oregonian way of life. 

オレゴンでの学生生活から南下して社会人生活へ。IT産業でホットなサンフランシスコ・ベイエリアで地味~に文系の仕事してます

罪の意識

2006-07-24 | シンプルライフ
今月初めにお亡くなりになり、この町の情報誌先週号で追悼記事として特集されたのが、Charles Grayさん(写真)という平和&社会正義活動家。Grayさんは18年間、一ヶ月の生活費を100ドル以下で暮らしたことで知られています。これだけ聞くと、日本のテレビ番組にありがちな「貧乏生活に挑戦!」と変わらないけれど、Grayさんの動機は「崇高」です。Grayさんに言わせると、この世界における諸問題の根源は富の分配。そこで考え出したのが、「World Equity Budget(WEB、世界公正予算)」。持続可能な消費レベルを世界の総人口で割って一人当たりの生活費を計算したのが、WEB。1977年当時で75ドルだったそうです。(家賃は恐らく含まれていないと思います。ちなみに、Grayさんはトレーラーで生活していたそうです。)

一ヶ月の生活費が100ドル以下という「厳しい」シンプルライフを実行したGrayさん。この方は恐らく、Charles WagnerやDavid Shiさんのシンプルライフ観には批判的だったのでは?「シンプルライフとは金や物質よりも精神面の問題」だというシンプルライフ観というのは、それなりに裕福な中流&上流階級中心の見方。何十億も一人で稼ぐ人でも気持ち一つでシンプルライフを送れる、というのがWagnerやShiさんの考えです。対照的に、Grayさんのシンプルライフの基準は世界規模。世界の資源を贅沢に使用する「American Way of Life」を送ることで発展してきたアメリカの中流&上流クラスは、金や資源を含めた世界の富を取り過ぎ。(現在でもアメリカは世界の総人口の5%だけれど、石油の使用量は30%だとか。)言い換えると、世界の富を不当に独占しながらシンプルライフを送るなど、Grayさんに言わせるとちゃんちゃらおかしい、ということです。そこでGrayさんが考え出したWEB、ちょっと社会主義的な考えが入っているようですね。この考え方に対して賛成&反対両方の立場から意見を書こうと思ったけれど、長くなるので省略します。

わたし自身、「ゆる~い」シンプルライフでいいやと思いつつ、Grayさんのような「厳しい」シンプルライフに惹かれるのも事実。なぜ?自分がとてもできそうにないことをやっている人に対しては、「凄いな」と単純に思うことが一点。それに、そんな「凄い人」にできるなら近づきたい、とも思っています。わたしは食べる事自体はもちろん好きだけれど、いるかさんがおっしゃるように、断食できるに越したことはないと思っているのも事実。食べるにしても、オーガニック&自然食品を買えばいいやと思いつつ、理想はやっぱり自給自足。今の時点では理想と現実のギャップが大きいけれど、Grayさんのようにそのギャップを小さくできる生活が理想ですね。「"25から75″という中間値でのシンプルライフ」でいいと言っても、25よりも75に近づくのがもちろん理想です。

また、Grayさんが抱いた「罪の意識」にも共感します。Grayさんは最初に結婚をした女性がかなりお金持ちだったそうで、その財産を引き継いだとき、罪の意識に駆られたそうです。「自分がこれだけの富を持っているということは、自分が他人を搾取していることになるのではないか」と。世界レベルで見ると金銭的&物質面的にかなり恵まれているわたしも、心の奥底にある種の「罪の意識」を持っています。この世界には、今日食べる物や安全な水にも困っている人が何億人もいるとか・・・。それに引き換えわたしはといえば、自分から進んで食の選択をしてビーガンをしているという贅沢な身分。(「普通の日本人」はわたしを「厳しい菜食主義者」だとみるのかもしれませんが、わたしは逆に、あえて○○を食べないという選択ができることは贅沢なことだと思っています。)同じ地球上に生活してて、なぜ生活レベルにそこまで差があるのか?Grayさんがおっしゃたように、石油を含めた消費に頼ってその恩恵を受けてきた自分も、「知らぬが仏」で他人/他国/他民族を搾取してきたのでは?わたしがこれまでそれなりのことをやってきたのは、もちろん「自分の努力」というのがあるでしょう。しかし、自分が学業に打ち込めたりスキルを磨いたりできたのは ――言い換えると、自分の事だけを考えてくる事ができたのは―― ほぼ100%消費に頼ってきたからに他なりません

