月が出た
昔、「ドラゴンボール」やら「せいんとなんとか」などと同時期の『週刊少年ジャンプ』に連載されていたという『恐竜大紀行』。古本屋で手に触れたので買ってきてしまったが、これが面白かった。「ドラゴンボール」など、相手を半殺しにしたり、または、されたりしているくせに、何故か敵同士が仲間になったりする「雨降って地固まる」ならぬ「血の雨降って血固まる」といったテーマが意味無く繰り返されている訳であるが、このマンガはそんなぬるいことはやっていない。恐竜の世界は弱肉強食、文字通り食う食われるの世界であり、ティラノサウルスがツンデレ的情けをかけたりしない。ちゃんと相手を食うだけである。「ドラゴンボール」でも、ちゃんと悟空はベジータなどを食うべきであった。
しかし、弱肉強食というコンセプトだけだと、「ジェラシックパーク」のような、所詮恐竜のような獣は人間が成敗すべし、あるいは、人間も獣なので殺し合いますがどうでしょう?といった退屈なテーマになったりするのであるが、このマンガでは、人間が一匹も出てこず、恐竜が日本語をしゃべりまくっているのである。内心語とも会話とも判断がつかぬそのせりふを読み進めていると、なんだか恐竜に感情移入してしまうのである。せりふが殆ど番長マンガになっているところが面白い。
番長マンガというか、不良マンガの特徴といえば、出てくる奴が殆ど馬鹿という風に世間では思われているかもしれないが、明らかに違う。頭の出来の階級差が顕わなのが不良マンガである。
それを隠蔽しているのがラブコメである。で、このマンガでは科学的な見地に基づき、脳みそが小さい奴はそれなりに馬鹿に描かれているから面白い。とりあえず、一番馬鹿そうで個性もなさそうだったのが、「アンモ君」たち、つまりアンモナイトたちである。たまたま自分を食う奴が他の海に餌を追いかけていっただけなのに、「俺たちはもう誰にも縛られねェ!! もうただのエサじゃねェんだ!!」「イヤッホーッ!! バリバリだぜーっ!」って、永遠に浮かばれることのない中学生のせりふである。案の定、このあと共食い合戦をやらかし、帰ってきた恐竜やらに食われまくる。同情の余地なし。何時の世にも馬鹿はいるものである。
で、その食う食われる世界なのであるが、地殻変動やら気候変動やらによる恐竜世界の終焉にあたって……、一束の草を食って力尽きた草食恐竜が倒れているところをみつけたある肉食恐竜が、片足を失いながら最後の力を振り絞って相手を食って力尽き、まるで二頭の恐竜が抱き合っているかたちで化石になっていくところは、なかなか感動である。なんと下手をすると無常観漂うだけの食物連鎖で、努力・友情・勝利(=絶滅w)をやってしまう、さすがジャンプのマンガである。
……、で、よく考えてみりゃ、ティラノサウルスなどの肉食恐竜は、絶滅期に当たって、先祖の化石を発見してビックリしたり、自分が死にかかって世の無常に気付く訳であるが、やはり究極の馬鹿であったアンモナイトの方が、そういうことははやく気がついていたのだった。