獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

元オウムの上祐が懺悔。

2023-12-09 01:22:49 | 創価学会・公明党

d-マガジンで面白い記事を読みました。

あの上祐史浩氏が、池田氏を殺害しようとしたことを謝罪しているのです。

 


FLASH 12月12日号

上祐史浩氏が懺悔
「暗殺未遂は3回あった」
麻原が指示した「池田大作をサリンで殺せ!」
'95年、地下鉄サリン事件を
「創価学会が散布した」とテレビで爆弾発言した真相も初告白

「オウム真理教は、池田大作氏などを狙ってサリンを散布する計画を立てていました。また私個人も、創価学会に関する虚偽の広報をしたことがあります。一連の出来事をあらためてお詫びしたいと思います」
創価学会の池田大作名誉会長(享年95)の死去を受け、こう懺悔するのは、オウム真理教の外報部長を務め、現在は「ひかりの輪」代表の上祐史浩氏(60)だ。

「麻原(彰晃元死刑囚、教団代表)は、'90年にオウム真理教が真理党を立ち上げたときから、創価学会を敵視していました。『マスメディアを通じて、我々の選挙・政界進出を妨害している』と主張したのです」
そして、麻原元死刑囚の敵意が“殺意”に変わる。 

「'93年8月にサリン合成に成功すると、創価学会施設にラジコンヘリでサリンを散布する計画が立ち上がったようです。しかし、ヘリが操縦ミスで大破したため車両からの攻撃に変更され、さらに2度に わたり創価学会の行事に出席している池田大作氏を襲撃し、暗殺する計画が実行されたといいます」
'93年11月には東京牧口記念会館、12月には創価大学での行事に出席していた池田氏が狙われたが、ともに計画は失敗し、逆にガスマスクをつけていなかった実行犯がサリン中毒になってしまったという。

上祐氏は当時、ロシア支部に出向中だった。これら3件の暗殺未遂事件について知ったのは、元幹部らの裁判が報じられてからのことだった。
「しかし、その時期に麻原と、池田氏襲撃の実行犯だった中川智正、新実智光(ともに元死刑囚)、村井秀夫('95年に刺殺)がロシアに来ました。その際、麻原が『君たちの病いも治るだろう』と言っていたのです。誰も病名を言わないことがきわめて不自然で、あとで、『あれはサリン中毒だったのだ』と気づきました」

そして、'95年3月20日、オウムが地下鉄サリン事件を起こしたあと、ロシアから急遽呼び戻された上祐氏は、教団のスポークスマンとして、連日弁舌を振るうことになる。
「私は、池田氏へのサリン襲撃事件については知らなかったものの、ロシアに赴任する前に教団がサリン製造を計画していたこと自体は知っていました。そのため、私は地下鉄サリン事件に教団が関与したことを感知していました。しかし、麻原は私に『サリンは創価学会が撒いた』とマスコミに発表するように指示したのです。私は『それは説得力がない』と考えて、当初は主張しませんでした」
だが、麻原元死刑囚の考えは変わらなかった。
「4月1日、麻原は私にはっきりと『なんで創価学会の名前を出さないのか』と言いました。口調から怒りは感じず、かえって名前を出すのは当然だという思いが伝わってきました。 そして、そばにいた早川紀代秀(元死刑囚)に対して、『なあ、ティローパ』と宗教名で呼びかけ、早川は『そうですね』と、いささか強い口調で応じたのです」
その翌日以降、上祐氏は報道番組や会見で、「地下鉄サリン事件など、一連の事件には創価学会が関係している」などと主張するようになった。

「生放送中に私が創価学会の名前を出すと、舛添要一氏ら出演者は真っ青になり、スタジオの空気が一変したことを覚えています」
創価学会は抗議文を発表。名誉毀損で告訴するという話も、上祐氏の耳に入ってきた。
「ところが創価学会は、最終的には『誰も信じないから告訴はしない』とコメントしたと記憶しています。それを知った私は安堵するとともに、オウムと同じ土俵に上がらない創価学会の姿勢に、内心感服しました」

麻原元死刑囚にとって、池田名誉会長とはどのような存在だったのか。
「私が今推察するに、池田氏が日本宗教界の最大の存在であり、既存権力の象徴だったからこそ、麻原には『自分が救世主である』という自らの妄想的な野心に対する障害に見えたのではないかと思います」

 


