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oregonian way of life. 

オレゴンでの学生生活から南下して社会人生活へ。IT産業でホットなサンフランシスコ・ベイエリアで地味~に文系の仕事してます

Happy Dinky’s Day!

2009-02-15 | 
今日(14日)はDinkyの命日。一年前のオレゴンは、今日のSFのように曇って肌寒い日でした。

この一年あっと言う間でした。一年前の出来事が、昨日の事のように思い出されます。

・ ・・と言いたいところですが、この年末を境にわたしの生活が一変したからでしょうか、日にちが結構経ったように感じます。来年はどこで何をしながらDinkyを偲ぶことになるのでしょうか?


こんな風にわたしの部屋に遊びに来てました


こんな気難しい顔してわたしのベッドで寝てました


下宿先のお子チャマに”King Cat”にされ、思いっきり迷惑そうなDinky


わたしが好きな写真の一枚。猫の後ろ姿は哲学的


お子チャマにキスされてるDinky。死ぬ12日前にわたしが撮った、Dinky最後の写真です。すでに死神が訪れている顔ですね

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幸運を招き入れる猫?ホワクリ

2008-12-24 | 
去年の12月25日から、日本の実家に住み着いている猫です。クリスマスに来た白い猫だったので、ホワイトクリスマスとわたしが命名しました。(←そのままやん)愛称はホワクリ。実家に以前から住んでいる猫の鳴き声を毎朝目覚まし時計代わりにしていましたが、この日は目覚めてすぐ気付いたのは、「鳴き声が違うゾ。」裏庭に出て対面したのが、このホワクリでした。子猫を少し大きくしたぐらいでしたね。

実家に居候させるかどうか何日間か様子を見ていたら、「何か食わせろー!」と鳴けば食べ物が出てくることに味を占めたのか、どうやら我が家の敷地に居座る様子。そんなホワクリが実家に永住することを決定的にしたのが、わたしの鶴の一声(?)でした。

「来年のラッキーカラーは赤と白らしいゾ~」

風水によると(?)、来年(つまり今年)のラッキーカラーの一つが白。そのうえクリスマスの日に来るなんて、「サンタさんが幸運を招き入れるラッキー猫を我が家にプレゼントしてくれたに違いない」とわたしがお子チャマ風に解釈して(?)、ホワクリ同居を猛プッシュしたのです。(本当は単なる猫好きなだけ。

で、ホワクリは本当にラッキー猫だったのか?う~ん、予定より半年伸びたとはいえ、わたしはオレゴン生活を終了させ、仕事や新居を比較的簡単に見つけたという点でラッキーだったと言えるのかもしれません。来年はどうなんだろう?来年のラッキーカラーが白でなくても、幸運を招き入れていいんだからね、ホワクリ!タダメシ食わせてるわけじゃないんだよ!(←アンタが食費出してんの?食事の準備してんの?)

しっかしこの猫、実家に来て1年経っても未だに人間になつかないようです。家族からのメールによると、

「今日ホワクリの頭に触った」
「今日は尻尾に触った」
「ホワクリが寝てるときは、撫でさせてもらえる」

などなど、ホワクリに触ることがニュースになるほどガードが固いらしい。そのくせ、今でも毎朝「メシー!」と鳴きわめくそうで、さしずめ「女王様キャラ」全開のようです。「人間どもはわたしに食事を出しとけばいいの!気安く触んないで!」ってとこでしょうか?親曰く、ホワクリは「うるさいし、なつかないから捨てられたのよ」ってことだけど・・・。本家の女王様、「尻を触って沢尻エリカ~♪」が結婚するようだから、ホワクリも結婚して落ち着いたほうがいいのかも。


(「未来を見つめるホワクリ」と言いたいところだけど・・・、虫でも飛んでたか?)

