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oregonian way of life. 

オレゴンでの学生生活から南下して社会人生活へ。IT産業でホットなサンフランシスコ・ベイエリアで地味~に文系の仕事してます

英語を話す「クレヨンしんちゃん」に感激!

2006-09-11 | クレヨンしんちゃん
昨日の夜スプリング・フィールドをバスで出発し、シャンペーン(Champaign, Illinois)にやって来ました。周りをトウモロコシ畑に囲まれた、イリノイ大学所在地です。ここではちょっと豪華にモーテル(自動車旅行者用のホテル)に宿泊し、久しぶりにお風呂を堪能しました。脱塩素剤、重曹、ホホバオイル、それにローズマリーオイル入りでリラックス。(←その後、お風呂のお湯を使って洗濯しました。念のため)

久しぶりにお風呂を堪能したわたしを、更なる感動が待っていた!テレビで『クレヨンしんちゃん』を放映していたのです!(なぜかそのチャンネルは画像が悪かったけれど。)もちろん英語。しんちゃんのあの独特の言葉遣いは英語にはないけれど、声や全体の雰囲気はオリジナルのまま。ジブリ作品もそうだけれど、オリジナルの雰囲気を壊さずにうまく吹き替えをしているのに感心します。

上の画像は、「お立ち台」の上で「ゾウさんダンス」を披露するしんちゃんと、それを見て喜ぶ妹のひまわり。下の画像は、カメレオンごっこをしているしんちゃん。相変わらずおバカですね~。でも、そんなおバカな場面を写真に撮って、こうしてブログにアップするわたしはもっとおバカ!?



トウモロコシ畑に囲まれたアメリカのハートランドで、『クレヨンしんちゃん』をテレビで観れるとは!しんちゃんから「おバカ・パワー」をいっぱいもらったので、こらから移動が多い旅行を乗り切ります。今日の夕方、バスでオハイオ州シンシナティに向かいます。

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「広告はあなたの親友」?

2006-03-06 | クレヨンしんちゃん
『クレヨンしんちゃん』に、「売間久里世(うりま くりよ)」という名の「地獄のセールスレディ」が何度か登場しました。しんちゃん家族に何かを売りつけようとするけれど、しんちゃんに「コケ」にされていつも失敗。

その売間久里世が用いたセールス・テクの一つが、「不安戦法(scare tactics)」。例えば、「小学校に上がる前に足し算や引き算くらいできないと、これからは落ちこぼれますよ!」と言って母親を「脅し」て不安にさせ、「でも、この教材で勉強すれば大丈夫!」とその不安を解消する手立てをする、という方法です。この不安戦法、もちろん売間久里世だけのものではありません。普段広告を見ていると、あふれてますよね?口臭や体臭をはじめとする衛生用品、健康食品、それに、「そんなんじゃあ異性に嫌われる/もてない」と「脅す」数々の広告・・・。 

この不安戦法が広告で多く使われだしたのが、アメリカでは1920年代だそうです。アメリカ国内における都会人口が、いわゆる田舎/農村人口を初めて上回ったのが、確か1920年頃だったと思います。都会に住んでいたり会社で働いていたりすると、異性だけに限らず多くの出会いがあります。そんな社会で重視されるのが、「第一印象」。それなりに清潔でおしゃれ(少なくともダサくない)にするのは必須ですね。

多くの出会いがある都会生活。が、例えばもし口臭や体臭がきつかったら、誰が指摘してくれるのか?家族をはじめとする、それなりに親しい間柄の人に限られるでしょう。不安戦法を取っている広告や、売間久里世のようなセールスレディもある意味、消費者の「親しい相談相手(confidantes)」としての役割を担っているそうです。口臭や体臭があると周りから嫌われる、というCMを流し、「もしかして俺/わたしも口臭や体臭があるのかな・・・」と消費者に自分の臭いに意識を向けさせ、「でも、これを使えば大丈夫!」とばかりに「アドバイス」を送る・・・。不安戦法を取っている広告というのは、消費者のことを「心配」して(と言うよりは不安にさせ?)「的確なアドバイス」を送る、「親しい友人や相談相手」なのです。

蘭丸さんが、ネットワーク・ビジネスに関わっているご友人の事を書いておられたように、人間は、不安なときに親切にされると「コロッ」といってしまいがちです。人間関係が希薄だと言われる現代社会。そんな社会においては、「親しい友人や相談相手」である広告の役割は大きいのでしょうか?

バカと漫画は使いよう?―祝!『クレしん』が教科書に登場!

