石井信平の 『オラが春』

古都鎌倉でコトにつけて記す酒・女・ブンガクのあれこれ。
「28歳、年の差結婚」が生み出す悲喜劇を軽いノリで語る。

「MITメデイアラボ・デジタル革命の発信基地」

2012-08-27 10:04:20 | ルポルタージュ
(『週刊東洋経済』1999年12月11日号掲載)

 10月17日、飛行機はボストン空港への着陸態勢に入った。窓の外に夜景が迫る。一際明るいボストン球場。今夜はレッドソックスとメッツのプレイオフの真っ最中。しかし、私は今読み終わった本のショックで呆然としていた。本の題は「メデイアラボ」(スチュアート・ブランド著、室謙二・麻生九美訳、福武書店)。

 「メデイアの未来を想像する超・頭脳集団の挑戦」の副題がついたこの翻訳本が出たのは今から10年以上も前、一九八八年。私はその直後、タイトルに引かれて読み始め、実はつまらなくて途中で放り出した。あまりにSF的、抽象的、非現実的な内容、と思ったからだ。今回、取材の必要から改めて読み直し、驚嘆した。今、日本のマスメデイアが「デジタル革命」と大騒ぎしていることの全部が、実はこの本に出ていた! 電子会議、電子掲示板、電子出版、インタラクティブ(双方向)・メデイア、そして電子通貨を使った商取引にいたるまで…。

 そして、所長のネグロポンテが一九八七年に既に描いていた予測図(次頁)は、西暦2000年には、放送・印刷・コンピュータの三つの産業が限りなく一つに収斂していくというものだ。当時、彼があまりに繰り返し力説したので、同僚達はこれを「ネグロポンテのおしゃぶり」と呼んだそうだ。今、時代はこの予測図通りになってきた。

 つまりメデイアラボにとって「デジタル革命」は、今から20年も前に始まっていた! 私はかつての自分自身の迂闊さに呆然とした。

 翌月曜日から、スポンサー・ウイークが始まった。メデイアラボに資金提供している企業のために、ラボ全体を開放し、シンポジウムや新しいテクノロジーのデモストレーションなど、様々なイベントが行われた。

  だからクリエイテイブ 異質・多彩な個人の集団

 世紀末の晩秋。抜けるような青空に映える純白の「メデイアラボ」。 一九八五年に建ったこの建物の名前はウイズナービル。MIT総長、ジェーローム・ウイズナーと建築学科教授・ニコラス・ネグロポンテの二人は、メデイアラボ設立資金を集めようと世界中の企業を回った。壁にはこのビル建設に資金提供した企業名が刻まれている。日本企業の名前もある。松下、NEC、三洋、ソニー、東芝、朝日放送、朝日新聞、旭光学、富士通、日立。

 壁を見ていると、これら企業への感謝の気持ちが感じられる。ひとくくりすれば「コミュニケーション企業」。コンピュータと人間のコミュニケーションを研究するセンターにふさわしい会社群だ。

 所長のネグロポンテ氏は、当時四〇歳を過ぎたばかり。彼は建築学科で「アーキテクチャー・マシーン・グループ」を組織し、コンピュータを、どうしたら人間が使いやすいものにするか悪戦苦闘してきた。CADを通して、彼はコンピュータのもつ底知れぬ能力に魅了されていた。そして、このテクノロジーこそが、学問の領域地図を変え、新しい産業を創り出すに違いない。だから資金は広く世界中の企業から募ろう。ジャンルを越えた英知を結集し、新しい研究所を作ろう。

 ネグロポンテのヴィジョンに賛同したメンバーが参集した。人工知能の創始者、マービン・ミンスキー、数学のシーモア・パパート、音楽の         
バリー・ヴァーコウ、ビデオ研究のアンドルー・リップマン、コダック社でホログラフ研究をしていたステイーブン・ベントン…。

 ヴァーコウ教授が私のインタビューに答えて言った。「当時、学部の教授におさまっていることに退屈していました。ふだん決して一緒に仕事しない人たちと、共同で研究できる環境の誕生に興奮しましたね」

 創立メンバーの多彩に注目しよう。コンピュータを研究するのではない、それを使って何が出来るか。それを探求する旅に出ようではないか。旅は、色んな道連れがいた方が楽しいね。きっとそんなノリだったのだ。
 