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Mr. Marty Dinks (1990-2008)

2008-02-15 | 
バレンタインズデーの今日午後4時半、ついにDinkyがこの世の生を終えました。わたしはその時バイト中だったので、Dinkyの死に立ち会えませんでした。今朝Dinkyは死ぬ直前の様子だったので、バイトから戻ってニュースを聞いたときは、「やっぱり」と思いましたね。上の写真は、下宿先の裏庭にあるDinkyの墓です。型の石はわたしが置きました。

先日書いたように、わたしの感情面で大きな支えになっていたDinky。「なっていた」と過去形で書かなければならない時がついにきました。映画『フォーレスト・ガンプ』でガンプのお母さんが言った、「死は生の一部(だから、生物が死ぬのは当たり前で悲しむ必要はない)」という台詞は頭では理解できるけれど、自分の体の中が空っぽになって、軽くなったような感じがします。

わたしにとって今後のバレンタインズデーは、「Dinky's Day」としてDinkyを偲ぶ日になります。

生命を終えようとしているDinky. . .

2008-01-07 | 
新年あけおめです。

昨日の真夜中過ぎ、オレゴンの下宿先に戻ってきました。サンフランシスコの強風&雨のために名古屋出発が3時間遅れて夜8時過ぎになり、日本時間の夜11時から朝3時まで寝て5時半に到着したので、時差ぼけがいつもほどひどくありません。もし定時に出発して日本時間の朝2時頃に到着していたら、もっとひどかったでしょう。

下宿先に戻ってきたわたしを待っていたのが、Dinkyの死が間近というショッキングなニュース。頭の左側に腫瘍があって、体の左半分が麻痺しているそうです。左目も失明していて体を左に傾けてヨタヨタと歩いています。以前は16ポンドあった体重は9ポンドに減り、左半分が麻痺しているので歩きながら転んでしまうこともあるなど、目に見えて衰えました。今日の昼間わたしの部屋に遊びに来たときは、わたしのベッドにジャンプして上がることができないので、わたしが抱えて上げました。

余命は後一ヶ月ぐらいとか。。。わたしの感情面で大きな支えになっているDinky。これまでもわたしが長期間下宿先を留守するたびに、「自分がいない間にDinkyが死んでるかも」とちらっと思っていたので、「ついにこのときが来たか. . .」という気持ちです。Dinky、もう17年以上生きていてお年ですからね。「Xデー」が来るのをどきどきしながらしばらくは過ごすことになりそうです。

(写真は、わたしのベッドでお休み中のDinky。ウインクしているわけではないと思う。。。)

猫の世界は「頭寒尻熱」?

2007-10-27 | 
相変わらず毎日しているDinky。Dinkyと比較したらまだ自分のほうが働いていると思う。(←猫と比べて威張っても・・・

上の写真は、昨夜撮影したセントラルヒーティングの温風でオケツを暖めているDinky。実家の猫たちが以前、ストーブで暖を取っていたのを思い出します。寒い戸外から戻ってくると最初はストーブと向き合って暖を取るけれど、しばらくするとストーブに背を向けて「オケツあぶり」をする、というのがパターンでした。猫にとっては「背中あぶり」なのかもしれないけれど、『クレヨンしんちゃん』の影響か、わたしはオケツ・フェチなのです。


(わたしのベッドの上で寝そべるDinky。グータラし過ぎ!)

猫も頭を暖めるとボケてしまうのか?それとも、人間の足浴のようにケツ、というか下半身を暖めると全身が温まるのか?う~ん、ミステリアスな猫の世界。と思ったけれど、猫は猫で人間の世界をミステリアスに感じているのかも。「なぜ、人間はいつもせわしく動き回っているのか?」な~んて感じてたりなんかして。もしかして、シンプルライフのヒントはの世界にあるのかも。

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『ガーフィールド』に首っ丈♪

2007-09-22 | 
わたしが毎日チェックしているのが、毎日更新される『ガーフィールド』の三コマ漫画サイト。「生意気なんだけれど憎めない」という猫の特徴を生かしたエピソードが多くて思わず笑ってしまうことがしばしば。上の写真は、去年訪れたセントルイスのショッピング・モールにあった、ガーフィールドの乗り物。この写真を撮っていると通りかかった二人組みのおば様に、「これに乗りたいの?」とからかわれました。(←実は本当に乗りたかった・・・)



