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oregonian way of life. 

オレゴンでの学生生活から南下して社会人生活へ。IT産業でホットなサンフランシスコ・ベイエリアで地味~に文系の仕事してます

21世紀の旅行は巡礼型?

2006-08-17 | シンプルライフ
地元の新聞月曜版に「20Below(20才以下)」というセクションがあって、ティーン・エイジャーが何人かで記事を書いたりイラストを描いたりしています。結構おもしろい記事が多く、今週版でわたしの注意を引いたのが旅行についての記事。「No Souvenirs: Travel should be about filling your soul, not shopping bags(お土産なんかいらない:旅行はショッピング・バッグではなく魂を満たすためのもの)」というタイトルが示すとおり、「ショッピング中心の観光客として旅行するより、巡礼者として精神的な成長を目指す旅行をしよう」という内容です。ちなみに、この記事の筆者はキリスト教聖公会(日本では立教大学など)の会員のようです。

それなりに物質的に恵まれている人にとって、シンプルライフが魂や精神の充実を目指すものであるならば、「シンプル・トラベル(?)」も魂や精神面を強調するのが当然ですね。そう言われてみれば、日本の江戸時代に流行したらしい「お伊勢参り」も一種の(?)、バリバリの(?)巡礼。旅行とは本来巡礼だったのですね。

春の旅行の続きとしてわたしは、9月初旬から2ヶ月以上かけてアメリカ中西部と東部を周る予定です。春の旅行が「仕事8:遊び2」だったとすると、今回の旅行は5:5、いや4:6か?アメリカ革命期(1770年頃)から1860年代の南北戦争前(antebellum period)までのアメリカ史が好きなわたしは、ボストンを含むニューイングランド地方やニューヨーク州などを訪れるのをとても楽しみにしています。それにもちろん、わたしのアイドル(?)・アーミッシュのコミュニティーにも行ってみたい!特定の宗教を持たないわたしにとって、「アメリカ建国のルーツを訪ねる」というのが、自分が巡礼者として旅行をすることになるのでしょうか?

とは言いつつも、ニューイングランド地方にはわたしが好きなブランドがいっぱい!メイン州にあるトムズ・オブ・メインのアウトレットや、ボストンに専門店があるLife is good.にも行きたいし、バーモント州にも自然/オーガニック系製品を製造&販売している会社が多いし・・・。魂よりも胃袋やショッピング・バッグが一杯になること必至!?巡礼者になるには程遠く・・・。

(画像は、バーモント州の紅葉。ニューイングランド地方の紅葉がオラを呼んでるゾ!)

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「死」を前提に「生」を考える

2006-08-12 | シンプルライフ
イギリスでの航空機爆破計画発覚と時を合わせるように公開された、オリバー・ストーン監督の最新作『ワールド・トレード・センター』を鑑賞しました(画像は映画の一シーン)。9/11で陥落したビルの瓦礫の中に閉じ込められた二人の警察官(ボスと部下?)が救出されるまでを描いた事実に基づいた話。この二人の警察官は、文字通り生と死の境をさまよったのです。この映画、わたしは観るつもりはなかったのですが、最近「死」について考えたいと思っていることと、YAHOOニュースで以下の文を読んだことで興味を持ちました。ヒメノさんは映画で部下(?)の警察官のモデルになった方で、来日していたようですね。

ヒメノさんは過酷な体験を経て小さな日々の実感を大事にしようと思ったという。「TVに熱中していても娘に話しかけられたら、10秒でも子供に時間を割くようにする。“忙しい”を言い訳にすることを止めたんだ。」明日がないかもしれないという極限の恐怖状態におかれたヒメノさんから発せられるコメントは重みがあり、普段言ってしまいがちなセリフに投げかけられる発言にドキッとさせられる。(@ぴあ) - 8月11日13時16分更新

二人の警官が瓦礫に閉じ込められているシーンは見ていて痛々しく(painful)、あのような体験を経て生還すると人生観は変わるだろうな、と思いました。わたしが以前言ったように、「人生の喜びとは何気ない日常生活にある」ということを、ヒメノさんは実感されたようです。

ちなみに、来月全米で発売になるミッチ・アルボムの新作小説は、「もし愛する人が生き返って一日だけ一緒に過ごせるとしたらどうするか?」という問いかけをしているとか。「死」を前提として「生」を考えると、人生における大切なものが見えやすくなるような気がします。

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「きっかけは、シンプルライフ。」!?

2006-08-10 | シンプルライフ
「日本について聞かれたけれど、答えられなくて恥ずかしい思いをした。」

海外での生活経験が少しでもある人は、このような事を言ったり耳にしたりしたことがあると思いますが、わたしは、「日本人だから日本の事知ってなきゃあ!」という考えは持っていません。わたしも日本の事聞かれて答えられなかった経験が・・・、あるっけ~?例えあったとしても、「『日本人だから日本の事当然知ってるだろう』って思い込むほうが間違っている」と思うタイプです。

わたしがそう思うのは、日本人としてのアイデンティティーが強くないから?日本ではいつもアメリカナイズされたような格好をしていながら、アメリカでのパーティーには着慣れない浴衣を着て行くような「にわか日本人」、わたしは軽蔑していました。「オホホ、わたしは日本人なのよ!ねえねえ、この浴衣、珍しいでしょう、日本人っぽいでしょう、パーティーの中で目立つでしょう!だからみんな、わたしに気付いて!この浴衣を褒めて!!」ってか!?基本的にわたしは、どこにいても「しんのすけ」個人としての意識が強いようで、アメリカにいるからといって自分が日本人だと特に意識することはありません。だからといって、自分が日本人であることが嫌だと言っているわけではないので、念のため。