わたしが、特に南国産の食材に対してある種の罪悪感を抱く理由の一つが、奴隷制度や兵力をバックボーンにした帝国主義、それにもちろん人種差別(racism)などとだぶらせてしまうから。映画『チャーリーとチョコレート工場』の記事で述べたように、砂糖は元々カリブ諸島にアフリカから奴隷を連れて来て厳しい労働に従事させ、商品をヨーロッパなどに送っていたもの。それに、アメリカに砂糖やバナナなどが大量に入り始めたのは、1898年のスペイン戦争でキューバ、プエルトリコ、フィリピン、それにハワイなどの「南国」を統治下に納めてから。そのような南国産の食材が元々、遠くはるばるアメリカ本土に運ばれてくるようになったのは、兵力や財力を含めた権力(power)のおかげ以外の何物でもなかったはず。

わたしが現在アメリカでコーヒーを含めた南国産食材を楽しめているのは、世界の富を不当に独占している(?)アメリカという大国のpowerのおかげ。そんな白人中心の大国が、有色人種の労働者を南国で搾取しながら、多くの自国民にはコーヒーやチョコレート、それに多種の果物を安価で大量に提供してきた、というのが現実でしょうか?(Grayさんが大好きだったコーヒーやチョコレートを摂取することを拒否していたのは、それらの生産が労働者を搾取していたから?)そして、労働者を搾取するそのようなシステムを是正しようというのがフェア・トレードである、とわたしは理解しています。

わたしは、「ゆる~い&楽しいシンプルライフ」という基本スタンスを今すぐ変えるつもりはありません。が、自分はこれまで石油や消費にべったり依存してきた(今でも)ということ、そして、そのような依存生活を送ることによって、自分は「知らぬが仏」で他人を搾取してきたのではないかということは、常に覚えておきたいと思います。

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5 コメント

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目的の地 (Tom)
2006-07-24 15:50:04
富の偏りは深刻だと思います。でも考えてみると自分も常に搾取する側の人間。しんのすけさんが言うように、罪の意識を感じつつ、Grayが目指す地に、同じ道を歩んで行きたいですね。きっと搾取する側、される側といった言葉すらなくなる未来に会えるでしょう。僕は自分にも世界を変えることができると信じて生活していきます。
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搾取 (マーフィー)
2006-07-24 19:48:15
搾取と言うとマルクスの資本論を思い出します。 古ぅ~~い(*_*) 人間が『所有』の密の味を覚えてから、永遠のテーマですね! しかし、シンプルライフと一言では語れないのですね。 私の場合は、緩やかなシンプルライフとすら言えないですわ。
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コメント、ありがとうございます (しんのすけ)
2006-07-25 03:31:38
Tomさん、



そのような世界は、わたし達が死んだ後に達成できてもいいと思っています。明日明後日でさっさと変わることではないので、自分たちの意志を次代に受け継がせていけばいいわけですからね。わたしも理想主義者だナイーブだと言われようと、「変わる」という可能性は信じています。



マーフィーさん、



「経済だけで全ての社会現象を説明はできない。マルクスの考えは「経済決定論」で、文化面などを無視している」というのが、最近のマルクス評のようです。マーフィーさんはベジタリアンというだけでも、シンプルライフ度は結構高いと思いますよ。
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こんにちわ (いるか)
2006-07-26 11:23:25
Greyさん凄いですね

正直な人ですね



富を平等に分配するということは

これからの平和な世界を作るためには

必要不可欠なことだと私も思います



お金を分け与えるのもそうだけど

知恵や知識をシェアするという事も

非常に重要だと思っています



いつも勉強になる記事をありがとうございます
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Unknown (しんのすけ)
2006-07-27 13:35:08
いえ、こちらこそ、いつも勝手に色んなこと書いてますが、後はみなさんでそれなりに考えてもらえたらうれしいです。



富を平等に分配するのは、難しい問題ですね。世の中には働き者も怠け者もいますよね。色んな人たちの間で「平等に」富を分けあうとはどういうことなのか、って考えてしまいます。
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