★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

太った人の前と後

2020-02-12 23:17:38 | 文学


式部の丞の笏。黒き髪の筋わろき。布屏風の新しき。古り黒みたるは、さる言ふかひなき物にて、なかなかなにとも見えず。新しうしたてて、桜の花多く咲かせて、胡粉、朱砂など彩どりたる絵ども描きたる。遣戸厨子。法師のふとりたる。まことの出雲筵の畳。

お坊さんだって太ることはあるわいな……。さくらの花を下品に描くのは確かにいやである。最近は、桜なら何でもいいと思っているやつも居るくらいだ。ひどい。

告白すると、私は、ショパンの憂鬱な蒼白い顔に芸術の正体を感じていました。もっと、やけくそな言葉で言うと、「あこがれて」いました。お笑いになりますか。海浜の宿の籐椅子に、疲れ果てた細長いからだを埋めて、まつげの長い大きい眼を、まぶしそうに細めて海を見ている。蓬髪は海の風になぶられ、品のよい広い額に乱れかかる。右頬を軽く支えている五本の指は鶺鴒の尾のように細長くて鋭い。そのひとの背後には、明石を着た中年の女性が、ひっそり立っている。呆れましたか。どうも私の空想は月並みで自分ながら閉口ですが、けれども私は本気で書いてみたのです。近代の芸術家は、誰しも一度は、そんな姿と大同小異の影像を、こっそりあこがれた事がある。実に滑稽です。大工のせがれがショパンにあこがれ、だんだん横に太るばかりで、脚気を病み、顔は蟹の甲羅の如く真四角、髪の毛は、海の風に靡かすどころか、頭のてっぺんが禿げて来ました。そうして一合の晩酌で大きい顔を、でらでら油光りさせて、老妻にいやらしくかまっています。

――太宰治「風の便り」


近代の作家は酷いこと書くねえ……。これに比べると、法師の太りたるの前後に遣戸厨子や畳を配置している清少納言は優しい人である。

そういえば、橋爪大三郎の『小林秀雄の悲哀』をまだ読んでなかったのでめくってみたが、――おもうに、小林秀雄は自分で何を書いていたのか読解できていないのではないかと思うのだ。