日本人としてのアイデンティティーが弱く、日本の事知らなくても平気――。そんなわたしが実は、最近日本に興味を持っているのです!昔の日本の暮らしに。enjoy_lohasさんが、「旧暦で暮らすのを楽しむのには、まず基礎教養が必要なんだな。古典文学に精通していたり」とおっしゃているのを聞くと、勉強家(?)のわたしの好奇心がむくむく!?「だったら古典文学に精通して、旧暦の暮らしを楽しんでやろうじゃねえの、ベランメエ!」と思ってしまいました。

古典は・・・、わたしも昔勉強しましたが、わたしにとっては英語よりもよっぽど外国語だった!それに「国際化=英語(!?)」と叫ばれていた時期だったし、「古典なんて勉強してどうすんの?」と思っていた派。それが、「旧暦の成り立ちを理解するには古典文学の知識が必要」なんて聞くと、俄然古典を勉強してみたくなってしまいました。外国人に日本について聞かれて答えられなくても、「日本の事、もっと勉強しなきゃ!」な~んてこれっぽちも思わないけれど、シンプルライフに関する知識を深めるためだったら日本、というか旧暦でも古典文学でも勉強してやろうじゃね~の!そう、日本についてもっと知りたい「きっかけは、フジテレ・・・」じゃなかった!きっかけは、シンプルライフ

近い(遠い?)将来、このブログで、古典の知識をひけらかしながら(?)自分のシンプルライフについて語れるようになったら・・・、素敵☆!?しかし、わたしの愛読書は『クレヨンしんちゃん』。それがいきなり、古典文学を読めるのか!?それでも、「わたくし、愛読書は『枕草子』ですの、オホホ!」と言える時がきっと来る!ハズ・・・。(古典って、『枕草子』と『源氏物語』以外に何があったっけ?)

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ミッチ・アルボムのテーマは「死」

2006-08-09 | シンプルライフ
ミッチ・アルボムさん、日本での知名度は低いのでしょうね。『モリー先生との火曜日』(97年)や『天国の五人』(03年)という本がアメリカで大ベストセラーになった、『デトロイト・フリープレス』(新聞)のスポーツ・コラムニストです。『モリー先生~』は、不治の病に冒された大学時代の恩師とアルボムさんが15年ぶりに再会し、人生や死の意味について語り合うというノンフィクション。この本にしろフィクションの『天国の五人』にしろ、「死」が大きなテーマになっています。そして、来たる9月26日、アルボムさんの新作小説『For One More Day』がアメリカで発売されるとか。主人公は、死んだ母親となぜか一日一緒に過ごすことになった自殺願望を持った男性で、舞台は「この世とあの世の境」。やはり、「死」が大きなテーマになっているようです。

ちなみにわたしは、『モリー先生~』は以前読みました。「愛がどうだ」とかいう「touchy-feely(感傷的な?)」な話が苦手なので、本の内容はともかく、アルボムさんの話術(storytelling)というか文章が読みやすくて好きでした(日本語訳はどうなのか知りません)。さすがコラムニストですね。ちなみにこの本は、ジャック・レモンがモリー先生を演じてドラマ化され、NHKで放映されたようですが、現在ではDVD(上の画像)で観れるようです。「泣ける」そうなので、おバカさんコメディ趣味のわたし向けではないのかもしれないけれど・・・。

アルボムさんの本は気楽に読めるので、死について考えたい人の入門書としては最適かもしれません。「死について考えることは人生について考えること」であるならば、この夏、死がテーマの本を読んで人生について考えるのもよろしいかと・・・。なんて言って人に勧めている場合じゃないですね。まずは自分が読まないと!

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個人とコミュニティーの狭間で・・・

2006-08-03 | シンプルライフ
enjoy_lohasさんがおっしゃられた「独りでいるのはいいけれど、コミュニティーの中にいるのもいいものだ」という趣旨のこと、わたしは共感します。わたしもどちらかといえば、「つるん」だり集団行動したりが苦手なタイプ。うざい人間関係に悩むくらいなら、独りでいるほうが楽チン!っと思っていたけれど、シンプルライフの一要素としてよく聞くのが、「家族や友人と一緒に時間を過ごす」こと。それに、アメリカで1970年代に起こった自然食&オーガニック運動やサタデー・マーケット運動などの究極の目的は、コミュニティーの確立。郊外の発展と、それに伴う車社会の到来で分断された戦後のアメリカ社会に、コミュニティー・スピリッツを呼び戻そうというのが、それらの運動の理念だったようです。そんな事を聞くと、独りは気楽でいいと思いつつ、人付き合いを敬遠してはいけないのでは、とも思います。

わたしの人間関係におけるスタンスは、「くっつかず離れず」。言い換えると、「周りに人がいてほしいけれど、その人たちと親密な関係を築くつもりはない」ということです。今どきの日本人?わたしのこのスタンスは、色んな面で表れています。まず、都会が好きなこと。東京のような大都会で周りは知らない人ばかりの間を歩いていると、ある意味落ち着きます。小さな町で一歩自宅を出ると知っている人ばかりに出会う・・・。う~ん、わたしには息が詰まりそう。以前から田舎暮らしには憧れているけれど、よく聞くのが、「田舎は人間関係が濃い~」ということ。それが本当かどうかはともかく、確かに今のわたしが日本の田舎に住んだら・・・、「アメリカナイズされた変人」というレッテルを貼られて「村八部」に遭うのは必至!?