2006-02-23 | クレヨンしんちゃん
わたしの愛読書『クレヨンしんちゃん』が、「核家族代表」として、中学生の公民教科書に登場するそうです!(ちなみに、わたしのノートパソコン(laptop)の壁紙は『クレしん』です。)

この『クレしん』、日本PTA全国協議会が調査す る「子供に見せたくないテレビ番組」の常連らしいですね。「言葉遣いが悪い」、「大人をおちょくっている」などの批判があるようです。これらの批判、言いたいことはわかります。が、わたしが先日『ペットが可愛いのはなぜ?』で言ったように、自分の支配下に置くことができる子どもを大人は可愛いと思うのでは、と思ってしまいます。しんちゃんのように、大人の権力に平然と挑戦する子どもを快く思わない大人は多いのでしょうね。

歴史家は時の通訳者』で言ったように、この『クレしん』のおもしろさの一つが、裏表がない子どもの視点から見た「大人の不思議な世界」。わたし達には当たり前に思える大人の世界というのが、いかに本音と建前で成り立っているのかよくわかります。その好例の一つが、『「クレヨンしんちゃん」が暴く、大人の矛盾』で述べたような、「生き物を大切に、と言いながら動物の肉を食べる大人」。しんちゃんから見たら、大人の世界というのは不思議なことがいっぱいなのです。

いわゆる娯楽メディアといわれる映画、ドラマ、音楽、漫画、それに広告などは、様々な視点からいろんな見方、読み方、聴き方ができます。『クレしん』を、「俗悪」の一言で片付けてしまったらそれまで。この世の中、何事も使い方次第なら、漫画も読み方次第です。

(写真は17巻、双葉文庫刊)

巷に溢れる「年増の若作り」

2006-01-06 | クレヨンしんちゃん
このブログではお馴染み、『クレヨンしんちゃん』。その漫画のあるエピソードから。

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友達4人と、順番で怖い話をしているしんちゃん。しんちゃんの番です。

しんちゃん「この前、(友達の)風間君ちに行ったら、風間君のお母さんが・・・」
友達「(次にどんな怖い言葉が飛び出すかと、みんな緊張・・・)」
しんちゃん「すっぴんで出てきた~」
友達の一人「ひえ~!!」
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大人をおちょくるのが得意なしんちゃんが、からかいの対象によくするのが化粧。当然、母のみさえ(ちなみに29才)に対して多く、しんちゃんが夜、寝室に入ってきた蚊を退治しようとするエピソードでは、退治する「最後の秘密兵器」として、みさえの「寝起き、すっぴん、目半開き」の写真を蚊に見せ、悶絶死させようとします。そんなしんちゃんが、みさえをからかうときによく使う言葉が、「年増の若作り」。みさえは、『年を取るのは当たり前』で述べたような、年を取るという事実に対して無駄な抵抗をしている主婦です。

そんな「無駄な抵抗をする年増の若作り」向けの記事を、アメリカで発行されている日本語情報誌で発見しました(写真)。女性消費者の皆さん、今年の流行色は「ゴールド」だそうです!さあ、流行遅れにならないよう、店へダッシュ!!(記事に「来年」と書いているのは、この号が去年の終わりに発行されたから。)



この記事によると、ゴールドを選んだのは、資生堂「ザ・メーキャップ」のカラー・クリエイターなる人物。「最近、シワ取り注射や美容整形に頼る女性が増えているけれど、ゴールドのメークをするだけで、ぐっと若返ることができる。メイクの力で、女性には健康的に若々しくなってほしい』。これが、僕の願いなんだ」だそうです。グッとくるものがありますね~。「ぐっと若返る」って、どの程度若返ることができるのでしょうか?80才のおばあちゃんが20代に見えるようになるっていうんだったら、わたしも買ってやってもいいけど。

クレヨンしんちゃんではないけれど、巷に氾濫する「年増の若作り」。今年はゴールドのメークをした「舞台女優」気取りのオバハン達が、巷に溢れるのでしょうか。想像しただけでホラーですね・・・。

『クレヨンしんちゃん』にみる、現代日本の食志向

2005-12-22 | クレヨンしんちゃん
以前、漫画などのメディアは時代を映す鏡、だと言いました。現代人の食志向というのも、当然メディアは表しています。またまた『クレヨンしんちゃん』を使わせてもらいますが、幼稚園児のしんちゃん一家が主人公のこの家族漫画には、当然食事シーンが多く登場します。そのようなシーンはたいてい、「肉や魚料理はご馳走でおいしく、野菜はまずい」という前提で描かれています。一家が三重県に旅行して温泉ホテルに泊まったときは、「肉も魚もうまいや。三重県サイコー!」という台詞が登場しました。今の時代、肉か魚がおいしければご馳走だとよべるようです。

「野菜はまずい」という暗黙の了解の下に描かれているシーンもあります。

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泊りがけでスキー旅行に来て、夕食中の園児たち。ある事情により、友達の野菜天ぷらを食べる「はめ」になったしんちゃん。それを見て、担任の吉永先生が発した言葉。

「(感動して涙ぐみながら)偉いわしんちゃん、友達の犠牲になって・・・。」
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野菜の天ぷらを食べるのが「犠牲」?友達の分の野菜天ぷらを食べることは「犠牲」なのです!つまり、野菜はまずい、のです。

