獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優の研究方法とその胡散臭さ(その1)

2023-12-15 01:47:17 | 佐藤優

前回までに紹介したように、池田氏の死去に伴う各誌の記事を読むと、論者の意見はおおむね、池田氏の死去によって創価学会の組織は弱体化し、公明党の存在も危うくなるだろうということで一致しています。
ただ、一人の例外を除いて。
それは、これまで創価学会寄りの評論を多数にわたって執筆し、『池田大作研究』(朝日新聞出版)という本まで書いた佐藤優氏です。

なぜ佐藤氏は、創価学会側の発表を鵜呑みにしたような稚拙な論を、恥ずかしげもなく発表できるのでしょうか。

佐藤氏の研究方法をさぐるには、『池田大作研究』を読んでみるのがいいでしょう。
私は、アエラに連載されていた記事をコピーして手元においてあります。
いつか本格的に佐藤氏のことを批判的に論評してみたいとおもっているのですが、なかなか時間がとれず、資料はしまい込んでいました。

今回、この資料を引っ張り出して、第1回の分を読み込んでみました。


池田大作研究
世界宗教への道を追う 第1回
AERA 2019年12月30日-2020年1月6日号

創価学会の内在的論理
捉えることから始めたい
池田大作。その名は著名ながら、実像を知る人は少ない。
急激に世界宗教化を進める創価学会。
その巨大組織のトップに立つ人物の深部に迫る。

作家・元外務省主任分析官
佐藤 優

創価学会名誉会長で、創価学会インタナショナル(SGI)会長である池田大作(1928年1月2日生まれ、91歳)について知ることが、現下の日本と世界を理解する上できわめて重要だ。日本における創価学会は会員世帯数827万(公称)の巨大組織だ。
SGIとは見慣れない略称と思うが、創価学会は現在、世界宗教に発展しつつある。この先の連載で詳しく説明するが、SGIとは創価学会の国際的なネットワークと考えておいてほしい。現在、192カ国・地域に組織されている。日本発の世界宗教が形成されつつあることを伝えることも連載の目的なので副題を「世界宗教への道を追う」とした。
この連載で筆者は独自の方法を取ることにした。これは筆者の過去と深く関係している。具体的には、神学とインテリジェンス分析の方法を取る。この点について、少し長くなるが説明することをお許し願いたい。
筆者は同志社大学神学部と同大学院神学研究科で組織神学を研究した。組織神学という言葉は、一般に知られていないが、大雑把に言えばキリスト教の理論のことだ。ちなみにキリスト教でもカトリックとプロテスタントでは、教義も教会組織の形態もかなり異なる。同志社はプロテスタントに属する。従って、筆者の用いる方法はプロテスタント神学のものだ。
組織神学にエキュメニカル神学という分野がある。
エキュメニカルとは「人が住む世界の」という意味だ。キリスト教はイエス・キリストを救済主と信じる宗教だ。イエス・キリストに従うという原理原則に従って、教会は本来一つであるべきだ。しかし、実際にはたくさんの教会が分立し、対立している。それをイエス・キリストの教えに基づき、再統一していこうというのがエキュメニズム(教会再一致運動)だ。


第三代会長によって
この宗教は完成した

このエキュメニズムを理論的に支えるのがエキュメニカル神学である。それぞれの教会には独自の教義や伝統がある。再一致の前提として、互いの立場を知る必要がある。そのためには自分が所属する教会の立場をいったん、括弧に入れて、対話相手の内在的論理をつかむことが不可欠になる。
当初、キリスト教会の再一致を求めることだけがエキュメニカル運動の目的だったが、時代の流れとともにそれが徐々に変化していった。人間が住む世界にいるのはキリスト教徒だけではない。ユダヤ教、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教、神道など、さまざまな宗教を信じる人々がいる。また、神を否定する無神論者、また自分は宗教を一切信じていないと主張す 無宗教者もいる。これらの人々もエキュメニズムの対象とすべきとプロテスタント神学者は考えるようになった。
繰り返すが、その際重要なのは、対象の内在的論理をつかむことである。創価学会に関しても、その内在的論理をつかむことが最優先されると筆者は考える。池田大作の人と思想を知らずに創価学会を理解することはできない。
創価学会の基本原則を定めた会憲(2017年11月18日施行)という文書がある。創価学会の憲法に相当する規定と考えればよい。会憲第3条に以下の規定がある。