コーヒー・ハウスが好きなことも、わたしの「くっつかず離れず」というスタンスを表しています。地元のコーヒー・ハウスでは時々知っている人に会うけれど、基本的に周りは他人ばかり。今、行きつけのコーヒー・ハウスにいますが、周りは他人ばかりで、話し声が聞こえて、音楽が流れてて・・・。そんな中で、こうして記事を打ったり読書したりして自分の世界に浸っていると、非常に落ち着きます。図書館だとわたしには静か過ぎるのです。

「大勢の中で独りでいると気楽♪」なんて呑気なこと言ってないで、もっと積極的に社会に溶け込んで人間関係を築いていくべきか?ある意味そう思います。でも、漠然と思うに、わたしが「独りは気楽♪」と思っていられるのは、消費べったりのライフスタイルを送っているからでは?、ということ。うまく説明できないけれど、消費社会の発展とコミュニティーの弱体化って比例しているような気がします。言い換えると、自給自足に近いライフスタイルを送れば、人間関係を築いていけるというか、築かざるを得ないというか・・・。今のわたしは、人間の代わりにモノ(色んな意味での商品)に頼っているような気がします。

(写真は、5月に訪れたシカゴのダウンタウン。土曜日の晩で人が多かったです。周りが他人だらけの都会の雑踏にいると落ち着きを感じるわたしは、不健全?)

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プールは無料で♪

2006-07-27 | シンプルライフ
先週から火曜日と木曜日の夕方、市営のプールで水泳をしています。下宿先のお子チャマが水泳を習っていて、付き添いは何人でもタダで入れるのです!『クレヨンしんちゃん』の母・みさえのように、わたしも「I LOVE 無料!」、「無料 Is My Life!」。けれど、プールサイドで「キュッと締まったわたしのウエストを、みんな見て!」とばかりに自慢のボディー(?)を披露しようにも、周りはガキ、じゃなかった!お子チャマとその親ばかりという、わたしには「out of 眼中」の人たちばかり・・・。まあ、アメリカでは「子持ち=既婚」とは限らない場合が多いですけどね。でも、結婚していきなりガキ持ちってのもねェ~。(←あんた、妄想広げすぎ)

何の話、してたんだっけ・・・?

わたしは水泳が好きですが、カルキの臭いがこもる屋内で泳ごうとは思いません。同じ塩素漬けのプールで泳ぐんだったら、せめてサンサンと照る太陽の下で泳ぎたい!もちろん、耐水(water-resistant)の日焼け止めローション(sun-block lotion、下の画像)で美肌(?)をカバーをしておりますので、安心してください。(←誰も心配してません)



プールは、縦50メートルに横25メートル(だと思う)。横にレーンがいくつか設置されているので、一つのレーン内でちょこちょこ休憩しながらプールをひたすら往復。最近ホットヨガムエタイ(タイのボクシング)を始めたからでしょうか、去年よりも疲れずに泳げるのが嬉しいですね。「わたくし、まだまだお若いので、オホホ!」

このプールのいいところは、温水のお風呂(spa)があること。泳ぎ疲れたら、そこでマッタリと一休み・・・。マッタリし過ぎちゃって、プールに戻るのが億劫になるときもあるけれど。

ブルーベリーやトマトなどの夏食品だけではなく、水泳という夏活動(?)も楽しんで、「ブルーベリーの実がなる時」を金をかけずに満喫しておりま~す。9月になると途端に「空気が秋になる」オレゴンは、今が夏真っ盛り。

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自給自足のスキル

2006-07-26 | シンプルライフ
今日の『The Oregonian』(オレゴン州の新聞)でわたしの興味を引いたのが、「New Wave Preserving」というタイトルの記事。ポートランドの比較的若い世代の間で、自宅でジャムなどを作る保存加工(preserving、home canning)が人気だとか。シンプルで持続可能な生活(simple and sustainable living) とDIY(Do It Yourself)をモットーに、ガーデニングをしてファーマーズ・マーケットで買い物をし、当然料理もするそのような若い世代。自分の口に入れる物はできる限り自分でコントロールし、「self sufficiency(自給自足)」のスキルを伸ばすなど、消費に依存する生活からの脱却を図っているようです。(余談ですが、この記事を現在の日本で書くと、「ロハス」という言葉を必ず使うのでしょう。しかし、アメリカではロハスの代わりに「sustainable living」などの言葉が一般に使用されています。)

ジャム作りなどの保存加工をするのは、一年のうちで今の時期が最も盛ん。ブルーベリーをはじめとするベリー類が旬の今、そのような新鮮な果物を使用してジャムなどを作るのです。わたしはといえば、生で食べるだけですけどね・・・。もちろん、生のまま食べても十分おいしいわけですが。

保存加工に興味を持つ人が増えたのを受け、その技術を教える料理教室が最近人気だそうです。本来ならば、保存加工の技術は親から子へと受け継いでいくものでしょうが、今の若者世代の親にあたるベビーブーマー世代には、このような技術を持っていない方が多いそうです。消費社会花盛りだった戦後の裕福な時代に育ち、70年代以降は、「家で料理よりも外で仕事を!」と主張した(?)フェミニズムの影響を受けたからでしょうか。それこそ、「ジャムを自宅で作る?ジャムなんて、スーパー行って買えばいいじゃない!」と言っていた人たちでしょうか?逆に、そんなベビーブーマーの親世代は、大恐慌や第二次世界大戦の時代に食べ物を経済的に扱ってきた人たちなので、保存加工の技術を見につけている方(この時代は多くが女性)が多いそうです。今の若い世代には、自分のおばあちゃんが保存加工するのを見て興味を持った方もいるようですね。

