★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

【アンチ】むつかしげなるもの【モラル】

2020-02-18 23:43:28 | 文学


むつかしげなるもの 繍物の裏。鼠の子の毛もまだ生ひぬを、巣の中よりまろばし出でたる。裏まだ付けぬ裘の縫目。猫の耳の中。殊に清げならぬ所の、暗き。
ことなる事なき人の、子などあまた持てあつかひたる。いと深うしも心ざしなき妻の、心地あしうして久しう悩みたるも、夫の心地はむつかしかるべし。


新日本古典文学全集の注釈は、この段について「すべて言い得て妙」と書いている。そ、そうかなあ……。清少納言は、全体的に、クソ餓鬼を含めた、毛がそばだっている感じがいやなのかなあと思う。わたくしも鼠の子がまだ毛もたいして生えていないのに巣の中から出てきたのを見たことがある。このクソ餓鬼はわたくしの枕元に出現したのだ。恋の夢を見ていたわたくしの枕元に、蠅男の出来損ないみたいなつぶらな瞳の物体が転がりでたのである。猫の耳の中もよくみるとわたくしたちの耳の中に似ており、ある種の食虫植物に似ている風景をなしている、清少納言は気分が乗ってくるとめちゃくちゃなことを言ってくるが、ここでも、「汚いところの暗いところ」とか言い出した。「アホマヌケ」みたいな勢いである。

そして、しまいにゃ下種批判である。「大したことのねえやつがガキをたくさんつくりやがって世話している、あーむさ苦しい。」確かに、こういうのに「大家族の絆」とか言っている連中は大概善人か悪人だ。問題は次である、「たいして深く好きでもない女房が気分を悪くして病床にふけっているのも、夫としてはきっとうっとうしいんだろうねえ」。苛い。清少納言は残酷なやつだ。

平岡は口を結んだなり、容易に返事をしなかった。代助は苦痛の遣り所がなくて、両手の掌を、垢の綯れる程揉んだ。
「それはまあその時の場合にしよう」と平岡が重そうに答えた。
「じゃ、時々病人の様子を聞きに遣っても可いかね」
「それは困るよ。君と僕とは何にも関係がないんだから。僕はこれから先、君と交渉があれば、三千代を引き渡す時だけだと思ってるんだから」
 代助は電流に感じた如く椅子の上で飛び上がった。
「あっ。解った。三千代さんの死骸だけを僕に見せる積りなんだ。それは苛い。それは残酷だ」
 代助は洋卓の縁を回って、平岡に近づいた。右の手で平岡の脊広の肩を抑えて、前後に揺りながら、
「苛い、苛い」と云った。
 平岡は代助の眼のうちに狂える恐ろしい光を見出した。肩を揺られながら、立ち上がった。
「そんな事があるものか」と云って代助の手を抑えた。二人は魔に憑かれた様な顔をして互を見た。


――漱石「それから」


平岡は三千代をはたして愛していたのであろうか。こんなことですら容易な結論を出せないから漱石は小説を書いているのだ。清少納言はこの作者に比べればまだ子どもである。とともに、日本の家父長制度には騙されない程度の常識人である。