★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

人権は朝のリレー

2010-05-31 23:03:11 | 思想
特別教育実習のためにある中学校にご挨拶にいったところ、全校朝会を見学することになった。ちょうどその学校では人権旬間ということで校長先生がその趣旨をご説明になっていた。

世界人権宣言から説かれておられた。思うに――、私たちは、神様が人間を見放した(笑)世俗国家にすんどるんじゃけえ而して一般的に人権がこの宣言を根拠に説かれるということは、人権は人間が創ったフィクションではなかろうかという疑いを抱かせるものだ。本当は中学生もそれは分かっている。あとで先生方には、人権をめぐる哲学者たちの血で血を洗うがごとき戦いの歴史をぜひ中学生に説明してやってもらいたいと思った。論敵に人権を認めていない感じがするんだ、彼らは――。

谷川俊太郎の世界人権宣言の訳があるけど、あれはどうも……ありがたみがなくなっている。「朝のリレー」もどうもね……

この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ


この詩は子どもが朝のリレーをしているような感じで書かれている。子どもは朝起きてるからかな、学校に行くからかな、これから死のうとする人や徹夜で絶望している人達にも本当に朝はくるのであろうか……人権と同じくあやしい。同様に夜もリレーしてることになるんだし。

こういう疑問にこたえなきゃいけない学校の先生というのはとても大変な仕事である。