『The Oregonian』の記事の中である26歳の男性が、「大工や機械仕事、それに保存加工もマスターして、自給自足のスキルに磨きをかけたい」とおっしゃているのを読むと、わたしはホントに耳が痛い!2日前の記事『罪の意識』で言ったように、わたしはベビーブーマー世代のライフスタイルに近い生活を送ってきました。自給自足のスキルなど、ゼロに近いのでは?これまでの半生は、「消費べったり&自給自足度ゼロ」の生活を送ってきたわたし。残りの半生は、自給自足のスキルを身に付けていくのが課題ですね。わたしがもし将来親になったら、子どもと一緒にスキルをマスターしていくことになるのかも。でも、子どもの方がさっさと覚えてバカにされそう!?

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罪の意識

2006-07-24 | シンプルライフ
今月初めにお亡くなりになり、この町の情報誌先週号で追悼記事として特集されたのが、Charles Grayさん(写真)という平和&社会正義活動家。Grayさんは18年間、一ヶ月の生活費を100ドル以下で暮らしたことで知られています。これだけ聞くと、日本のテレビ番組にありがちな「貧乏生活に挑戦!」と変わらないけれど、Grayさんの動機は「崇高」です。Grayさんに言わせると、この世界における諸問題の根源は富の分配。そこで考え出したのが、「World Equity Budget(WEB、世界公正予算)」。持続可能な消費レベルを世界の総人口で割って一人当たりの生活費を計算したのが、WEB。1977年当時で75ドルだったそうです。(家賃は恐らく含まれていないと思います。ちなみに、Grayさんはトレーラーで生活していたそうです。)

一ヶ月の生活費が100ドル以下という「厳しい」シンプルライフを実行したGrayさん。この方は恐らく、Charles WagnerやDavid Shiさんのシンプルライフ観には批判的だったのでは?「シンプルライフとは金や物質よりも精神面の問題」だというシンプルライフ観というのは、それなりに裕福な中流&上流階級中心の見方。何十億も一人で稼ぐ人でも気持ち一つでシンプルライフを送れる、というのがWagnerやShiさんの考えです。対照的に、Grayさんのシンプルライフの基準は世界規模。世界の資源を贅沢に使用する「American Way of Life」を送ることで発展してきたアメリカの中流&上流クラスは、金や資源を含めた世界の富を取り過ぎ。(現在でもアメリカは世界の総人口の5%だけれど、石油の使用量は30%だとか。)言い換えると、世界の富を不当に独占しながらシンプルライフを送るなど、Grayさんに言わせるとちゃんちゃらおかしい、ということです。そこでGrayさんが考え出したWEB、ちょっと社会主義的な考えが入っているようですね。この考え方に対して賛成&反対両方の立場から意見を書こうと思ったけれど、長くなるので省略します。

わたし自身、「ゆる~い」シンプルライフでいいやと思いつつ、Grayさんのような「厳しい」シンプルライフに惹かれるのも事実。なぜ?自分がとてもできそうにないことをやっている人に対しては、「凄いな」と単純に思うことが一点。それに、そんな「凄い人」にできるなら近づきたい、とも思っています。わたしは食べる事自体はもちろん好きだけれど、いるかさんがおっしゃるように、断食できるに越したことはないと思っているのも事実。食べるにしても、オーガニック&自然食品を買えばいいやと思いつつ、理想はやっぱり自給自足。今の時点では理想と現実のギャップが大きいけれど、Grayさんのようにそのギャップを小さくできる生活が理想ですね。「"25から75″という中間値でのシンプルライフ」でいいと言っても、25よりも75に近づくのがもちろん理想です。

また、Grayさんが抱いた「罪の意識」にも共感します。Grayさんは最初に結婚をした女性がかなりお金持ちだったそうで、その財産を引き継いだとき、罪の意識に駆られたそうです。「自分がこれだけの富を持っているということは、自分が他人を搾取していることになるのではないか」と。世界レベルで見ると金銭的&物質面的にかなり恵まれているわたしも、心の奥底にある種の「罪の意識」を持っています。この世界には、今日食べる物や安全な水にも困っている人が何億人もいるとか・・・。それに引き換えわたしはといえば、自分から進んで食の選択をしてビーガンをしているという贅沢な身分。(「普通の日本人」はわたしを「厳しい菜食主義者」だとみるのかもしれませんが、わたしは逆に、あえて○○を食べないという選択ができることは贅沢なことだと思っています。)同じ地球上に生活してて、なぜ生活レベルにそこまで差があるのか?Grayさんがおっしゃたように、石油を含めた消費に頼ってその恩恵を受けてきた自分も、「知らぬが仏」で他人/他国/他民族を搾取してきたのでは?わたしがこれまでそれなりのことをやってきたのは、もちろん「自分の努力」というのがあるでしょう。しかし、自分が学業に打ち込めたりスキルを磨いたりできたのは ――言い換えると、自分の事だけを考えてくる事ができたのは―― ほぼ100%消費に頼ってきたからに他なりません

