oregonian way of life. 

オレゴンでの学生生活から南下して社会人生活へ。IT産業でホットなサンフランシスコ・ベイエリアで地味~に文系の仕事してます

マスコミが広める、「人間と動物は別」

2007-02-27 | 見方・視点
<子豚受難、ワニの餌に=公開処分1500匹、価格下落で-タイ

 【バンコク26日時事】豚肉価格が下落しているタイで、子豚を処分してワニや魚の餌にする養豚業者が相次いでいる。政府の支援を求め、子豚の公開処分の デモンストレーションを実施する業者も出現。農業・協同組合省は「食肉処分場以外で豚を処分した業者は罪に問われるべきだ」と非難声明を出す騒ぎになっている。<以下略> 2月26日21時0分配信 時事通信(YAHOO!ニュースより)
------------------------------------------------------------------
先日賑わした鶏インフルエンザの報道もそうだけれど、この手のニュースを読むと感じるのが、「動物と人間は別」という前提。この前提は、「ワニの餌に」や「子豚を処分して」など、記事で使用されている言葉を見れば分かります。

人間は「処刑」、動物は「処分」
人間は「食事」または「メシ」、動物は「餌」

アメリカの広告業界は20世紀の世転換期、ダーウィンの進化論などへの対応として、人間と動物の間に明確な線引きをするために「身だしなみ」を促進する広告に力を入れ始めたけれど、人間と動物の間に明確な線引きをしているのは、現代の日本マスコミも同じ。意識的なのか無意識なのかは知らないけれど、このような記事を通してマスコミは、「人間と動物は別」という見方を広め、人間が動物を食べることに対する罪の意識を軽減していますね。と言うより、罪の意識など最初からないのかもしれません。「子豚を処分する」なんて、「粗大ごみを処分する」のと同じ感覚だモンね。

それに、ご存知のように、「餌」や「食事」という言葉はその物体の本質とは何の関係もありません。人間が「食事」として食べている物と同じ物を犬が食べれば、それは「餌」になります。食べている物が同じでも、それを食べる主体によって呼び名が変わるわけです。なぜ、人間が食べるのと動物が食べるのとでは呼び名を変えなければいけないのか?「餌」という言葉が出てきたのはいつ?誰が使い始めたの?どういう背景から出てきたの?疑問は尽きません。

な~んて正論をぶつと、「楽しい」が幅を利かす現代消費社会ではひかれてしまうのでしょうか?「あんたが言っていることよくわかんないけど、豚肉は好きよ、おいしい!おいしい物いっぱい食って、この人生エンジョイしなきゃ!!」 はい、わかりました・・・。

人気blogランキングへ

「楽しい!」気分で消費文化の発展に貢献!

2007-02-24 | 消費文化
わたしが普段チェックしているenjoy_lohasさんのブログ、『Let’s enjoy LOHAS!』。「う~ん、これがロハスか~」という記事が満載で色々学ばさせていただいています。

で、そのブログのタイトルからもわかるように、ロハスの心理的キーワードとも言え、enjoy_lohasさんがよく強調されているのが、”楽しい”。enjoy_lohasさんが先日、『「正しい」より「楽しい」』というタイトルの記事で以下のようにおっしゃっていました。

Aちゃんは今後マクロビの料理教室を展開しようと準備中なのですが、話していてあらためて“やっぱり「正しい」じゃなくて「楽しい」がキーワー ドよね”って思いました。Aちゃんのまわりにはストイックなマクロビアンが多くて、正しい正しくないで他人批判や競争に入っちゃう人が多いんだそう。だか ら宗教的になっちゃう。

この文と記事タイトル、「日本の消費文化は、アメリカのそれと同じ道筋をたどって発展した」という主張を基にわたしが論文を書くならば、その主張の裏付けとなる証拠(evidence)として採用したいくらい。なぜかって・・・。

