★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

鹿と皇族

2021-10-26 23:48:38 | 文学


夜を残す寝覚めに聞くぞあはれなる 夢野の鹿もかくや鳴きけん

夢野の鹿は、摂津風土記逸文などにある説話で、淡路島に妾をもった牡鹿がある日、背中に雪が降る、薄が生える夢を見たという。本妻の牝鹿が、それは猟師に撃たれて塩を塗られる前兆だと言った。それでも妾の元に通おうとして、不思議にも、本当に猟師に撃たれたのであった。その撃たれたところを夢野と言うようになったのである。

その浮気鹿の鳴き声というのは、どの時点での鳴き声であろう。夜中に鹿の声で起きてしまう西行は、さては浮気した夢でも見ていたのであろうか?

昔は、鹿ですら浮気していたのであった。とにかく惚れやすいことがらが文学の中心に居座っていた。しかしまあ、人間の恋は案外長く続くのが特徴ではないかと思う。浮気でも何でも長引くのである。研究と似ている。

世の中は、皇族の結婚騒ぎで盛りあがっているようであるが、天皇制を民主主義に組み込もうとしてシンボル化したつけがまわってきたに過ぎず、これも憲法意志が背後にない憲法問題なのだ。でも、とりあえず断固決然、崇徳院どのに免じてその一族の恋する輩は支持することにしたい。

瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ

柳田國男を引くまでもなく、日本の家制度は一種の〈親〉制度であった。親が自分と子に対する広い意味での庇護のためなら、子どもの気持ちも無視して何でもしかねないところがある。過去の日本人は家のために自由がなかったなどと教育されている若者達も、自分の結婚の話が湧いてきたらよく分かると思う。で、子どもは子どもでそれを何か封建的遺制のように感じて反発するが、〈親〉となった場合自分の子どもに対してはおなじことをしかねないのだ。親も子どもも、自分や他人に対して「ほっとけ」という態度に出られない、そういう抽象的な心理的カラクリが日本の〈親子〉である。近代文学を読んでいると、ある意味で、そういう抽象性の暴力に耐える契機は、作家に多くいた養子経験にこそあったような気がしてくる。無論、彼らは最大の被害者になることもあるのだが、近代的な自我というのは、親に対する(養子にあったような)自動的でアナーキーな切断を感じているようでないと生じないのではなかろうか。

以前、明治天皇の和歌を調べたことがあるが、天皇からある種の感情の主体を奪った近代日本の罪は重い。子どもたる臣民もつられて感情を失った部分もあるかもしれない。社会的に広がった比喩的な親制度は、現実の親に対する感情さえ奪いかねない。明治より今の我々が自我を奪われている理由は簡単で、親が天皇から米帝に変わったからである。もはや天皇よりも人間じゃねえものが親になってしまっていて、反抗しようにも切断しようにも絶望的なのである。

百円の金は聞いた事がある。が見たのはこれが始めてである。使うのはもちろんの事始めてである。かねてから自分を代表するほどの作物を何か書いて見たいと思うていた。生活難の合間合間に一頁二頁と筆を執った事はあるが、興が催すと、すぐやめねばならぬほど、饑は寒は容赦なくわれを追うてくる。この容子では当分仕事らしい仕事は出来そうもない。ただ地理学教授法を訳して露命を繋いでいるようでは馬車馬が秣を食って終日馳けあるくと変りはなさそうだ。おれにはおれがある。このおれを出さないでぶらぶらと死んでしまうのはもったいない。のみならず親の手前世間の手前面目ない。人から土偶のようにうとまれるのも、このおれを出す機会がなくて、鈍根にさえ立派に出来る翻訳の下働きなどで日を暮らしているからである。どうしても無念だ。石に噛みついてもと思う矢先に道也の演説を聞いて床についた。医者は大胆にも結核の初期だと云う。いよいよ結核なら、とても助からない。命のあるうちにとまた旧稿に向って見たが、綯る縄は遅く、逃げる泥棒は早い。何一つ見やげも置かないで、消えて行くかと思うと、熱さえ余計に出る。これ一つ纏めれば死んでも言訳は立つ。

――漱石「野分」


久しぶりに漱石なんかを読んでみると、「おれにはおれが」と、「浮雲」の堂々巡りとは違ったいらいらの時間をきちんと書いていることが分かった。「親」から離れるには孤独な時間も必要で、今日結婚した元皇族の夫婦もそういう時間はいずれにせよ必要だったのかも知れない。確かに、海を越えることで、皇族という親から離脱するやり方がある。今回の場合は超えた先が米帝だったから、我々もその元皇族もまだ何かそれが親離れのイメージを強烈に持たずにすんでいるのだが、これがロシアとか中国である可能性がこれから出てくるだろう。