わたしが、特に南国産の食材に対してある種の罪悪感を抱く理由の一つが、奴隷制度や兵力をバックボーンにした帝国主義、それにもちろん人種差別(racism)などとだぶらせてしまうから。映画『チャーリーとチョコレート工場』の記事で述べたように、砂糖は元々カリブ諸島にアフリカから奴隷を連れて来て厳しい労働に従事させ、商品をヨーロッパなどに送っていたもの。それに、アメリカに砂糖やバナナなどが大量に入り始めたのは、1898年のスペイン戦争でキューバ、プエルトリコ、フィリピン、それにハワイなどの「南国」を統治下に納めてから。そのような南国産の食材が元々、遠くはるばるアメリカ本土に運ばれてくるようになったのは、兵力や財力を含めた権力(power)のおかげ以外の何物でもなかったはず。

わたしが現在アメリカでコーヒーを含めた南国産食材を楽しめているのは、世界の富を不当に独占している(?)アメリカという大国のpowerのおかげ。そんな白人中心の大国が、有色人種の労働者を南国で搾取しながら、多くの自国民にはコーヒーやチョコレート、それに多種の果物を安価で大量に提供してきた、というのが現実でしょうか?(Grayさんが大好きだったコーヒーやチョコレートを摂取することを拒否していたのは、それらの生産が労働者を搾取していたから?)そして、労働者を搾取するそのようなシステムを是正しようというのがフェア・トレードである、とわたしは理解しています。

わたしは、「ゆる~い&楽しいシンプルライフ」という基本スタンスを今すぐ変えるつもりはありません。が、自分はこれまで石油や消費にべったり依存してきた(今でも)ということ、そして、そのような依存生活を送ることによって、自分は「知らぬが仏」で他人を搾取してきたのではないかということは、常に覚えておきたいと思います。

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シンプルライフはアート

2006-07-23 | シンプルライフ
わたしがシンプルライフという概念に興味を持ったのは、『The Simple Life』(写真上)という本に6年前に出会ってから。David Shiという歴史学者が1985年に出版した本で、わたしがこのブログで何度か言及したCharles Wagnerの『The Simple Life』とは違います。(Shiさんの本は『シンプルライフ―もうひとつのアメリカ精神史』というタイトルで日本語版が出ていますが、アメリカ史の学術書で気楽に読める本ではないので勧めはしません。)『ライフスタイルにもニューエイジ?』という記事を先日書いて以来、自分にとってのシンプルライフの意味を考えていて、この『The Simple Life』の序章とエピローグを改めて読み直してみました。

アメリカ史におけるシンプルライフの意味というのは様々だけれど、あえて共通点を挙げるならば、金や物質よりも魂の清らかさや家族間のつながり、それに公共の利益を重んじること。言い換えると、シンプルライフとは、物質面よりも道徳を含めた精神面を重んじた生活を「意識して」送ることです。金や所有物や活動そのものはシンプルライフを脅かしはしないけれど、金の亡者になったりむやみに物を欲しがったり、ある活動の中毒になったりするとシンプルライフを破壊させる、とShiさんは述べています。

シンプルライフとは、物質面よりも精神面充実を目指す一種のアート。そして、シンプルライフというアートをマスターする鍵となるのが、個人の trappings (装飾や虚飾、つまり不必要な物)とtraps(荷物、つまり必需品)との違いを把握すること。ガンジーが言ったことには、ある物によって精神的に救われたり癒されたりするならば、その物は所有している価値があるそう。無理したり義務感からその物を手放したりすると、それに未練たらたらで逆効果。何が必要で何が必要でないかというのは、もちろん個人によって異なるもの。自分の健全な精神維持に必要な物だけを所有することが、シンプルライフというアートを手掛けることになるのでしょうか。

Charles Wagnerも言っていたように、シンプルライフとは実際の生活様式のことではなく、精神や魂の問題。そんなシンプルライフと、健康で持続可能なライフスタイルを目指すロハスとの大きな違いは、精神面の重要さにあるのかもしれません。だからといって、どちらがどちらよりも高次元だとか優れたコンセプトであるとかを問題にしているのではありません。念のため。

シンプルライフとは、精神や魂の充実を中心に考えて生活様式を設計するアート――。ということは、「わたくし、自分の生活をアートする芸術家ですの、オホホ!」と言ってしまっていいのでしょうか!?(←あんた、ちょっと勘違いしてない?)こんなシンプルライフ、自我(selfhood)を確立するのにもぴったりのようですね。自我分裂に悩んでいた(とわたしが勝手に憶測した)中田英寿氏、今後はシンプルライフというアートを通して自我を確立されてはいかがでしょう?

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ジョニー・デップはシンプルライフ実践者?

2006-07-12 | シンプルライフ
現在来日中のハリウッド俳優、ジョニー・デップ。先週末に全米公開されたデップ主演の『パイレーツ・オブ・カリビアン』第2弾は、初日および公開3日間の全米興行記録を更新する上々の滑り出しを見せました。去年公開された『チャーリーとチョコレート工場』も日米共に大ヒットするなど、現在売れっ子のデップ。そんなデップが、2週間前の『ニューズ・ウィーク』(アメリカ版)に特集されていました(写真)。その記事を読んで思ったのが、「ジョニー・デップって、シンプルライフの実践者?」ということ。

