘一、山本勝市、花村四郎などのグループが参加して20人内外の石橋派が出来上がった。
そんな折り、旧改進党から三木武夫がグループを率いて「石橋さんを応援したい」と申し出た。石田と三木は戦前から交流があった。三木が初めて衆議院に立候補した時には、当時学生だった石田は、三木の応援のために徳島まで行ったほどである。
そのうえ三木が師匠と慕った松村謙三は、湛山より一歳年長だが、早稲田の同窓であった関係から仲はよかった。
「三木君、ありがとう。これでやっと光が見えた。勝てる自信がついたよ」
石田は、三木の友情に感謝した。 三木は、
「友情とこれは別だよ。我々は石橋先生が、今の日本の指導者として最適な人だと判断したんだ。あくまでも冷徹な分析と期待の結果だよ。我々は官僚上がりの政治家が嫌いなんだ。党人による政党政治こそが理想さ」
そう言いながら、石田の手を固く握った。
三木は、松村周太郎、宇田耕一、早川崇、井出一太郎、河本敏夫、赤沢正道、志賀健次郎らを率いていた。他に旧改進党からは、北沢徳太郎派の川崎秀二、桜内義雄、中曽根康弘、園田直、稲葉修、白浜仁吉らが石橋支持を明確にした。
同じ頃、旧自由党系から石井光次郎が出馬の意向を固めたという情報も入ってきた。
「石田君、大野伴睦先生が、君でいく、と言ってきてくれた。ありがたく承っておいたよ。問題は、大野先生は大の三木嫌いなんだ。そのあたりをどうするか……」
「呉越同舟ですね。犬猿の仲、と言ってもいい二人……。気を遣いますが、この二個師団がなければ戦ができませんからねぇ」
石田は、腕組みをして考えをまとめようとした。
「とにかく大野先生には、直前まで誰の支持とも明言しないようにお願いしておきます。そのほうがいいんです。まあ、一個師団は隠し球というわけですよ」

(つづく)


解説

決選投票を勝負の場と考えての多数派工作。

令和の時代の自民党総裁選に通じるものがありますね。

 

 

獅子風蓮