わたしが『ガーフィールド』ファンになったきっかけは、去年死去したわたしの愛猫・ミサキがまぶたを半分閉じた時の顔が、ガーフィールドのその時の顔とそっくりだったこと。上の写真は、先日訪れた「プワットランド」にあるアンティークのおもちゃコレクションの店で購入したフィギュア($5)。ガーフィールドの「まぶた半分閉じ顔」、「ふんっ」と威張った感じがあってそれがたまらないんだよね~。う~ん、『ガーフィールド』だけではなく猫にはやっぱり癒されるな~。

えっ?「猫を人間の癒しの手段に利用するなんて、人間中心主義!」って?

「動物は非力」という前提の下、動物を見下しているがために人間から動物への一方的な力関係しか見えない「人間中心主義者」が言いそうな台詞ですね。わたしは、「人間と猫は共存関係にあって、人間が猫を癒しの手段に利用するだけではなく、猫は人間に、敵に襲われる心配がなくて『三食昼寝付き』の生活を保障させ、『種』としての猫が繁栄する生活基盤を提供させている」と思っています。人間が猫を利用するだけではなく、猫も人間を利用する。つまり、人間と猫はギブ&テイクの関係

「実家の猫ちゃん、今度帰ったときまたアンタ達のトイレ掃除するからね~。その代わり、愛嬌ふりまいてわたしに癒しを与えなさい!」

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気が付けば、猫がいる。

2007-09-02 | 
上の写真は、親と6月下旬に訪れたオレゴン州アシュランドで撮影。ダウンタウンを散策しているときに見かけた、靴屋のショーウインドーで昼寝をしていた猫です。わたしは近くで猫を見かけたらほっておくことができない性格なので、ウインドーをコツコツ叩いてその猫にご挨拶(←猫には迷惑なだけ)。「猫が近くに見えるのに触れない」というもどかしさは、以前『ガラスがもたらした「欲望の民主化」』という記事で指摘したガラスの特徴の正にそれ。

ショーウインドーにいる猫は、アシュランドに行く一週間ほど前にサンフランシスコでも見ました。閉店した骨董屋(?)のショーウインドーの中にいたその猫は、置物かと一瞬思ったほどです。長袖シャツ着用で丁度いいくらい涼しかったので、東に面して朝日が当たるショーウインドーで日向ぼっこをしていたのでしょうか?(ちなみに、サンフランシスコが一年の中で一番気温が上がるのは9月と10月。)その後、日本食レストランで昼食を取ってからそのショーウインドーに戻るとしっかりとお昼寝しておりました・・・。


(一瞬、本物の置物かと思った)


(サンフランシスコのミッション地区にあるプランタン系日本食レストラン。わたしは揚げだし豆腐と餃子の定食を注文。この二つの組み合わせは濃い過ぎるかなと思ったけれど、普段食べない〈食べれない?〉ので)

 




(食後に見ると、ご覧の通り)

先日まで2週間ほどの間、わたしが夜下宿先に戻ると決まって柵の中で佇んでいたのが、隣の家に住むNoraちゃん(下の写真)。「頭隠して胴と尻尾隠さず」状態です。以前、わたしの家の敷地に遊びにくるたびに撫でようとしたけれど、このNoraちゃん、逃げる逃げる。柵の中だったらわたしには邪魔されないと思ったのだったら、Noraちゃん、君は甘いゼ、ベイビー。「見えるのに触れない」ショーウインドーと違うので、この時ばかりはNoraちゃんの背中を叩いて(もちろん愛情を込めて)自分の存在をNoraちゃんにしっかりアピール。Noraちゃんは嗄れ声で「ニャアニャア」鳴いて喜んでいました(←いや、絶対「邪魔するな!」って抗議してたんだと思う)。