  メデイアラボの本質は 「楽しくやろうぜ」

 簡単なデータを紹介しておこう。ここに働く研究員は総勢420人(教授クラス30人、研究員80人、大学院生160人、学部学生150人)。学部学生とは、ほとんどが時給8ドルのアルバイト。主にここのコンピュータ・プログラミングに従事している。優秀と見ればすぐに研究員にスカウトされる。そして現在進行中の研究プロジェクトは、何と220。ほとんど全員が一国一城の主ということになる。

 ここのモットーは、創立の時から未来を予測するな、未来を作れ!(Inventing Future)。建物内を歩いてみる。ネグロポンテイとかミンスキーとか、ビッグな学者がうろうろしているかと思うと、19、20の小僧みたいな学生が談笑し、コンピュータに向い、未来のオモチャ研究の場では、レゴと集積回路が散乱。臭いをコンピュータに判断させ「デジタル・ソムリエ」を誕生させようというプロジェクトでは、ワインのボトルやグラスが散乱して、まるでパーテイーが果てた雰囲気。

 スタッフの子供が駆け回ったり、この騒然、自由、バラエテイー豊かな雰囲気は何なのだ。R&Dというよりも、全体におもちゃ箱状態。アイデイアを「商品化」することに頓着なく、メデイアラボの本質は「楽しくやろうぜ」ではないか?
 
  技術をショーアップ 肉体も興奮も情報だ

 10月 20日、MITキャンパス内公会堂で行われた「センシブルズ」というイベントを覗いてみた。司会はウォルト・モスバーグ。「ウォール・ストリート・ジャーナル」のテクノロジー・コラムニストで、ラボとビジネス界との絆の深さを感じさせる。

 テクノロジーをショーアップすることは、メデイアラボが得意とするところだ。「ダンシング・シューズ」ではセンサーを埋め込んだ靴で踊って見せ、ステップに合わせて音楽のテンポも変わる面白さ。

 「コンダクテイング・ジャケット」はセンサー内蔵の衣裳で女性が指揮をすると、その通りのテンポで音楽が聞こえてくる。肩、腕、手首の微妙な動きをキャッチして情報をコンピュータに伝える。他愛もないことのようで、ネットに繋げば、身体情報を遠隔地に飛ばせることになる。娯楽にも医療にも教育にも、相当な応用可能性が考えられる。

 圧巻はフィリップス社とメデイアラボが開発した。「感情伝達手袋」だった。手袋にセンサーが仕込まれ、会場の全員がこれをつけると、皮膚の温度と汗を関知した赤ランプが点灯する。会場のあちこちで、パンパーンと風船が割れ始めた。人々は興奮し、それにつれて、各人の手袋についた赤ランプの光が強さを増した。暗い会場が期せずして赤ランプの海となった。コンピュータは「興奮という情報」も伝えられるのだ。
  
  ここへ来たれ!若者よ 一人で未来を切り開け

 タイトなスケジュールの間に、食事とコーヒーブレイクがある。メデイアラボの建物脇にしゃれた細長いテントが張られ、そこで朝食、ランチ、夕方からは照明も変えて、ライブの音楽演奏も入るカクテルタイムとフルコース・デイナー。聞けば、ネグロポンテイ氏は食事接待をイベントの最重要事項と考えている。「心尽くしのもてなし」は、かつて日本のお家芸だったはずだが…。

 夜は、ラボ全体を開放して各研究プロジェクの全員と懇親できるオープンハウス。若い研究者に中国人が多いのが印象的だった。北京からここに来て今年卒業し、今はボストンのEトレードの会社にいるという青年。台湾からウエブページを見てメデイアラボに興味をもった若者。

 彼はメールで、これと思う教授に自分のアイデイアを送り、ウエブのアプリケーション・フォームを送ったら、国際電話でインタビューされて「こっちに来ないか」といわれて、「それで今ここにいるんだよ」とケロリとして言う。精悍な目つきで、「ここは楽しい、何よりも“モティベーション”をつかめ、自己管理能力がついた」という言葉が印象的だった。