19世紀頃までのプロテスタント系アメリカ人にとっては、「この人生を楽しもう!」なんて考えは世俗極まりない、宗教心や道徳心の堕落の象徴。この世ではひたすら自分の仕事を遂行し、倹約を美徳として慎ましい生活を送り、個人の利益よりも公共のそれを優先させてこそ「あの世で救われる」と信じていた、というより信じないといけないと思っていた(?)そうです。(”自分探しの旅”に出るなんてもってのほかだったんですよ、中田さん。)「真のキリスト教徒たる者、世俗的な楽しみを追求するべからず」という考え(というより理想?)が主流だったとか。

宗教が中心だったこのアメリカの精神文化が、精神科学やセラピーが幅を利かす精神文化へと変化するきっかけとなったのが、20世紀の世転換期、合理主義の下に誕生した産業&企業社会。規律や自己統制を重んじる社会でストレスを訴えるアメリカ人が急増し、宗教家よりも精神分析医をはじめとするセラピストの権威が上昇。(同時期にはフロイトなどが出てきて心理学が発達し、精神科医をはじめとする心理面をケアする専門化が登場。)精神衰弱の国民が多いと、国の産業生産能力が低下しますからね。こんなストレス社会に必要だったのが、”精神や感情の開放”、つまり、癒しや気分転換。「おいしい!」、「気持ちいい!」、それに「楽しい♪」という気持ちをもって、企業社会で抑圧された感情を解放することが必要だったのです。この時期に遊園地ができて人気を呼んだのは、仕事では得られないスリルを求め、ローラーコースターに乗って「キャー!」と叫んでストレス発散したい市民が大勢いたからこそ。

アメリカの消費文化研究の第一人者が主張しているのが、"楽しい"という気持ちに代表される「精神や感情の開放の必要性こそが、広告が発展する精神基盤を築いた」ということ。19世紀までの広告といえば、「パン売ってます。住所は○○です」という、生産者の簡単な情報のみ。それが、世転換期に写真を含む広告技術が発達したほか、信仰心を守るよりも感情の開放を必要とする精神文化が主流になると、広告がしっかりとその新しい文化を活用。その結果、

このパンおいしいよ。しかもヘルシー!ほら、この広告の子ども見て!このパンを食べるときの楽しそうな顔!このパンを毎日食べてるからとっても健康そうでしょう!だから、この広告を見ているお母さん。このパンを買って子どもに食べさせてよ!えっ?パンは自分で作る?まだそんな面倒なことしてるの!?このパン買うとパン作る手間を省けて、余暇の時間が増えるよ。家事の時間を減らしてその分映画館に行ったほうが楽しいよ。この人生、楽しまなきゃ!

という趣旨の広告が出てきたのは、日本人もご承知の通り。そういえばキムタクが、新商品の宣伝で以下のような発言をしたとか。

男性もオシャレを楽しんでほしい。好きな色を選んでヘアカラーをもっと自由に楽しんで (YAHOO!のデイリースポーツより)

ほらほら、今は男だってオシャレを楽しむ時代。あのキムタクがそう言うんだから間違いなし!ほら君も、黒髪が日本人の誇りなんて古臭いこと言ってないで、髪を染めよう!髪を染めて、オシャレを楽しもう!あのキムタクがそう言ってるんだから(←しつこいっつうの!

そう、”楽しい”というのは、現代でも多くの広告メッセージのキーワード。「人生、楽しもう!こんなことしたり、こんな所に遊びに行ったり、こんなの買って使えば、楽しいよ!」というのが、多くの広告のメッセージの前提です。現代のわたし達はすでに高度化された広告文化の下で成長したから、"楽しい"という気持ちに価値を置くのは当然でしょうか?広告と消費者の関係はどうであれ、わたし達が"楽しい"という気持ちに価値を置く限り、「楽しもう!」をキーワードとする現代の広告の傾向はずっと続いてゆくのでしょうね。広告に対する考えは人様々だと思うけれど、わたしを含めて「楽しいことはイイことだ」と思っている人は好むと好まざるとに関わらず、広告を中心とする現代の消費文化を支えている、と言っても過言ではないでしょう。