そのNoraちゃん、居場所を変えたようで最近見かけない。でも、俺は君をあきらめないゼ、ベイビー。

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スクリーン広告に登場するセレブ猫♪

2006-06-28 | 
写真は、この町にあるアート系映画館が飼っている猫。名前は「Boo(ブー)」。この映画館に行く楽しみの一つのが、このBooを見ること。下の写真を見れば分かるように、でかい!「アメリカの肥満化は人間だけではなくてペットも」と報告していた以前読んだ雑誌記事は、的を得ているのかも。このBoo、9キロ弱あってちょっとしたクッションのようです。体格に比例して性格もどっしりしているようで、周りが大勢の観客でごった返していてもマイペース。ロビーに置かれた椅子の上でいつも寝そべっています。



このBoo、ほんじょそこらの猫とは身分が違うのです。なんと、映画館での本編上映前にBooを紹介するスクリーン広告が登場するという、セレブな(?)猫!Booのボーとした顔のアップ写真が、以下のような紹介文と共にスクリーンに大写しになります。

―――――――――――――――――――
Meet Boo!

She was adopted.
She is almost twenty-years old.
She is 19 lbs. (She is dieting.)
She doesn't eat popcorns.
―――――――――――――――――――

どこからかは知らないけれど、この映画館が引き取った20才になるBoo。映画館に住んでいても、さすがにポップコーンは食べないようですね。「ダイエット中」だというのが笑えます。一日中ぐーたらしていても自分のスクリーン広告を製作してもらえる猫は、世界広といえどもほとんどいないはず。「わたくし、自分を紹介するスクリーン広告を持っておりますの。ほんじょそこらの猫とは身分が違いますのよ、オホホ!」などと「エリートチック」な事を言いそうな雰囲気はBooには・・・、ないですね。

地元経営の映画館だからこそ、スクリーン広告も自分たちが好きなようにコントロールできるのかもしれないし、ペット・フレンドリーなこの町を象徴している、とも言えるのかもしれません。飼い猫紹介のスクリーン広告を流すという「ちょい遊び心(「ゆる~い」遊び心?)」、わたしは大好きですが、日本でやると不謹慎?

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猫を救済する中古品店♪

2006-04-21 | 
大掃除をしました(フエ~)。不要な本は古本屋に持って行きましたが、引き取ってくれない本もかなりあります。(わたしは本を読むのが半分仕事なので、それなりに本は買っています。)それらの本をどうするか?

売上金を猫の救済に使用する中古品店に行って、寄付してきました。下宿先から自転車で3分くらいの所にあります。今日は、そんなに広くない店内に猫が23匹いたそうです(全部見てないけれど)。わたしは、この店に行って猫を見るのが楽しみ♪

こららの猫は、店がシェルターから引き取ったそうです。詳しく聞きませんでしたが、シェルターにいる動物というのは、ある期限が来ると「お陀仏」になる運命にあるのではないかと思います。それを避けるべく店が引き取り、里親を探しています。避妊手術や、里親が見つかるまでこの店で飼っている間の餌代などに、店の売上金が使われているようです。そんなにいい物は売っていませんが、わたしは、両親へ仕事用のシャツなどを購入したことがあります。以下は、その店で撮影した猫たちです♪


(店のど真ん中で堂々たる昼寝っぷり!ここは猫が主役ですからね♪)


(「おまえ、まだそんなんで遊んでんの?俺はもうとっくに卒業したぜ」と右の猫が言っているのかどうかは定かではありませんが・・・)


(ただいま、かくれんぼ中。「うーん、ここにもいないな・・・」)

人間と猫の気持ちは一致する?

