獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ラストステージ:そしてブログ休止へ  その7

2021-08-11 10:01:00 | 対話ブログ

●どん兵衛(2021年2月6日 18:26)
〉これからは、徹底して「非常識と思われるコメントははじめから承認しない」というスタンスでやりたいと思っています。

〉次回、このブログのスタンスや方針やルールについてはもっと熟慮を重ねて、実際に再開するときに明記するようにしたいと思います。

シニフィエさんのコメントに賛成です。シニフィエさんのブログなのですからシニフィエさんの考えたマイルールで良いです。

常識を守りルールにも賛同できる人たちが参加する場、創価で悩む又悩んできた人どうし安心してコメントや閲覧ができる場であって欲しいと思います。


●signifie(2021年2月6日 19:35)
菜子さん、ラカンさん、odabuzさん、トニーさん、どん兵衛さん、ありがとうございます。

考えたら、私は自分でも気づかないうちに「管理者は誰にとってもいい人でいなければいけない」と思い込んでしまって、そのことで勝手に無理をしていたような気がします。昔は、けっこう毒づいていた気がします。創価に対しても、それから創価脳さんに対しても、結構ストレートにボロクソ言っていたと思います。このブログで唯一きちんと話ができた白いブランコさんに対しても、かなりきつい言葉を使って煽るような物言いをしてきたことを、後になって「きつすぎたなあ、今ならあんな風には言わなかっただろうし、もっと分かり合えた気がするなあ」と思うようになりました。そんなこともあり、さらに突然アカウントを凍結されたりしたこともあり、創価じゃないですがソフト路線に変更していました(笑)。そして「創価は詐欺」「悪いのは創価であって学会員は騙された被害者」「創価脳も騙されているからこそ暴言暴挙を平気で行う」「そんな創価脳も自分で考えることができれば創価が詐欺だということに気づくはず」「このブログに寄せられる創価経験者の声を知ることによって、創価脳が自分で考えるきっかけになれば、創価に騙される学会員は減るはず」「そして実際にその通りなっている」というスタンスは明確にしてきました。
しかしそうやってみなさんの声が集まる場を作っている管理者の私がおかしなやつであったり、偏った言動をしたりすれば、集まってくる話の信憑性もなくなってしまうのではないかとも思うようになって、しなくていい無理までやってしまうようになったのではないかと思います。いつ間にか、理想的なブログの管理者を演じなければいけないといったプレッシャーを自分に課してしまったのだと思います。だから当然あるであろう理不尽なコメントや、他の方がかえって希望を失うような事態になるようなコメントが来た時に、「こんなにまでやってるのに」という思いの中で爆発して、みなさんが引いてしまうような行きすぎた対応になってしまったのだと思います。これも反省点の一つです。
ではどうしたらいいのかと考えると「とにかく無理はしない」「いい子にならなくていい」「全ての人に満足できる対応ができないのは当たり前」「できないのは当たり前ということをわかってもらう」ということを忘れないようにしたいと思いました。どういう言い方をしても、ある程度おかしな取り方をされるのは仕方がないと思うようにしました。いちいち全てに一喜一憂していたらネットの世界ではメンタルが保たないとも思います。「嫌なら見なければいい」「人それぞれ」「私はあなたに何かしましたか?」といった開き直りは好みませんが、ある程度の割り切りは必要ではないかと思っています。
実際におかしなコメントは昔は多かったですが、ここ数年は数千のコメントに一つといった感じです。そのためにそれ以外のみなさんからのコメントを無駄にすることはないと、そういう割り切りで、おかしな態度のコメントはスパッと切り捨てて行くべきだと思った次第です。