 与えられたシステムでしか動いてこなかったなー、と自分が体験した
日本の教育システムのことを振り返る。一人で未来を切り開く若者にこそ、ここはふさわしい場所だ。
 
 スタンダードを作れ 新しい産業を創り出せ

 たまたま日本から訪問していた東芝の竹林洋一氏の話を聞いた。メデイアアボに、一九八五年から2年間研究生活を送った。今は次世代コンピュータを開発中である。

 「僕らの方がテクノロジーは上、企業にはそれ位のプライドがあります。ただ、性能を良くすることが技術だと思ってる人があまりに多い日本から来ると、ハッと教えられことが多いですね。ここの人は、製品ではなく、一つの産業を作っちゃう位の気概をもっています。それから、例えばCGがはやり出したら、さっさと研究をやめちゃう判断がすごいですね。成功が見えたらやめる。攻めから守りに向かう、居心地いいサロンになることを絶対許さない」

 東芝が支援する人工知能のミンスキー教授に、私はきいた。「メデイアラボで、あなたが目指したことは何ですか?」彼の答えは意外だった。「子供になることです」。

 既存の価値観にとらわれない、想像力と発想の大切さ。それが出来るのは「子供」だ。メデイアラボが今、研究の重要項目にしているのが「子供」なのは何故か? 子供ををいかに教育するか、ではなく、子供からどう学ぶか。

 あるシンポジウムで、子供からの質問。「僕の作った時計が、少しずつ
狂ってきちゃうのですが、どうしたらいいですか?」ミンスキー教授の答え。「君がスタンダードになればいい、そうすれば、君の時計はいつでも正しい」

 これは子供にすごい自信を与える一言だ。これは、そのままメデイアラボの、無言のモットーでもある。つまり「スタンダードを作り変える」気概。製品の次元ではなく、竹林氏の言う「産業を作り出す」迫力だ。     

 ミンスキー氏に子供の重要さを教えたのはパパート教授だった。「もう20年もしたら、今の学校はなくなっているでしょう」とパパート
氏は私に言った。今の学校こそ、未来に立ちはだかる最終的な障害物だ、教育問題こそ、実は重大な産業問題だ、という鮮明な問題意識。

 パパート氏により提唱されている理論が「コンストラクショニズム」で、子供は物事を受動的に教えられるよりも、能動的に創造する時、学習成果が最大に高まるというものだ。教育に重要なのは、読み(Read)/書き(Write)/算数(Arithmetic)の“3R” の代わりに、探求(Explore)/表現(Express)/共有(Exchange)の“3X”であるという。これは子供だけではなく、私たち成人にとっても、生きていく重大な指針ではないか? そこには、子供に擦り寄り、子供を甘やかす教育論、ではなく、「私達は、かつて何のために自分に正直な子供であることをやめたのか?」という問いかけがあった。

 組織なし、ルールなし ネットワーク・マインド

 インターネットが出来て五年、私たちのライフスタイルはドラマチックに変わろうとしている。我が家のデスクにある一台のパソコンはテレビになり、映画、新聞、写真、本、CDプレイヤー、事務所、電話、図書館、郵便局、そして銀行、巨大百貨店、株取引所にもなる。ある人にとっては、さらに、レコーデイング、写真、ビデオ編集のスタジオでもある。数年前これらは「会社」にだけあった。メデイアラボが研究対象にしてきたのは、まさにこの大変革を作ってきたテクノロジーだった。

 奇異に聞こえるかも知れない。メデイアラボの強さは、組織とルールがないことだ。まさに子供の世界だ。
いや大人だからこそ可能なのだ。所長のネグロポンテイ氏は象徴に過ぎない。役員会も幹部会もないから、およそ組織図を書くことが出来ない。経理やPRの担当者はいる。しかし命令系統が存在しない。

 何故それが可能かというと、もう二十年も前から、マインドが「ネットワーク」に慣れてしまっているのだ。つまり、自分が何をすべきかを全員が知っている。それが分からない人間はここにいられないのだ。

 リップマン氏の言葉で言うと、自立した人間の集合が別々の視座からものを見ること。つまり、発想も価値観も人と違わなければいけない。そうだ、それだけがルールだ。ここでは組織のために自分を殺すことは「ルール違反」になる。研究はボスのためではないし、スポンサーのためでもない。自分のためである。だから「楽しい」。
 
 冒険をする、リスクを恐れない、だから「楽しい」
 
 メデイアラボはテクノロジーの「クリエイト」に徹する。企業のR&Dがリ・サーチ とデイベロップ、つまり成功のリサイクルと発展的向上を目標にするのに対し、メデイアラボは成功がチラリとでも見えたら「やめる」。それ以上は研究者にとって挑戦にならないし、「楽しくない」。

