
本書は全譯と銘うち、また事實上全部を譯了したのであるが、原書二五八頁より二六一頁までと、三〇三頁より三〇五頁に亙る箇所は、國情の相違から私自身としても到底紹介し得ないものであり、かつ本邦とは全然無關係、また参考にもなり得ないものであるので削除した。
第二に原著三一七頁より三二八頁までに至る箇所の一部は、大東亜戦下にあってある敵性國家がヒトラーの真意を曲解し逆用して、日獨離間策の宣傳文書として公布したところを含んでゐる。敵の逆宣伝に用ひたところを此処に出して敵性國家をしてまたまた利用せしめることは、私としてやはり出来なかった。同所はヒトラーが獨逸國民を奮起さす目的で、いは「テクニク」として書いた論旨であるが、如上の理由から――また前後の關係上少しく大きく――削除した。
此の點讀者の御を乞ふ次第である。
本書が「吾が闘争」の註釈書であり、研究書であるならば、或ひは充分意をして説明し、誤解を避けつゞ註釈も出来るのであるが、単なる譯書としての性質に鑑み、また研究書は他にも存在する點を考慮して、譯書としての譯出は差控へた次第である。
――眞鍋良一「訳者序」
眞鍋氏は、戦後、眞鍋のドイツ語、みたいなかんじで活躍した人であった。戦前の履歴もすごく、大学のドイツ語教師、ドイツ大使館書記官や上海総領事館情報部附などをやったり、ハウプトマンやトーマス・マンと交友があったり、ヒトラーユーゲントの通訳などをしている。で、ついに「吾が闘争」の全訳である。戦後の真鍋氏の回想を読むと、――当時、アーリア人の優位性を説いた部分が、大和民族のあれとあれするからと一部の軍人がかちんときて、これでは発禁処分の恐れありということで、その箇所だけ削ったらしい。いつも我々の同盟国というのは我々を馬鹿にしているから、内部のマルクス主義者と同盟国のファシストの両方を禁じるという忙しさが当時の御役人に必要であった。そして、我が国では、禁止される側も、上のように、原著の頁まで示してそのことはちゃんと仄めかすことぐらいは許されている。わたくしがファシスト国家の管理部門を担当したならば、このような不穏分子を決して許さぬ。
「吾が闘争」を読むと、主体は空虚であり、私なんかないから、とかいうて、――深く人間を考察している心優しい人たちの盲点が突かれているとわかる。つまり、ヒトラーの主体は空虚ではなく、「おれは腕白小僧だった」、「父親は働いて死んで先祖の元へ帰っていった」、このぐらいで人間は元気になれるということを示しているのみならず、「卑怯な平和」より「闘え」ばいいじゃないか、というある種の生活倫理としては正しいことも言っている。我々は確かに、争うことでしか成長せず、その後も争うレベルに堕落することをやめない。平和な修正主義はだいたい後半の過程を無視して、その過程そのものとなる。安吾の堕落は、堕落と争いの関係についてやや不明瞭だと思うが、それは反ヒトラー的であるという意味で意図的だと思う。同質的集団は堕落するのが必然なので、われわれは異物をつくりだす。ヒトラーは、異物をユダヤ人に押しつけ、安吾は自分(あるいは個人)を異物にしているだけなのだ。
そもそも我々は外国語を異物とみなしながら発展してきた忸怩たる歴史をもっているからなのか、最近は、異物を異物とせずしらないうちに自分が異物であるかのようなふりをするという、平安朝の漢文で日記をつける役人みたいな作法を、庶民がやるようになっている。コスパとかちゃんと日本語に訳すべきなのだ。わたくしなら、「狡(コス)いパッとせん人々のやり方」とでも訳す。コスパ野郎のイメージといえば、神社で降ってくる餅に群がるあの方々である。イメージは本質を描き出すためにこそ大事にすべきである。かつて爆笑問題が暴走族を「おならぷうぷう族」と訳したように。飜訳というのは、こういう本質へのプロセスである。
そういえば、マルクス主義なんかは仏教に飜訳されようともされた独逸観念論よりも異物だったのか、上のプロセスに長い時間を要した。その意味でキリスト教並みではあった。その過程で、堪えられず、出現したのは、転向文学の人たちと、――少し若い連中では日本浪曼派がそうであった。はじめから非転向でいられるところでやるというのもコスパ野郎の特徴であって、最後の人たちは饒舌でわかりにくいから一見そうは見えないが、それなのである。だから、彼らの活動の本番は戦後であって、かれらが回避した異物への抵抗は戦争が終わって、はじまった。転向以前に転向したからといっていつまでも安定した地点にはいられない。きのう授業で日本浪曼派について語ってたら改めて気付いたんだが、彼らが古典文学を重視した文学史的思考をするのはある意味当然で、そもそもが文学史的に悩まないですむポジションのつもりだったからである。むろん、彼らが自身を保守本流だとはおもってはいない。むしろ、疎外された系譜に位置づけた。