★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

幸福は偏在する

2010-05-12 04:32:57 | 文学
私はR・シュトラウスの「Sinfonia Domestica(家庭交響曲)」という曲が好きで、特にフルトヴェングラーの録音(昭和19年)を聴きながら洗濯することもある。曲の後半部分で、子どものあつかいをめぐって?夫婦の壮絶な朝喧嘩が描かれているのだが、どんな曲でも曲の後半にはいると自動的にアクセルを×ったように踏み続けるフルトヴェングラー、この場合も、とっても凶悪である。西原理恵子風に言えば、飛び散るお皿、剥がれる偽善、巻き添え食って流血するバカ息子、という感じだ。最後は、流血した息子を引きずりながら、ホルンとティンパニが大爆発しつつ幸福な結末を迎える。

井伏鱒二の「おこまさん」を読む。運転手園田と車掌である少女おこまさんは、最終場面、バスで自分の仕事をしながら「楽しい気持で息がつまりさう」になっているのだが、彼らの会社は解消しそのとき失業していたのをしらなかった。以前、二人の窮状をすくった三文文士もこればっかりはどうすることもできなかった。三人に家族の影は希薄である。

太宰治「日の出前」。妹曰く「兄さんが死んだので、私たちは幸福になりました」。

オスカー・ワイルドの「幸福の王子」。……神さまが天使たちの一人に「町の中で最も貴いものを二つ持ってきなさい」とおっしゃいました。その天使は、神さまのところに鉛の心臓と死んだ鳥を持ってきました。神さまは「よく選んできた」とおっしゃいました。「天国の庭園でこの小さな鳥は永遠に歌い、黄金の都でこの幸福の王子は私を賛美するだろう」……

私は、ずっと神さまが幸福の王子を賛美したのだと思っていた。