2006-04-07 | 
写真は、実家で飼っている猫の一匹。名前はミサキ。「目力」があってタキシード模様の「tuxedo cat」。鼻に「ちょび髭」がついているのがご愛嬌。わたし自慢の「息子」です。

このミサキ、実家の裏にある家の屋根裏で、他の3匹といっしょに野良猫として生まれました。子猫たちは少し大きくなると、母親猫といっしょに「下界」に降りて散歩 ―というか餌探し?― をするようになったけれど、ミサキだけ屋根から降りることができなかったようです。「落ちこぼれ」ならぬ、「降りこぼれ」?ミサキの「ニャオン、ニャオン」という泣き声で3日間ほど、わたしは夜中目を覚ましていました。屋根に一匹だけ取り残された子猫。泣き声が哀れに聞こえてしょうがなかったわたしは、ある日の昼間また一匹で取り残されているところを、ある方法を使ってミサキを捕まえたのです。

その日以来、実家で飼われてもうすぐ5年。今ではすっかり飼い猫になり、「元ノラ」という感じはありません。毎日2食の食事を保障され、それなりに腹一杯食べているはず。暴れたいときは暴れ、眠いときは眠る・・・。ミサキはこの家で飼われて良かった!

というのは、あくまでもわたしという「人間」の見方。わたしが時々思うのが、ミサキを飼ってホントに良かったのか、それともあのまま野良猫として放っておいたほうが良かったのではないか、ということ。今は食事は保障されているけれど、動き回れる範囲は限られています。野良猫として餌を探し回るというと、「そりゃあ、飼い猫として食事を保障されているほうがいいに決まってるよ」と思うかもしれないけれど、それはあくまでも人間の論理。猫にしてみれば、餌を探し回るというのは人間が思うほど大変ではないかもしれません。餌を探し回り、眠いときはどこでも好きなところを探して眠る・・・。猫にしてみれば、飼い猫になるよりも野良猫であるほうが自由でいいのかも・・・。自由がいい、というのも人間の論理かもしれませんが。

このブログで以前言ったけれど、わたし達は自分の価値観や物差しだけで相手/物体/現象などを判断しがち。それに、自分がいいと思うことは相手もいいと思うに違いない、と思いがち。でも、自分にいいことは相手にもホントにいいのでしょうか?

実家に里帰りする楽しみの一つが、ミサキを含めた猫や犬との再会。「アニマル・セラピー」という言葉もあるとおり、ペットとの交流は心が和むもの。人間の気持ちを、猫や犬はどのくらい理解しているのか知らないけれど・・・。

この町は「ペット・フレンドリー」?

2006-03-23 | 
ベジタリアン・フレンドリー、自転車フレンドリー・・・。わたしが住んでいる町は、ベジタリアンや自転車に比較的優しいと言われています。それらの「フレンドリー」に加え、わたしが個人的に感じるのが、「ペット・フレンドリー」でもあること。下宿先近辺ではよく猫を見かけるけれど、それらの猫に対する苦情というのは、少なくともわたしは耳にしません。自然食品店やコーヒー・ハウスにある掲示板では、「子猫譲ります」(写真上)や「迷い犬見つけました」などのペットに関するチラシがよく貼られていて、関心の高さを感じます。(ちなみに、写真に書いてある「Box Trained」というのは、「トイレの躾ができている」という意味です。)



上の写真は、下宿先の隣が飼っているNoraという名の猫。我が家の倉庫にいるところをパチリ。この家に以前住んでいた方が飼っていたそうですが、その方が引っ越すとき、隣の家が引き取ったそうです。このNoraちゃん、昔の家がなつかしいのか、よく我が家へ遊びに来ています。時々車の上で昼寝をしているけれど、下宿先の方がそれを嫌がることはありません。車をいつもピカピカに磨き上げている人が見たら、すぐさま追っ払うところでしょうが・・・。

日本では、猫に対する苦情が多いようですね。ペットボトルに水を入れて並べておくのは、猫除けのためとか。実家が飼っている猫たちも、隣の家から苦情があって以来、屋外には出さないようにしています。日本とアメリカ、というよりもこの町の状況は違うので、単純比較はしたくないのですが、どういう事情であれ、犬や猫などのペットと共存できない/しようとしないコミュニティーというのは、どこか「いびつ」のような気がします

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ペットが可愛いのはなぜ?

