石井信平の 『オラが春』

古都鎌倉でコトにつけて記す酒・女・ブンガクのあれこれ。
「28歳、年の差結婚」が生み出す悲喜劇を軽いノリで語る。

書評、阿久悠著『歌謡曲の時代』 栄光の昭和歌謡史に漂う悲しみ

2010-05-21 23:29:08 | 本・書評
阿久悠著『歌謡曲の時代』

副題・歌もよう人もよう

新潮社刊 定価 本体1400円(税別)

 

女を「たらしこむ」ことは男一般の夢想だが、作詞家・阿久悠は「時代」を散々たらしこんできた。1970年代から90年代にかけて、彼が怒涛の勢いで書き続けた歌謡曲によって、その時代を生きた何と多くの人々が、高揚し、陶酔し、夢を見たことだろう。


本書は、およそ5千曲を作詞してきた本人によって選ばれ、執筆された99曲のライナーノートである。同時に、歌のタイトルを借りた時評であり、エッセー集でもある。作詞された頃と今の時代の差異が読み取れる「暗室」のような本だ。わが身に覚えのある心境に誰もが誘われるはずだ。たとえば「今、街で見かける男や女に、詞になるけはいというものを感じたことがない」


これは作詞家失格を自ら宣言したに等しい! マス・マーケットを支配した彼が「カスタマイズ」された市場についてゆけなくなったのか? 「昭和が世間を語ったのに、平成では自分だけを語っている」と彼は嘆く。


彼の作詞が巨大なマネーを動かした点では「実業」のわざである。昭和52年「ワインカラーのときめき」はカネボウ化粧品のCMに使われた。ピンク・レディーが歌った「サウスポー」は、昭和53年に発売され9週連続ヒットチャートの1位に輝き、146万枚を売り上げた。


本書のどのページを開いても、その赫々たる「戦果」が脚注されている。注目すべきは、彼自身の栄光を誇示しているのではなく、いかに多くの歌手たちが彼の作詞によって「紅白」に出られ、「レコード大賞」を受賞し、「大スター」になったか、そして、それらの歌でいかに多くの企業が利益をあげたか。彼の作詞は多くの人々が踏みしめた成功への絨緞だった。


本書は、一時代を「占拠」したに等しい彼の栄光のメモランダムであることは、間違いない。今夜も全国どこかのカラオケ屋で「ジョニイへの伝言」や「北の宿から」が歌われ、陶酔と忘却の3分間が展開されているはずだ。印税はジャラジャラ入り、ふつうなら「やったぜ、ベイビー」な人生ではないか。


しかし、真に驚くべきは、実は本書に漂う「悲しみ」である。それは、かつて彼が確かな思いで記した詞の数々が、まるで水に書いた言葉に過ぎなかったことを思い知る「むなしさ」でもある。昭和42年「今すぐ逢いたい、朝まで待てない」を書いた日を、彼は作詞家としての幸福な「誕生日」だった、と記す。その底には「抵抗、拒絶、混迷、飢餓」があった。


いま、いったいどこに「青春時代」があるのか。「色つきの女でいてくれよ」と呼びかけたい女はいるか? 「気絶するほど悩ましい」思いなど、いつあったっけ? ミュージックはあふれても、「時代を食って色づいた」歌謡曲など、もうどこにもない。


昭和の彼方に捨ててきた累々たる言葉の検死体を見るには、ベイビー、この本を読めばいいんだぜ。(「週刊現代」04/10/16号、書評)



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