★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

「太刀とくよ」とあれば

2020-06-12 23:47:06 | 文学


あくれば二月にもなりぬめり。雨いとのどかにふるなり。格子などあげつれど、例のやうに心あわただしからぬは、雨のするなめり。されどとまるかたは思ひかけられず。と許ありて、「男どもはまゐりにたりや」などいひて、起きいでて、なよよかならぬ直衣、しほれよいほどなるかいねりの袿ひとかさねたれながら、帯ゆるるかにてあゆみいづるに、人々「御かゆ」などけしきばむめれば、「例くはぬものなれば、なにかはなにに」と心よげにうちいひて、「太刀とくよ」とあれば、大夫とりて簀子にかたひざつきてゐたり。のどかにあゆみいでて見まはして、「前栽をらうがはしく焼きためるかな」などあり。


谷川俊太郎の詩でかっこ悪かったベートーベンについてのものがあって、最後が「かっこよすぎるカラヤン」で落ちている。ここのボンクラは「かっこよすぎる兼家」であって、いまや出世山道の頂きに至ろうとするボンクラはボンクラのくせに輝いている。――というか、蜻蛉さんが惚れているからしょうがない。せっかくおかゆを出してあげているのに「いつも食べないからいらないよ」とか、お前は中学生男子かよ。3時頃になったらラーメン2杯はイケルくせに今食っとけ。「太刀を早く」じゃねえよ、この浮気野郎。ゆったりと歩み出し「植え込みの枯れ草を乱雑に焼いたねえ」とか言っている。じゃあお前が焼けよ。――みたいな風景を突き放した視線の、しかも明らかに惚れた女の目で眺めている蜻蛉さんであった。

太刀か何かは見えなかったか? いえ、何もございません。ただその側の杉の根がたに、縄が一筋落ちて居りました。それから、――そうそう、縄のほかにも櫛が一つございました。死骸のまわりにあったものは、この二つぎりでございます。

――芥川龍之介「藪の中」


「藪の中」でかなり重要なモノは「太刀」であった。こんなものがなければ、――いやこんなものがあっても、証言はそれぞれ違うのであろうが、もっといやらしい人間的なものを、取り調べの役人たちは聞いたであろう。言うまでもなく、蜻蛉さんたちだって、ボンクラの太刀の存在あっての態度形成なのだ。