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oregonian way of life. 

オレゴンでの学生生活から南下して社会人生活へ。IT産業でホットなサンフランシスコ・ベイエリアで地味~に文系の仕事してます

鳥は消費主義の象徴

2006-03-12 | 広告
[★お知らせ★ 4月第一週まで更新速度が落ちます。よろしくお願いします]

昨日封切になった、あるロマンティック・コメディ映画。地元の新聞が 満点中点と酷評していたので、「だったら自分好みかも」と思って観に行ったら、やはりまあまあおもろかったです。同居している35歳の息子(=オスの「負け犬」)を、 親元から離れて独立してほしいと願う両親が家から追い出そうと仕向ける話。その映画に、鳥が羽ばたくような動作をしながら息子が家を出ると宣言 した場面がありました。子どもが親元を離れることは、鳥が飛び立つことによく例えられますね。「家から『巣立っていく』子ども」と言うように。

鳥は、20世紀の始まりとともに、ベビー・フードや牛乳の広告に頻繁に出てくるようになったそうです。なぜこの時期?消費主義の台頭と関係があるそうです。鳥と消費主義がどう関係しているのか?母親鳥が巣から離れて虫(餌)を捕まえて巣に持ち帰り、雛鳥に食べさせますよね?人間の消費社会に置き換えると、母親が家(巣)を離れて店で食料を購入して家に持ち帰り、子どもに食べさせる。鳥の食料ゲット法が、消費社会における食料ゲット法と類似しています。

ちなみに、鳥が広告に登場する以前、牛乳の広告に頻繁に出てきていたのは?牛とミルクメイド(乳しぼりする女性)だそうです。牛乳やそれを使用したベビーフードの広告が、「生産者」だった牛とミルクメイド起用から、「消費者」の象徴だった鳥の起用へと変化した・・・。ぶっちゃげて言えば、19世紀までが生産主義の時代で20世紀以降は消費主義の時代だと、アメリカ史の専門家たちは見なしていますが、牛乳の広告はこの変化を反映しているようですね。

広告は他のメディア媒体と同じように、時代を映す鏡。「広告は物質主義の手先」といった評価がよくされますが、一つの芸術作品として鑑賞することをお勧めします。広告を客観的に見るようになると、広告に騙されることがなくなる?

消費を促進するには不安を煽れ?

2006-03-04 | 広告
あなたのストレス解消法は?

わたしは日本の会社で働いていたとき、よく食べてました。夜遅く疲れて「ふー」とため息をつきながら、よく食べてましたね~。夜遅く食べたり食べ過ぎたりは不健康?「うっせー、こっちはストレス溜まってんだよ!そんなこと知るか!」って感じでした。おかげで当然太りましたね。そうやって腹一杯食べてから、ゆっくり風呂にも入ってましたけど・・・。

酒を飲む、という方も多いようですね。ショッピングをしてストレス解消という人も多いのでは?がんばって働いている自分へのご褒美と称して、ブランド品を買ったり旅行へ行ったりする方もいるでしょう。スポーツをする?今から考えると、そのような肯定的な方法でストレス解消をすればよかったと思います。色々なストレス解消法がありますが、食べたり、飲んだり、ショッピングしたりという、何らかの「消費(consumption)」をすることによってストレスを解消する方は多いでしょうね。

消費をしたくなるのはストレスが溜まったとき―。ストレスとは少し意味が違うのかもしれないけれど、人間は、不安なときや恐怖心があるとき、または落胆しているときなどが一番、消費したくなったり広告に騙されたり(?)しやすくなるのだとか。広告会社は、人間のこの深層心理をマーケティング戦略として取り入れているそうです。不安を煽るようなニュースやテレビ番組の合間に流れるCMを観ると、本当に消費(飲み食いや買い物)したくなるのか自分で確かめてみようと思ったけれど、深層心理の問題なので、自分で意識してしまったら実験になりませんね。

消費者の財布の紐を緩めるのが、広告の主な役目。消費者心理や行動というのは、当然研究されています。昨日言った「消費者は、製品自体の実体よりもブランド名や商標で選ぶ」、そして今日の、「消費者が不安や恐怖を抱いているときが狙い目」。以前取り上げたヘゲモニーという概念ではないけれど、「敵」は消費者をよく研究して消費を促進しようとしていますね。

(写真は、Holy Cow Cafeのパッタイとベジタリアン・チリ。食べることでストレスを解消するのは、わたしだけではないはず・・・。)

広告は、精神と物質を分離する?

