石井信平の 『オラが春』

古都鎌倉でコトにつけて記す酒・女・ブンガクのあれこれ。
「28歳、年の差結婚」が生み出す悲喜劇を軽いノリで語る。

脱藩

2009-11-22 08:00:45 | エッセー(随筆)
石井信平(映像&出版プロデューサー、石井信平事務所代表)
'66年同志社大学文学部社会学科新聞学専攻卒業


 脱藩。ダッパンとは、世界の中でたったひとりの自分に還ることである。

 新島襄が函館から船出した時、幕府の秩序と安中藩の保護の一切から、彼は自己を断ち切った。脱藩とは、制度への反逆だから、以後いかなる藩からも受け入れられない事を意味する。二百六十の藩があった当時、日本という国はなく、新島はその時、帰るあてない旅立ちをした。

 私は一九六六年、文学部社会学科新聞学専攻を卒業。筑摩書房に在籍。九八年、同社倒産により失業半年、テレビマンユニオンの入社試験をうけてテレビ番組の制作に転じた。そして八九年、フリーになった。脱藩ならぬ脱サラをしたわけだ。新島襄とは次元も状況も違うが、HELPLESS、という点だけは似ている。

 会社をやめて、最初に出会う二つの敵がある。収入の絶対的不安定と「孤独」である。

 フリーとは、給料日がない。だが、出費は容赦ない。年金、保険、労災、事務所費、定期券…一切を自腹で調達しなければならない。企画や取材をするのも、もちろん自腹である。打合せをして、コーヒー代に困ったこともある。

 孤独は、ひとりで食事する寂しさに象徴される。東京、赤坂に個人事務所をもったが、昼になっても「メシ行こか」と声掛ける同僚がいない。一日中、コトリとも電話が鳴らない日がある。だから、こちらから電話を掛ける。すると、必ずこう聞き返される。

 「どちらの石井さんですか?」

 つまり所属している会社、組織、団体の名前を名乗れというわけだ。私は答えられない。

 個人や個人事務所にお金を貸してくれないのが日本の銀行だ。土地、建物、目に見える資産を担保にして初めて貸してくれる。そうして迎えた事態が、国家的規模の財政と金融の破綻だった。なぜ、この国では、「個人」ではダメなのか?個人の企画、野心、志に投資しようとしないのか?

 フリーとは賃労働者だ、「やったこと」にだけは支払われる。しかし企画や「考えたこと」、つまりソフトウェアには相手は金を渋る。これが社会からダイナミズムと「おもしろさ」を奪っていないか?

 資産と知名度がない個人が、いかにサバイブするか。私は日々、自分を材料に実験しているようなものだ。新島ほど命懸けではない。法の裁きに怯えることでもない。法の保護を受けることでもない。つまり気楽が、財産であり特権である。

 新島先生、渡るに船なく、目指す水平線を見失ったとき、我を助け給え。



(同志社大学発行「随想」より)


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