 メデイアラボは成功を保証しない。水平線の向こうに何があるかを言えなかったコロンブスのようだ。しかし、挑戦することに価値があり、失敗は、ひょっとすると成功よりも価値がある。しかし、企業ではこれは通らない。結果を予測出来ないプロジェクトに、上司のハンコはもらえないからだ。

 では、スポンサー企業は、メデイアラボに何で金を払うのだろう? 見返りは何なのだ? 迅速な成果をあげられないと見て、降りて行く日本企業は少なくない。

 ラボの三大研究グループ(TTT=考える物質、デジタルライフ、未来のニュース)のいずれかに一スポンサーとして参加するには、年間20万ドル(約2100万円)が必要だ。この金額は安いか、高いか? これは社員平均年収の3人分に相当する。この金でメデイアラボのグループ研究員、約20人を雇った上、ラボの施設、家賃はタダ、研究のプロセスと結果のすべてについて見学し、討論に参加し、商品化の権利を全スポンサーが平等にもつ。高いか? 安いか?

 私がラボでよく聞いた言葉に「コラボレーション」がある。“協力”の意味で、アートでは“演奏家と舞踊家とのコラボレーション”、などの使い方をする。「私たちは、外部のスポンサーと、もっとコラボレートしていきたい」と彼らは言う。
 
  今や世界は「メデイアラボ化」しつつある
 
 “お客様”として、ただ結果だけを待っていたら損である。一緒にやれる能力を持った人間を派遣し、プロセスを共有しあってこその「成果」。たとえればアスレチック・ジムの会員になったら、汗水たらして中の器具やマシーンを思う存分使わなければ損、に似ている。日本企業は、どうもその利用の仕方が下手だ。もっとイマジネーションを! これがネグロポンテ氏の苦言だった。

 今まで資産だとされていた、不動産、社員の経験、会社の伝統…それらは今やお荷物や負債である。成功は敵である。ネグロポンテ氏はそこまで言った。デジタル革命とは、このような価値観の革命を言う。既存の組織は限りなく個人に解体されてゆく。

 メデイアラボで見かけた「Wired」という雑誌の11月号に、ソニーの
出井伸之社長の発言が載っていた。
1997年ソニーは38名の役員を10名に縮少、硬直した内部組織を徹底改革deconstruction…2000年には、ほとんど全てのソニー製品はPCを使わずにネットにつなげる」

 つまり、ソニーは「IT企業」になろうとしている。ITのネットワークにはヒエラルキーや縄張りは邪魔だ。ソニーはまるごと「メデイアラボ化」を決意したのだ。

 個人情報のIDを一つのチップにしてネットにのせ、Eコマースに大変革を起こそうと研究しているマイケル・ホーリー教授が言った「AT&Tが15,000人の管理職をレイオフしたのが、実にグッドアイデイアだった」。つまり、組織のガンは管理職にあり、が次第に見えて来たのだ。そして、テクノロジーの発展を阻害しているのも管理職ではないか。ソニーはそれに気づいてメスを入れ始めた。メデイアラボが20年前に気づいて実践してきたことである。
 
 更にイマジネーション 価値観の問い直しを!

 スポンサー・ウイーク最後の土日、「マインドフェスト」と名付けてラボを子供に解放し、レゴで思い切って遊ばせ、マインドストームを自由にプログラムさせ、並行して「子供の水準に迫る大人の傑作ロボット」を全米から集めて展示するというイベントだった。

 メデイアラボとレゴ社は「マインドストーム」開発を、10年にわたってコラボレートしてきた。誰もが子供の時よく遊んだレゴブロック を使い、プログラム可能なRCXとセンサーを加えて出来たおもちゃだ。そこで私が見たものは、子供によってメーカーの「マニュアル」は無視され、コンピュータは解体されてレゴの接着部品となり、もはやキーボードとモニターの姿をとどめない、壮大な遊び場風景だった。

 メデイアラボは遊び場である。クリエイテイブな実験場だ。ここでは
コンピュータと人間の関係を最先端で研究し、同時に、多様な考え方を許し合い、価値観の問い直しが行われている。それがMITメデイアラボである。

(取材協力・Norman Mallet) 


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