デップといえば、これまでアート系の小品に好んで出演し、アイドル路線よりは性格俳優路線を志していたようです。ハリウッドの大作志向に反抗し(?)、著名人である事の意味や映画界における自分のアイデンティティ確立に悩んできたのだとか。言い換えると、芸能界という金と名声が渦巻く職場において自分に正直であろう、つまりシンプルライフを確立しようと奮闘してきた、と言えるのかもしれません。フランス人Charles Wagnerという牧師がフランスで1901年に出版した本『The Simple Life』によると、シンプルライフとは物質や生活、住環境を指すのではなく、心の状態のこと。昔の質素な生活に戻るのではなく、「(虚栄心など)お飾り的な余計なものは避け、自分に正直であること。つまり、心がシンプルであれば、周りの状況に関わらずシンプルライフを送れる」のだそうです。Wagnerのこのシンプルライフ観に当てはめれば、俳優にとってのシンプルライフとは、「商業的成功に惑わされることなく、自分の芸術性を追及していく」ということでしょうか?『チャーリー~』を始めとするこれまで多くの作品でデップと仕事をしてきたティム・バートン監督によると、デップは「金に支配されてきたことはなく、他人の期待に応えようとしたこともない」らしいです。金や周りに惑わされることなく、常に自分に正直にいる―。これって当に、Wagnerがいう「シンプルライフ」ですね。

これまでアート系の低予算映画に好んで出演し、「変わり者で客を呼べない俳優」といった評価がされていたデップ。そんなデップが商業主義の権化のようなディズニー・ランドにあるアトラクション、「パイレーツ~」を基にした映画に出るというのは、「sell out」なのか?(sell out=裏切り行為。つまり、デップは芸術性よりも商業的成功を目指すようになった?)デップによれば、『パイレーツ~』出演に興味を持ったのは、2人の子どもに見せる映画に出演したかったからだとか。「商業的成功を収める事自体はどうってことない」と言っています。問題なのは商業的成功を「収めよう」とすること、商業的成功のために自分の芸術観を犠牲にする事のようです。自分が納得のいく演技をしさえすれば、興行的に成功するのか失敗するのかは大した問題ではないようです。

映画界はずっと、商業的成功を狙う大作映画か芸術を重視するアート系作品か、というように二極分化(dichotomy)されてきたけれど、これからはアートを重視しながらも商業的成功を収めるというように、ビジネスとアート両面を追い求めるようになる?まあ、映画においてはビジネスを追い求めずにアートを追求した結果、「たまたま」商業的成功も収めた、となることが理想のようですが。ロハスが理想(環境保全など)と現実(個人の楽しみ)の両方を一度に満たそうとしているのなら、これからの映画界もビジネスと芸術という2つの条件を満たすのが主流になっていく?

出演料が10億円単位になるデップが「金は関係ない」と言っても、白々しく聞こえるのは確か。が、デップが「sell out」されているのかされていないのかは、映画を観て判断できると思います。少なくとも『パイレーツ~』第一作と『チャーリー~』を観た限りでは、デップはいい味を出していて、「デップって中々面白い役者」だとわたしは思いました。デップが今後もずっと「シンプルライフ」実践者であるのかどうか、デップの俳優人生に注目です。

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「文明化」からの自己防衛に、シンプルライフ?

2006-06-26 | シンプルライフ
20世紀初頭にアメリカの中流階級以上で大ブームになったらしい、シンプルライフ。当時流行していた「arts and crafts movement(芸術と工芸品運動)」とも相成って、カントリー・ハウスやそんな家に置かれている家具や調度品などが都会のブルジョワの間で大流行したとか。19世紀終わりに発達した人類学の出発点も、アメリカ人のように「文明化された」人間が「原始的な(primitive)」人たちに対して抱いた一種の憧れのようなものだったそうです。わたしがアーミッシュに憧れて、その人たちの生活を調べてみたいと思うのと似たような感じ?

南北戦争(1861年~65年)後から産業の規模が拡大してカーネギーをはじめとする大資本家が登場し、国規模での市場が形成されたアメリカ。そのように「文明化」していく社会に対して違和感を感じているブルジョワが多かったようで、当時明治時代だった「原始的な」日本にもボストンなどから何人かのブルジョワが来日し、仏教や浮世絵などの「原始的な」芸術に傾倒したようです。道理でボストン美術館が多大な日本コレクションを保存しているわけですね。



明治時代の日本といえば、3年前の映画『ラスト・サムライ』は、当時の日本のシンプルライフを強調したような描き方でしたね(記事の一番上に映画のワンシーン)。サンフランシスコで飲んだくれていたトム・クルーズ演ずる主役が、日本でのサムライ式(?)シンプルライフを通じて自分に大切なものを見出していく、みたいなストーリーだったと思います。『ラスト・サムライ』に出てきた村がネイティブ・アメリカンの村みたいだと指摘した方がいましたが、そういえばケビン・コスナーのオスカー受賞作『ダンス・ウイズ・ウルブス』(写真上)も、南北戦争で傷ついた兵士が平原でネイティブ・アメリカンとシンプルライフを共にすることによって、心身ともに回復しながら世界観を変えていくというストーリーでした。傷ついた兵士がシンプルライフで心身共に癒されるというのは、ハリウッド映画の王道ストーリー?

このような「シンプルライフを通して生まれ変わる男性」という映画のテーマは、アメリカ社会の価値観を反映していると思います。シンプルライフは、1910年にアメリカでボーイ・スカウトを設立する一つの原動力になったようですし、カウボーイがアメリカ人男性の代表だとされたのも、「文明化」された都会を離れて田舎や山の中でシンプルライフを送る、と言うより送れるスキルを身に付けていることがアメリカでは男らしさ(masculinity)の条件の一つだった(今でも?)からのようです。以前も言ったように、「文明」や「進歩(progress)」を誇りとしつつも、そのような文明社会で生きる人間、特に少年や男性の脆弱化を危惧していた当時のアメリカ人エリートたち。そんな「文明化した」社会で心身共に強靭でいるために必要なのが、シンプルライフだった?