2006-02-18 | 
下宿先にいるDinky(猫)とSpotty(犬)が、カメラのフレーム内に二匹そろっていたので急いでシャッターを切りました。家の中と外にいるとはいえ、この二匹がお互いにこれだけの至近距離にいるのは珍しいこと。二匹は犬猿ならぬ「犬猫の仲」というより、DinkyがSpottyを嫌がっているようです。Spottyは人懐っこく、誰とでも遊びたがるタイプ。反対にDinkyは、わたしが「Grumpy Dinky(不機嫌なDinky)」というあだ名をつけているくらい、不機嫌そうな顔をしているときが多く、「うざいのは嫌いなんだよ!!」というタイプ。そんな「うざいSpotty」を嫌ってDinkyが家出をしたことがあるのは、『Mr. Marty Dinks家出事件』で以前報告したとおり。

わたしはペットが好きなので、こうして下宿先に犬や猫がいるのはうれしいことです。しかも、下宿人のわたしが基本的に世話をする必要はないし。自分の気が向いたときだけ可愛がって、食事の心配をしなくていいですからね。

ペットが好きだという方は多いと思いますが、ペットを可愛いと思うのはなぜか、考えたことがありますか?人間より頭が悪いがゆえ、人間が支配できるからですよね。例えばスポーツにおいて、後輩が自分より下手なときはその後輩は可愛いけれど、その後輩が実力で自分を凌ぐようになると、その後輩を脅威に感じたりしますよね?もし犬や猫の頭脳が発達し、人間の支配に反抗し始めたら・・・?犬や猫が人間のペットでいられるのは、人間の支配下に置くことができるから―。人間は動物を支配できる権力があるからこそ、その権力を乱用することなく、動物の扱いというのには責任を持ちたいものですね。

瞑想する猫

2006-01-04 | 
上の写真にギョ!とされた方、ごめんなさい。ポートランドの猫グッズ専門店で売られていたバックの絵です。猫好きの方に「しゃれ」でプレゼントすると、喜ばれるかも!?この猫グッズ専門店、わたしがポートランドを訪れると必ずチェックする店の一つです。なかでも気に入ったのが、下のコーナー。





猫という動物はちょっと哲学的というか、ある意味不思議。だからこそ写真の「猫仏陀」や「考える猫」、それに「座禅する猫」が何となく様になっているというか・・・。こうしてDinkyの写真も並べてみると、Dinkyも猫なりに何か考えているのかも・・・。これを犬でやってしまうと、「大丈夫か?犬がこんなことしてて」と心配になってしまいますが。

猫好きにとって猫というのは、「自分勝手で生意気なんだけど、そこが可愛い」という逆説的な魅力(paradoxical attraction) があります。わたしは毎日、漫画『Garfield』をチェックしていて、Garfieldが「生意気なんだけど憎めない」というエピソードが多くて笑ってしまいます。今年は戌年らしいけど、猫の不思議な魅力からは逃れられそうにはありません。

「世は満足じゃ」

2005-11-07 | 
昨晩撮影したDinkyです。新しいソファはDinkyのお眼鏡にかなったようですね。わたしのベッドもお気に入りで、下宿先に晩帰ってくるとよく寝ています。わたしが頭をなでると「ンフー」と首を伸ばし、「世は満足じゃ」と言わんばかりの恍惚の表情を浮かべるDinky。雨のオレゴンでは、猫も家の中であったかくして寝るにかぎる?


おニューのソファ、異常なし

2005-11-01 | 
この変哲もないようなDinkyの後姿。これをわざわざ掲載した理由は?

この写真のDinkyは、下宿先にきた新しい(中古だけど)ソファ(couch)をチェックしてるんですね。猫を飼ったことある人はご存知のように、猫は新しい物好き。というか、見たこともないものがあったら、自分にとって安全なものかどうかチェックする?Dinkyもその辺はしっかり「猫」してます。