
ストーブの暖い、上の水皿から湯気のぼうぼう立つまわりに、大勢成人や自分くらいの人々がい、独りぼっちで入って来た自分を驚いたように見る。――自分が試験されるのだから、母などは、ついて来るものとも思っていなかったのである。が、この光景を見ると、自分は急に心淋しくなった。そして一そう成人ぶった顔もし、眼の端から泣いて何か母親に訴えている娘や、心配そうに本を出して見ているリボンの後姿を眺めた。――
第一日の試験に出来たつもりの算術が大抵ちがっていたのを知って、自分はどんなに涙をこぼしただろう。また、到底駄目に定ったと思って銀座へ遊びに行き、帰って玄関の暗い灯で、手に持った葉書を何心なく見、それが入学許可の通知であると知ったとき、歓びは、何に例えたらいい程であったろう。
十三の少女の心に、それほど鋭い悲しみや歓びを感じさせながら、受け入れた学校は、それから十九まで私に、どんな感化を与えたか、自分を中心にし、主観で見れば、そこには限りない追憶と、いろいろさまざまな我が姿がある。けれども、人生を深く広く客観すると、一生の最も基礎となる五年を、夢とほか過せなかったのか、という疑問が起って来る。
――宮本百合子「入学試験前後」
とつぜん大学の頃を思い出したりもするのだが、――1年生のある授業で「自治会で徹底したディベートの練習をした方がいい」とか主張したのが一生の恥だほんと生まれてスミマせんとしかいいようがない。それでも、これは日中思い出すだけだから大したことはなく、御飯をたべればなんとかなる類いである。
しかし、夢に何回も出てくる試験最中というのがあり、「いままでの人生は夢でした」という趣向の夢はそうはいかない。大学の先生たちは、案外こういうのをみる。宮本百合子の場合はどっちだったのであろう?私も「博士課程から現在はまでは夢でした。いまは修士論文提出の前日です」に加えて「大学入試以降は夢です。明日はセンター試験です」とかいう夢を現在でもときどきみる。もはや現実感という意味では、起きているときよりもリアルなので、いまの現実のほうを疑っているくらいだ。で、その試験が終わってからも「2次試験の数学で1問もわからないけど、そういえば、センター試験でもほとんど解けなかったのでは?そういえば英語もほとんどがあやしいぞ」みたいな0点に向かって突進して行く趣向が続いて行く。――そういえば、こういうのを起きている今記述できると言うことは、その実、それが夢の記憶が白昼夢と化しているといってよく、その0点状態への恐怖で、私は、仕事や研究にひとより五分ぐらいははやく着手してると思う。はやく取りかからないとまったく脳が空白であるような気がしているのだ。
わたくしが思うに、この悪夢を白痴夢と化す受験システムが、文化資本的なものを迫害しているのである。

わたくしの文化資本は、初等教育の教師の家に生まれたことによって得られた部分がある。上のレコードなんかがそうであろう。そこにある文字や画像を含め、音声も記憶にはっきり残っている。東京こどもクラブのレコードに混じって授業用の見本ソノシートのレコードがあった。体育用とかもあった気がする。――こういうものは、試験にでなかった。東京の私大につとめている同業者は、いまどき金持ちの古風な「文化資本」なんかもう存在してませんわと言っていた。しかしまあ、アカデミシャンが文化資本とか言い始めたときに、その人も品のいいディレッタントではなくなっている。