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ライフスタイルにもニュー・エイジ?

2006-06-14 | シンプルライフ
食におけるスロー・フードやマクロビ。ビーガンにベジタリアン。ベジタリアンの中には乳製品を摂るラクト・ベジタリアンや魚を食べるフィッシュ・ベジタリアン等など。ライフスタイル全般においてはスロー・ライフ、シンプル・ライフ、それにもちろん、ロハス。わたしが断りもなく勝手に使っているエコポリタン

エコポリタンは置いとくとしても、ふ~、色々ございますな~。一体何がなんだか・・・。例えば、ベジタリアンとマクロビって、具体的にどう違うの?スロー・ライフとシンプル・ライフの違いは?(←あんたが知らなくてどうするよ?)

これらの概念を厳密に定義して他の概念と差別化し、「自分は○○です」、または、「わたしは☆☆を実行しています」と堂々と宣言できる方が、中にはいらっしゃるようです。それはそれで、わたしはそういう方にはリスペクト。自分はといえば、ベジタリアンという言葉に不満を持っていながら相変わらず使用し続けているし、「あなたがいうシンプル・ライフって、スロー・ライフやロハスとどう違うか説明して」っと聞かれたら、絶対言葉に詰まります。わたしの言葉選びはある意味でいい加減である、というのは認めます。わたしがなぜシンプル・ライフという言葉を使用しているかは後日述べるとして・・・、では、自分の考えがどの概念と一致するのかをきっちりさせなければいけないのか?

とは思いません。わたしはまだまだ勉強中。気持ちをオープンにして色んな考え方と接してみようと思っています。というわけで皆様、今後ともわたくしの教育、よろしくお願いいたします。でも、「絶対○○よ!☆☆や△△なんかより○○が絶対いいって!!だから~、そうじゃなくってこうなのっ!」と、他人の意見を否定してまでご自分の意見を押し付けられたら、わたしは波のようにサーと引いてしまいます。「わたしのこの考え方を認めてっ!同意してっ!」という気持ちは分かりますが・・・。

「無理して一つに絞らず、色んな考え方に接してみよう」というわたしのこの姿勢は、ニュー・エイジに通ずるものがあるのかもしれません。またまた、ニュー・エイジも正確には理解してないけれど、以前言ったように、「特定の聖典や中枢組織、会員、牧師や教義、宗派などを持たず、 よって、特定のどの宗教にも当てはまらない宗教運動で、自分の価値観に合えば、どの宗派や宗教の教義を取り入れても良い」のがニュー・エイジ、だと自分なりに理解しています。例えば、Tom’s of MaineのCEOである方は聖公会の会員ではあるけれど、「キリスト教徒以外は全員地獄に落ちる!」などと脅す(?)キリスト教原理主義者(?)ではなく、仏教をはじめとする他宗教の教義も受け入れています。

同じように、自分のライフスタイルというのはもしかしたら、上に羅列した概念にはどれにもぴったりと当てはまらないのかもしれません。だったら、自分で新しい概念でも作るか!でも、自分はそこまでクリエイティブではないのでニュー・エイジの精神でもって、「わたしは、基本的にはシンプル・ライフという概念を信じていますが、ロハスからは○○という考えを、スロー・ライフからは☆☆の部分も取り入れてます」な~んて言うと、カッコいい?(←いいや、全然)今流行の「ゆる~く」というのは、ある特定の考え方だけに固執せず、色んなコンセプトから「つまみ食い」して自分独自のライススタイルや世界観を形成する柔軟性、ということも指しているのかもしれません。だからといって、一つのコンセプトを信じている人のことを「柔軟性がない」、と言っているわけではありません。一つの概念を信じようが、色んな概念を寄せ集めて「hybrid(色んなものを混ぜ合わせたもの)」を作ろうが、それは個人の自由だと思います。何を信じるにしても、enjoy_lohasさんがおっしゃったように、マスコミからの情報を鵜呑みにせずに自分の頭で考えたいものです。

(写真は、Tom's of Maineのロゴ。マスコミから「ニューエイジ・ビジネス」と評されている会社です)

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「ゆる~いアーミッシュ」は許せない!?

2006-06-11 | シンプルライフ
日本でもそれなりの知名度があると思う、アーミッシュ(Amish)。キリスト教プロテスタントの一派であるこの宗教グループは、ヨーロッパでの迫害を逃れてアメリカに移住。アーミッシュ・コミュニティがあることで有名なペンシルバニア州ランカスター郡に最初のアーミッシュが移住してきたのは、18世紀の初めだとか。現在でも、アメリカ22州とカナダのオンタリオ州にコミュニティがあるそうです。

電気や車などの「現代文明」に頼らず、昔ながらの質素な生活を送っているアーミッシュ。シンプルライフを送っているわたしには、憧れの的です。と言うか、「ゆる~い」シンプルライフを送っているわたしとはあまりにもレベルが違い過ぎるので、「雲の上の存在の人たち」という表現の方が当たっています。多くのヨーロッパ系アメリカ人も、自分たちの先祖が送っていた生活を固持するアーミッシュに尊敬の念を抱いている、と聞いたことがあります。

などと言うと、アーミッシュを美化し過ぎ?俗物国家(?)であるアメリカで暮らしているアーミッシュ。自分たちのコミュニティにも俗物化(?)の波が押し寄せていることを常に感じているようです。現在では、アーミッシュ・コミュニティ内での生活様式の厳格さに差があり、中には車を運転するアーミッシュ(!)もいるとか。

