つれづれなぐさむもの。碁、双六、物語。三つ四つのちごの、ものをかしういふ。まだいとちひさきちごの、物語し、たかへなどいふわざしたる。くだもの。男などのうちさるがひ、ものよくいふがきたるを、物忌なれど入れつかし。
國分功一郎氏が暇について本を書いていたけれども、暇は人生に於いて巨大であり、処理を間違えると大変なことになるというのは周知の事実だ。ファシズムの原因とはいわんけど……
上の「たかへ」が何なのかはよく分からないらしいけれども、子どもの物語というのは嘘や間違いを自ら求めるみたいなところがあり、小学校の先生たちはそれを忘れがちになる。でそれを抑圧すると「暇」が発生する。とはいえ、子どももちゃんとそういう環境にも適応して、何の面白さもなさそうな「遊び」も面白いと思うようになる。ゲームや酒飲みはそういう類いだとわたくしは思うのだ。たぶん、多くの人にとっての旅行もそういうものである。間違いや嘘を求める背徳的なものにそれらがなりがちなのはそういうことだ。
清少納言の「くだもの」というせりふは、とても絶妙な合いの手である。いわば暇に任せて「にっほんすげえー」とか「はいるヒットラー」という怒号をする人々を尻目に、「くだもの」と合いの手を入れると言えばよいであろうか。
もぅりの
もぅりの木のかげで、
みゝながうさぎのくだものや。
つぶのそろつた
さくらんぼ、
まつかであまい
大西瓜。
やすうり
なげうり
大べんきやう。
かわいいぼつちやんは
じてんしやで、
きれいなおぢやうさんは
かごもつて、
さあ さあ
いらつしやい、
おほやすうり。
めかたはたつぷり
まちがひなし、
どこのみせより
おほやすうり。
――村山壽子「うさぎのくだものや」
村山壽子の童話は屡々アニメーションのような加速があるが、うさぎと果物を組み合わせている点でエンジンを二つ付けているようなものだ。こうなると暇ではなく忙しい。マスクを買いに突入する人民にそんな心が混ざってないとはいえない。こういう場合に必要なのは、科学である。