“楽しい”が幅を利かすこの消費社会。「人生を楽しむ」という気持ちを持つことこそが、"正しい"消費者なのかもしれません。

人気blogランキングへ

食志向のパラダイム・シフト

2007-02-18 | 
「植物だって生きているんだから菜食主義なんておかしい、肉だって感謝して食べればいいんだ」と思う方へ。

あなたが人肉食主義者に会ったときに、豚や牛だって生きているんだから人間を食べないのはおかしい、人間の肉だって感謝して食べればいいんだ」と言われたらなんと答えるのでしょうか?

或は、「猫肉を食べない」「犬肉を食べない」人に向かって、「犬猫も生きているんだから、牛や豚と同じように感謝して食えばいいんだ」と思うのでしょうか?

各人に線引きがあります。その線の位置が少し違うのです。

------------------------------------------------------------------------------------------
上の発言は、kawauso999さんの記事からのを引用です。この記事、特に最後の「各人に線引きがあります。その線の位置が少し違うのです。」という言葉にハッとさせられました。

わたしが以前『「ベジタリアン」という言葉の問題点』で指摘したように、わたしが気になっているのが「菜食と肉食」という二極分化。肉食の正当性を問われた肉食者がdefensive(防衛的)になったり攻撃的になったりする傾向があるのは、「菜食 vs. 肉食」という二極化された枠組みの中で食志向を捉えているからではないでしょうか?戦争やチーム・スポーツのような二極化の枠組みで考える議論では、「非難&攻撃 vs. 防御&反撃」という生産性のない議論に終始しがちのような気がします。平和主義者を自認する”菜食者”が多いようだけれど、「肉食をやめて菜食を!」というような「菜食と肉食」という二極化枠組みで食志向を判断していると皮肉にも、「菜食 vs. 肉食」という対立土壌を無意識のうちに作り出しているように感じます。菜食者が「肉食をやめて菜食を!」と言うときの前提にあるのは、"善(菜食)"と"悪(肉食)"ですからね。

しかし、食志向というのは肉食と菜食の二種類だけではありません。ご存知のように、世界中に存在する食志向というのは様々です。こららの食志向を大きく二つに分類すると肉食と菜食に分かれるのかもしれないけれど、このとき「肉を食べるか、食べないか」を分類基準にしているから、肉を食べることの是非を巡って”肉食者”と”菜食者”の間で不毛な摩擦が起きるのだと思います。

そこでわたしが提案したいのが、”パラダイム・シフト"。「菜食 vs. 肉食」という枠組みで食志向を捉えるのではなく、例えば”肉食者”は”肉食者”としての枠組みの中で自分の食志向について考える事が可能です。一口に”肉食”と言っても、肉食には様々な形態があります。「菜食 vs. 肉食」という枠組みで肉食の是非を考えるだけではなく、「肉食をする」という前提の下に以下のような問いについて考えることも可能です。

「牛、豚、鶏の肉は市場に出回っているのに、なぜ人間や犬猫の肉は市場に出回っていないのか?」

「工場制畜産で生産された肉が健康面、倫理面、環境面で問題なら、家族経営で生産されたオーガニック・ミートならOKなのか?卵だったら放し飼いで生産されたのはOKか?」

「現代社会で肉を食べるのと、昔、例えばネイティブ・アメリカンが狩をしてその肉を食していたのとでは、肉食の文化的な意味、それに環境や健康への影響などについて違いがあるのか?」

これらの問いのように、"肉食者"が肉食自体について考えることが可能です。このような思考方法を取ったほうが、自分の食生活に対してもっと生産的なアプローチができるような気がします。