人間の舌というのは元々、砂糖や肉をおいしいと感ずるようにできている、ということをちらっと聞いたことがあります。わたし自身、子どものときより今のほうが野菜がおいしいと感じる、のも確か。ただ、問題だと思うのは、『クレヨンしんちゃん』を読む多くの子どもたちが、「野菜嫌いなのが普通なんだ」と、無意識に思うことです。子ども達が親しみを感じる漫画が、「クレヨンしんちゃんも野菜が嫌いだよ。野菜ってまずいよね」という免罪符を子ども達に与える影響、というのは大きいのではないかと思います。このような時代だからこそ、「media literacy」というか、メディアを見る目を養う必要性があるのでしょうね。食育も必要だと思うけれど、子どもは(大人も)メディアとの付き合い方も学ぶ必要がありそうです。

それに、肉食の方がベジタリアンを不思議に思うことの一つに、「なぜ、そんなまずい野菜ばかり食べてるんだろう」という疑問があるのではないかと思います。食というのは、健康を維持するという実用的な目的のほかに、「おいしいものを食べる」という官能的な悦びもあります。しかし、「肉や魚はおいしいけど、野菜はまずい(または、少なくとも肉や魚のほうがおいしい)」と思う人にとって、ベジタリアンというのは、食における快楽的な部分を否定している人、だと映るようです。「食における快楽を否定し、まずい野菜ばかり食べて、健康のために、ひたすらストイックに生きるベジタリアン」・・・。わたしを含めたベジタリアンにしてみれば、食における快楽の部分を否定しているわけではないのですが。

『クレヨンしんちゃん』にみる、現代日本の消費者像

2005-12-04 | クレヨンしんちゃん
『「自然食品は値段が高い」は本当か?』の補足です。

現代の消費者心理を説明する手段の一つとして、「社会=劇場」という概念をこのブログで使用してきました。この消費者心理をよく表しているのが、わたしの愛読書『クレヨンしんちゃん』に出てくる松坂先生です。しんちゃんの担任ではないけれど、しんちゃんが通う幼稚園の先生です。24歳の女性で独身。しんちゃんに言わせると、「見た目はいいけど、見栄っ張りで性格は最悪」という設定です。その松坂先生に関して、次のようなエピソードがありました。

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自分の部屋にいる松坂先生。買ったばかりの服を眺めながら、「今日もまたブランドの服買っちゃった。これ着て街を歩くと男がみんな振り向いたりして、オホホホホホー!(自信満々)」

次のコマでクレジット・カードの請求書を見ながら、「これでまたしばらくカップ・ラーメンの生活か~
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たとえ毎日カップ・ラーメンを食う羽目になっても、ブランド服は高くても(高いからこそ?)買う松坂先生。「ブランドは高くてもいいけど、食品は安い方がいい」と思う現代の消費者の代表みたいなエピソードです。別のエピソードでしんちゃんが、「松坂先生は安月給なのに、あれだけブランド品が買えるのはなぜだ」と言う場面がありますが、その秘密は毎日のカップ・ラーメンにあったようです。そんな松坂先生だったら、きっとこう言うでしょう。

「自然食品やオーガニック食品? そんなもん高くて買ってらんないわ!カップ・ラーメンすすってりゃいいのよ!」

別のエピソードです。幼稚園で寒中水泳をやることになったとき、松坂先生が思ったことは、「新しい水着買わなきゃ。去年のをまた着るのは、わたしのプライドが許さないわ。」水着はよっぽど使用しない限り、何年でも持つものです。しかし、それでは水着が売れない!毎年、テレビのニュースなどで水着のショーの報道を耳にします。そこでニュース・キャスターが、「今年の流行は○○だそうです」なんて言いますが、これは要は、「今年の流行は○○だから、去年の流行だった△△はもう古いぞ。新しい水着を買えよ」と消費者に圧力をかけているようなもんでしょうね。新しい水着買ってもいいけど、古い水着はどうしろっていうんだろ?

こんな松坂先生だから、クレヨンしんちゃんに「見栄っ張り」呼わばりされるんでしょうね。現代日本の消費者の代表みたいな、愛すべき(?)キャラクターです。

『クレヨンしんちゃん』が暴く、大人の矛盾

2005-10-26 | クレヨンしんちゃん
わたしの愛読書『クレヨンしんちゃん』に、次のようなエピソードがありました。

怪我をした小鳥を家に持って帰ってきたしんちゃん。
ひろし(父):「(小鳥を手当てしながら)こいつあひでえや」
みさえ(母):「誰がこんなひどいことしたのかしら」
しんちゃん:「ところで今夜の夕食は?」
みさえ:「焼き鳥よ」
ひろし:「いいねえ~、ビールといっしょにクイッと」
聞きながら、小鳥は冷や汗を流す・・・。

本が手元にないので、台詞は言葉どおりではありませんが、このような内容でした。幼稚園児のしんちゃんが、大人の本性を暴いたり、大人の世界の矛盾をついたりすることが、この漫画の笑いのつぼのひとつになっていて、上のエピソードはその典型例です。子どもに対し、生き物の飼育をとおして命の大切さを教えることが教育の一環といいながら(小学校にウサギ小屋がありますね)、給食に平気で牛や豚、それに鳥の死体を出すのが日本の教育です。

ひろしやみさえのように、この矛盾に気づかないのはなぜでしょうか?「肉を食べるのは人間の健康維持のために必要だから。そのためには動物が犠牲になるのは仕方がない」などと考える人もいるでしょうが・・・。