★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

ヴィトゲンシュタインと寅さん

2010-05-04 22:02:50 | 思想
二日目にしてはやくも飽きてきた訳だが……。

わけあって午前中からヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』(藤本氏と坂井氏翻訳)を引っ張り出す。
長らく読んでなかったので埃が美しく積もっていた。
どれだけ長かったというと、たぶん大学4年生ごろに一度めくった覚えがあるからそれ以来かもしれない。

おめあての箇所を読み終わったあと、他の頁をめくっていると、昔私が傍線をそこら中にひいていて、ときどき「←これ重要」とか書いていたことが判明した。

私は×気を覚えずにはいられなかった。当時の私を呼び出して叱りたい。

「語りえぬものについては、沈黙しなければならない。」(←ここ重要)

あのね、重要なのはそこじゃないんだよ、むしろ「読者は、いうなれば、梯子を登りきったのち、それを投げ捨てなければならない」、ここですね。ヴィトゲンシュタインは、読者が梯子を登りきったあと、梯子を捨てたので帰りにこまったとか、そのまま墜ちたとも書いていない。これが実に不可思議。しかし不可思議でも何でもない。少し前に「わたくしを理解する読者は、わたくしの書物を通り抜け、その上に立ち」と書いてある。つまりこの読者は書物を通り抜けられるほど、人間離れしているのである。(死んでる可能性が大)

こういうくだらぬ空想でお茶を濁しているところからもわかる様に、いまになっても私は『論理哲学論考』が何を言っているのかさっぱりわからない。

思うに、これは翻訳の口調のせいかもしれないが、啖呵の切り方が尋常じゃない書物だね。寅さんに朗読して頂きたい。