甲州ではイワヒバ(方言イワマツ)が藁葺屋根の棟に列植せられてある。東北地方では同じく藁葺の家根草にまじって往々オニユリの花が棟高く赤く咲いていて、すこぶる鄙びた風趣を呈している。
――牧野富太郎「植物一日一題」
ある右派の本を読んでいて思ったのは、右派は感情の問題を大事にしなきゃいけないはずなのにそうでもなく、むしろ論理的能力とか言うているというフシギである。いつのまにか、左派の方が「怒っているから怒っていい」みたいな芸風になってしまった。きのう、わたくしはマッチョマンが好きとか言ってたが、精神まで筋肉質になってしまえば、右派はむしろ論理でせめようとするであろう。だいたい、その左派の感情とやらが、――これが右派も気付いているがどこかしら自分がかわいいと思っているやつの感情なのである。テレビタレント出身者はだめだな。。。
先日、映画「バトルロワイヤル」、その二本ともみた。なるほどこれが当時問題になってた映画だったか。最初の奴が、日本の中で殺し合いをやるという我々の本質に迫ったものであったのに、Ⅱの方は、大人憎し友情すばらし、――これで逝くとおもったら最後、国際根拠地論みたいなおちがついていて、むしろこれが問題だろう。いまの左派は日本赤軍を笑えないのだ。むしろ何もやらなかったぶんだけかわいいほどに空想的な国際?根拠地論もどきになっている。
――とにかく、東京都知事選は重大だから香川県民にも投票させろと。断然空海に投票するしかない。しかし空海もいまいちなところはある。空海のだめなところは、池をたくさん掘って海紛いをつくったのに、空を制御できないところで、いまも香川は酷暑で人民は苦しんでおるぞ。
今日も36度であった。
気候変動に欺されてはならぬ。パソコンやらインターネットで世界が加速しているとおもいきや、実際は手書きと口頭での連絡の方がはやかったりするのと同じで、じつは世の中加速的に遅くなっている。研究もそうだし。ついにファシズムへの顛落の過程とやらをゆっくりつぶさに見学できる秋が来た。変化の激しい現代社会というのも嘘だったな。我々は、ベルグソンや西田が目を凝らしていた過去と未来が混淆して歪んだ自己像をついにみるかもしれない。今度は、小林秀雄が見たという母親蛍みたいなものではすまない。幽霊は出ない。自分もどきだけがでる。