〈第3条 初代会長牧口常三郎先生、第二代会長戸田城聖先生、第三代会長池田大作先生の「三代会長」は、広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の広宣流布の永遠の師匠である。
2.「三代会長」の敬称は、「先生」とする〉

広宣流布とは、キリスト教の用語で は、伝道や宣教に相当する。死身弘法 とは身を賭して仏法を広めるという意 味だ。牧口常三郎初代会長、戸田城聖 第二代会長、池田大作第三代会長で、宗教としての創価学会は完成しているということだ。
ちなみにキリスト教も救済主であるイエス・キリストがこの世界に登場し、十字架上で死んで、復活したことによって完成している。イスラム教も最後の預言者ムハンマドが出現したことで完成している。創価学会が世界宗教として発展していく前提となるのが、池田によってこの宗教が完成しているという基本認識だ。
「ポスト池田時代」についてさまざまな予測を述べる論者がいるが、そのような論者の基本的枠組みが創価学会の内在的論理と一致しない。
キリスト教において「ポスト・キリスト時代」なるものは存在しない。例えば、イエス・キリスト以外の新たな救済主が存在するというようなことを主張する宗教は、キリスト教を自称しても、キリスト教ではない。イエス・キリストが唯一の救い主であるということはキリスト教の公理系で、これを逸脱した言説はもはやキリスト教と認められないからだ。
同様に「ポスト池田時代」という言説自体が、創価学会の公理系を逸脱しているのである。
牧口、戸田、池田には多数の著作がある。これらの著作を解釈する場合に重要なのが、逆時系列で読むことだ。この場合もキリスト教の聖書の読み方が重要になる。キリスト教には旧約聖書と新約聖書という二つの正典がある。それを解釈する場合、時系列順に旧約聖書から新約聖書という読み方をすると、迷路に入ってしまう。
例えば、旧約聖書では〈そこでサムソンは、「わたしの命はペリシテ人と共に絶えればよい」と言って、力を込めて押した。建物は領主たちだけでなく、そこにいたすべての民の上に崩れ落ちた。彼がその死をもって殺した者は、生きている間に殺した者より多かった〉(「士師記」16章30節)といった大量殺戮を肯定的に評価している記述が少なからずある。また、一夫多妻制が前提とされている。神の愛よりも怒りの方が旧約聖書では強く打ち出されている。これら旧約聖書の記述を正しく解釈するためには、新約聖書の視座から解釈することが必要だ。


公式サイトや機関紙
公開情報をソースに

創価学会の場合も、池田の視座から戸田、牧口の著作を解釈することが死活的に重要になると筆者は考える。具体的には、今後の連載で政教分離問題について考察する際に論じることにする。
神学的方法とともにインテリジェンスの技法もこの連載で活用したい。
インテリジェンスに「オシント(OSINT)」という分野がある。「公開情報諜報(Open Source Intelligence)」の略語だ。公刊された新聞、書籍、政府の公文書、インターネット空間の情報によって情勢を分析する技法だ。筆者は外交官時代、インテリジェンス業務に従事した。筆者が得意としたのは「ヒュミント(HUMINT、Human Intelligence)」、すなわち人間関係を用いて秘密情報を得ることだった。
イスラエルやロシアのインテリジェンス専門家は、軍事情報以外の政治情報、経済情報ならば、オシントによって、秘密情報の95~98%を得ることができると言っていた。筆者の経験からしてもそれは正しい。ただし、オシントに従事する人が秘密情報を扱った経験がないと、情報とノイズ(雑音)の仕分けがうまくできない。
オシントにおいて中心となるのは政府や議会などの国家機関が公表する情報だ。国家が真実をすべて開示することはないが、公式の場で積極的な虚偽情報を流すことはほとんどない。そのようなことをして、露見した場合、当該国家が失うものが大きすぎるからだ。