解説
オウムの殺害計画が失敗して、本当に良かったと思います。
この件に関しては、諸天善神が池田氏を守ったのでしょう。

上祐氏は、嘘と知りつつ、「地下鉄サリン事件など、一連の事件には創価学会が関係している」などと主張していたのですね。
今回、池田氏の死去にともない、あらためて懺悔したわけです。

「ところが創価学会は、最終的には『誰も信じないから告訴はしない』とコメントしたと記憶しています。それを知った私は安堵するとともに、オウムと同じ土俵に上がらない創価学会の姿勢に、内心感服しました」

上祐氏にしてみれば、訴えられてもおかしくないのに告訴を免れたのだから、安堵したのも分かります。
しかし、「創価学会の姿勢に、内心感服しました」というのはどうなんでしょう。

創価学会としては、オウム真理教と対立して、相手を刺激するのが恐ろしかっただけではないでしょうか。
池田氏の命を守るため、あえてオウム真理教とは争わない方針を採ったような気がします。
破邪顕正の日蓮の姿勢とは、正反対の、弱腰対応でした。

 


池田大作サリン襲撃未遂事件について、少し調べてみました。

池田大作サリン襲撃未遂事件
池田大作サリン襲撃未遂事件は、1993年(平成5年)11月と12月18日、創価学会名誉会長・池田大作が当時の宗教法人・オウム真理教の幹部に襲撃された暗殺未遂事件。
1995年(平成7年)3月の地下鉄サリン事件発生後に、オウム真理教に対する警察の強制捜査によりオウム真理教の幹部らが逮捕されて発覚した。刑事事件として立件はされなかったが、1994年(平成6年)6月の松本サリン事件に至る前日譚として言及され、オウム真理教の教祖である麻原彰晃が首謀し村井秀夫、遠藤誠一、新実智光、中川智正、滝澤和義らオウム真理教の幹部により実行されたことが、一連のオウム真理教事件に関する刑事裁判で明らかとなった。

事件の概要:
オウム真理教の教祖である麻原彰晃は、同じ新宗教である創価学会を敵視していた。やがて「サンデー毎日から始まったオウムバッシングは、聖教新聞を印刷している毎日新聞社グループと創価学会が結託して行っている」などと主張し始め、『池田大作は日本を侵略するフリーメーソンの手先であり「仏法」を曲げているまむしの一族』、『多くの人をだまして来世悪趣に転生させてしまうのでこれを防がなければならない』、『オウム真理教の信者数を創価学会並みに増やしたいが、それに至らないのは池田大作(名誉会長)が政治家の小沢一郎を使って国家権力を動かし妨害しているからだと考えて』、『ポア(殺害)しなければならない』と敵対心を露わにしていった。
1993年8月にはオウム真理教幹部の土谷正実が猛毒のサリン合成に成功しており、麻原彰晃はサリンの最初のターゲットとして池田大作(名誉会長)の襲撃を計画し、「サリンをまいてみろ」と指示。村井秀夫らが行動に移した。当初はラジコンヘリによる航空散布が検討されたが、ラジコンヘリが操縦ミスで大破したため、車両(自動車)による攻撃に変更した。

事件の経緯:
(省略)

創価学会側の対応:
数名の牙城会員が被害を負ってはいたが、創価学会側はこの事件を表沙汰にすることはなく、犯行の事実は1995年に林郁夫(医師)の逮捕後の警察の取調べの自供で明らかにされるまで、公にされることはなかった。
しかし、池田大作の行動予定の漏洩、流出という事態を重く見た創価学会は事件以降、池田大作の行動予定の情報管理を厳しくするとともに、創価学会本部職員の中からボディガード(身辺警護)担当者を選抜した「第一警備」を発足させて池田大作の身辺警護(ボディーガード)に当たらせるとともに、学会員による金城会、牙城会、創価班などに、各地域にある創価学会の会館警備を強化させている。
(Wikipediaより)

数名の牙城会員が被害を負っていたのにもかかわらず、創価学会側はこの事件を警察に通報しなかったのですね。
それは、正しい行動だったのでしょうか。

池田名誉会長サリン事件を警視庁に通報していれば、後の松本サリン事件、地下鉄サリン事件は防げたのではないかという指摘が、ネットで見られます。

yamanoyokohama2050のblog(2020年02月26日)

オウムと同じ土俵に乗らなかったおかげで、難には会わなかった。
それはそれで良かったのかもしれませんが、そのことで後の松本サリン事件、地下鉄サリン事件を防げたかもしれない可能性がなくなってしまったとも言えます。

充分な検証をするべきでしょう。

 

獅子風蓮