以上、食志向について考える場合、「菜食 vs. 肉食」、つまり、どちらが(より)善でどちらが(より)悪かという単純な二極分化から脱却して思考枠組みを変えること、つまり”パラダイム・シフト”をお勧めします。「菜食 vs. 肉食」という枠組みだけで考えていると、自分(味方)の食志向の正当性と他者(敵)の食志向のあら捜しに終始してしまいがちになるような気がします。

人気blogランキングへ

過渡期真っ只中の自然&オーガニック用品

2007-02-17 | 消費文化
“We’re fashion first. The fact that they’re organic is a value added product” 「まず、ファッションありき。オーガニック・コットンは付加価値です」

“We don’t like the term health food. We just want to serve delicious food that’s also healthy” 「健康食という言葉は好きではありません。おいしくて、それがヘルシーでもあるという料理を提供したいのです」

---------------------------------------------------------------------------------------

最初の言葉は、オーガニック衣料の製造&販売会社、Under the Canopyの創業者の発言。オーガニックは食品だけではなく、最近では衣料分野でも”IN”(流行)のようです。オーガニック・コットンを支持したいけれど、オーガニック運動家が着てそうなgrungy な(汚くてよれよれしている)ヒッピー&ヨガ系の服は”ヘンテコ”で嫌。そんな、「ファッション業界とメディアが共謀して設定している(?)おしゃれの基準を取れ入れている人」向けをターゲットにした、オーガニック・コットン使用の”おしゃれな”衣料が増えているようです。時代は"Go Organic!"(「オーガニックしよう!」という日本語訳でいいのかな?)

で、二つ目の発言は、この町にあるCafé Yumn!の創業者&オーナーから。このカフェ、以前「ユニークな海苔巻き」で紹介しました。このカフェは現在この町に二ヵ所あるけれど、今後はオレゴン内、西海岸、それから全国へとチェーン展開していくそうです。

この二つの発言に共通しているのが、オーガニックや健康食というオールタナティブな面よりも、ファッションやおいしさという一般受けするコンセプトを前面に打ち出していること。オールタナティブな運動の産物であるオーガニックや健康食がこうしてどんどん主流社会へと出て行くのでしょうね。オーガニックや自然食品がサブカルチャー的な存在だった時代は終わり、現在は過渡期のように感じます。大手企業がオーガニック&自然食品マーケットをco-optしているだけではなく、小さなオーガニックや自然食品会社自らがファッションやおいしさなどを前面に出して主流マーケットに進出してもいます。1980年頃テキサスで開業し、今ではアメリカ中の上中流階級御用達&オーガニック産業の象徴、Whole Foods Market(写真はコロラド州デンバー店)がいい例ですね。近い将来、オーガニックや自然食品があたりまえになる日が来るのかも。

この傾向を、みなさんは歓迎しますか?オーガニックや自然食品が主流社会に入っていくと、それらがどんどん”おしゃれ”になっていく?自然&オーガニック用品を愛好していても、それらにヒッピー&運動家の匂いがするのを嫌う方が多いようですね。しかし、以前も言ったように、少なくともアメリカでは、現在オーガニックや自然食品が社会に広がる基盤を作ったのは、"ヘンテコ”なヒッピーやオーガニックの運動家たち。そんな、資本主義文化を基盤とする体制社会に対抗して発生した自然食やオーガニック運動に加わった人たちが、体制社会で育った”普通の人”には”おしゃれ”に見えないのは当然です。"普通の人"たちが自然&オーガニック用品をco-optするのは悪い事ではないけれど、自然食やオーガニックのパイオニアには敬意を表したいですね。

ちなみに、女性としてハーバード大初の学長に先日任命された方も以下のように発言していましたね。

“I’m not the woman president of Harvard. I’m the president of Harvard.”(わたしはハーバードの女性学長ではありません。わたしはハーバードの学長です)

今後、ハーバード大の学長に女性がどんどん就任するようになって、「ハーバードの女性学長」にニュースバリューがなくなったころには、その辺のレストランに入ったら当然のように自然&オーガニック食レストランだった、というときが来るのでしょうか?

人気blogランキングへ