池田に関しては全150巻の全集が完結している。この全集の中に創価学会の「精神の正史」である小説『人間革命』(全12巻)が収録されている。また、全集には収録されていない小説『新・人間革命』(全30巻)も18年に完結した。これら池田の著作を基本に創価学会の公式ウェブサイトや創価学会機関紙の「聖教新聞」などの公式文書を基本ソースとして筆者は記述を進めることにする。真偽が不確かな伝聞情報よりも公式文書を分析する方が、調査対象の内在的論理をつかむのに適切であると外務省主任分析官をつとめていたときの経験から筆者は確信している。キリスト教神学には、キリスト論的集中という概念がある。イエス・キリストの行為と言動を読み解けば、世界で起きるすべての事柄がわかるという考え方だ。
それになぞらえれば、創価学会には「三代会長論的集中」がある。「三代会長論的集中」というのは筆者の造語であるが、この構造を会憲前文から読み解くことができる。少し長くなるが、創価学会の内在的論理が端的に記されているので、関連部分を引用しつつ解説する。

〈釈尊に始まる仏教は、大乗仏教の真髄である法華経において、一切衆生を救う教えとして示された。末法の御本仏日蓮大聖人は、法華経の肝心であり、根本の法である南無妙法蓮華経を三大秘法として具現し、未来永遠にわたる人類救済の法を確立するとともに、世界広宣流布を御遺命された〉


(つづく)


解説
牧口、戸田、池田には多数の著作がある。これらの著作を解釈する場合に重要なのが、逆時系列で読むことだ。この場合もキリスト教の聖書の読み方が重要になる。キリスト教には旧約聖書と新約聖書という二つの正典がある。それを解釈する場合、時系列順に旧約聖書から新約聖書という読み方をすると、迷路に入ってしまう。

組織の本質を理解するには、やはり時系列で解釈する方が正しいでしょう。
そうでないと、現状を肯定するばかりで、現実の問題点を指摘したり、反省することができなくなります。
「逆時系列で読むこと」が重要だという佐藤氏の意見は、現状の創価学会を擁護するためには強力な武器になるでしょうが、そもそもそれは、誤った方法論だと言わざるをえません。

 

創価学会の場合も、池田の視座から戸田、牧口の著作を解釈することが死活的に重要になると筆者は考える。

池田氏の行動をまず肯定してから、戸田氏や牧口先生の著作を解釈するなど、本末転倒もいいところでしょう。弟子が師匠の教えを守らなくても、まったくお咎めなしでいいんでしょうか。

 

インテリジェンスに「オシント」という分野がある。「公開情報諜報」の略語だ。公刊された新聞、書籍、政府の公文書、インターネット空間の情報によって情勢を分析する技法だ。筆者は外交官時代、インテリジェンス業務に従事した。筆者が得意としたのは「ヒュミント」、すなわち人間関係を用いて秘密情報を得ることだった。


こう語る佐藤氏は、なぜか生前の池田氏に一度も会うこともなく、創価学会側の公式見解だけをもとに、その「内在的論理」なるものを分析して見つけだろうとしている。
そうじゃないでしょう。
創価学会や池田氏の本当の姿をつきとめようとするなら、創価学会側の公式見解をもとにしても、それ以外の情報や、批判者の意見も幅広く集め、実際に佐藤氏が得意とした「ヒュミント」すなわち人間関係をも駆使してその実像に迫るべきではないでしょうか。

 

獅子風蓮