遠出するときにバスを利用するアーミッシュは多いようです。わたしは前回の旅行中、ミネアポリス行きのバスの中でアーミッシュらしき夫婦を見ました。一目でアーミッシュだと分かる例の服装とシンプルなトランク(「何でそんなヘンテコなカッコしてんの?普通の服着なよっ!」←あなたは「自己文化中心主義者」ですか?)。「あ~、この人たちって、もしかしてアーミッシュ!?キャー!一緒に写真撮ってー!色紙にサインしてー(!?)」っと、わたしのミーハー精神が爆発!?がっ、アーミッシュの女性が手に持っていたのは・・・、紙コップとストロー!中身は・・・、まさかコーラ!?ちょっと(かなり?)幻滅・・・。バスに乗ったアーミッシュは許せても、紙コップとストローを持ったアーミッシュは許せない!(←あんた、何を基準にしてそう思う?)

日本でトレンドらしい「何事もゆる~く志向」は、アーミッシュの世界でも進行中?でも、「わたくし、ゆる~いシンプルライフを送っておりますの、オホホ!」でわたしはいいけれど、アーミッシュには頑固なまでに昔の生活様式を固持してほしいと願うのは、虫が良すぎ?

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肯定志向のロハス&否定志向の菜食主義

2006-06-10 | シンプルライフ
アメリカ生まれの概念なのに、わたしがここで全く耳にしない言葉、ロハス。と思っていたら、今日の地元紙にその言葉を発見!何の記事かと思ったら、日本でのロハス人気を報告していました(写真)。

日本でのロハス人気の理由は?自然を慈しむ伝統文化、つまり、ロハスを受け入れる文化的下地がすでにあることや、バブル経済期の物質主義的ライススタイルからの脱却などが挙げられていました。それらの理由の他に記事が挙げていたのが、ロハスは厳しさを要求しない、ということ。ロハスを実行するにはストイックになる必要がなく、個人ができることから始めればいいのです。「Let's enjoy LOHAS!」というタイトルのブログを持っておられるenloy_lohasさんが強調しているように、「ロハスは楽しい♪」こと。(最近はサッカーの中田選手をはじめ、多くのスポーツ選手が試合や大会を「楽しみたい」と言うように、「楽しい」は現代日本を理解するキーワード?)

基本的に何事も否定せず、肯定志向なのがロハス。「車なんか持つなよ」と言うのではなく、「エコ・カー買いなよ」と言うのがロハスなのです(マーケティングしやすいわけですね)。その点菜食主義が市民権を得るには、肉を食べ「ない」という否定概念&寺で修業する苦行層のようなイメージが強過ぎる気がします。わたしが先日抗議したように、ある航空会社がホームページで、ビーガンのことを「厳しい菜食主義者」と表現するくらいですから。「菜食主義」や「ベジタリアン」が日本で市民権を得る日は、限りなく遠い?菜食主義とは対照的に、ロハスの兄弟姉妹であるスロー・フードは食全体の質向上を目指しており、特定の食品を否定している運動ではないので一般受けする概念ですね。

それでは、日本で市民権を得たマクロビは?本来のマクロビとは非常にストイックな食事法だとわたしは思いますが、最近は肉を使った(!)マクロビ料理もあるなど、すっかり主流社会に「co-opt」された感があります。日本に菜食主義が広まったときは、「わたくし、肉を食べるゆる~いベジタリアンですの、オホホ!」などと のたまう輩が出てこないとも限らない!?

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「デトックス」したゾ!?

2006-06-08 | シンプルライフ
3日前に腰痛が発生。普段は痛くないのだけれど、何ヵ所かを指圧するとイター!!それに、腰痛のせいなのかどうかは分からないけれど、最近爆睡!2日前は15時間睡眠。その前日は10時間寝て、さらに昼寝を6時間。それだけ寝てもその晩は気分が優れなかったのは、恐らく腰痛のせい。

昨日は昼間の3時半に起き(!)、朝ごはんというか、もう夕ごはんを食べてから行きつけのコーヒー・ハウスへ。ブログの更新をして、「さて、お勉強!」っと思って本を開いたけれど、気分が乗らず。そこで、思い切って30分のマッサージに行ってきました。

アメリカのマッサージは、スウェーデン式のリンパ・マッサージや、「deep tissue 」という筋肉の深層組織を刺激するマッサージが主流です。指圧に慣れていると物足りなさを感じるかもしれないけれど、「強めに」とリクエストしたら強めにしてもらえます。上半身裸になり、オイルを使ったマッサージは極楽~。足全体のマッサージもしてもらいたかったけれど、今回は腰を中心とした上半身だけで。30分30ドルのマッサージだけでも、今のわたしには贅沢!ちなみに、マッサージは全て個室で行われます。(写真が、わたしが使用したマッサージ部屋。帰りがけにパチリ。)

マッサージが終わったあと、そのままそこで寝ちゃいたいくらいだったけれど、何とか起きて帰宅。お風呂にも入らず、歯だけ磨いて9時半に就寝。今朝9時過ぎに起きると、久しぶりにさわやかな気分~♪(腰を指圧するとまだ痛いけれど。)これってもしかして、マクロビでいうところの「排毒」、つまりデトックスしたってことかな?デトックス茶が早速効いたか~!?

追伸 この記事を書いたあと、そのまま図書館で4時間爆睡!ホント、自分でも感心するほどよく寝れる・・・。猫より寝てるかも。

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