2005-12-28 | 広告
ある方が、うまいと思うCMの一つにマクドナルドを挙げていました。なぜマックのCMをうまいと思うのか、また、何を基準にしてうまいというのかは分かりませんが、CMの目的というのは言うまでもなく、販売促進。マックのCMを成功だと呼ぶには、それを目にするとマックに食べに行きたくなってしまうような作品にしなければなりません。言うまでもなく、ハンバーガーには牛肉を使用。少なくともアメリカでは、牛肉の生産には違法移民者を「3K」の仕事にこき使うほか、非常に怪しげな方法で牛肉を生産しているようですが、CMにはこのような裏の部分というのは、少しも出てきません。偶然?もちろん、そんな裏の部分は意識的に見せないようにしているのでしょう。

広告というと、人間を物質主義に走らせる張本人のような評価がよくされますが、むしろ逆だと主張する学者もいます。広告というのは、「人間を物質世界から分離する、という役割をしている」と言うのです。言い換えると、17世紀のフランス人哲学者デカルトの二元論(精神と物質)的世界観を増幅している、ということです。マックのCMを見ていて、自分の食欲を刺激される人がいたとしても、そのハンバーガーが、つまり「物質」が、どこからどうやって作られてきたのか、という思いに駆られる人はいないでしょう。せいぜい、衛生的な工場でマックのハンバーガーは作られる、ぐらいは考えても、大元までたどって考える人はまれ。牛肉から作られるハンバーグ。当然、生きている間は糞をし、切り付けると血を流す牛の肉からできています。しかし、そんな牛からできたハンバーグなどと聞くと、人間は食欲をなくす。そんな汚い物質の世界には蓋をして、人間の食欲を促進するようなCMを作る必要があります。最近マックがどのようなコマーシャルを日本で流しているのか知りませんが、「スマイル0円」などというのが以前ありました。そのキャッチ・フレーズが、ハンバーガーを始めとするマック製品(物質)自体に、一体何の関係があるのでしょうか?マックのCMを「成功」させるためには、「マックの製品はどうやって作られているのだろう」などと、消費者に「余計なことは考えさせない」ようにしなければなりません。消費者はそんなことは考えず、日本経済の発展に寄与すべく、CMを見てマックのハンバーガーへの欲望を駆り立てて近くのマックまで走りさえすればいいのです。

広告が蔓延る現代消費社会では、精神は物質から分離されている―。わたしは日本に里帰りするたび、親が管理しているアパートに掃除の手伝いに行くのですが、そこのごみ置き場を見て驚くことがあります。「なぜ、これをごみに!?」というのまで捨ててあるのです。わたしが現在所有している服には、このゴミ捨て場から拾ってきたものがかなりあります(写真)。なぜ人間は、意図も簡単に物を捨てられるのか?「現代消費社会では、精神は物質から分離しているので、人間がモノに魂を見い出すことはない」という主張は理解できます。精神と物質が合体したアニミズム的な世界観ではなく、デカルトの二元論的な世界観の元に、この消費社会は成り立っているようです。


(ゴミ捨て場から拾ってきた服の、ごく一部。右はラルフ・ローレン、左はコンバース。両方とも、100%問題がありません。このような服を平気で捨てられるのは、なぜ?まあ、わたしがただで引き取るからいいのですが・・・。)

広告に残る「魔法」という概念

2005-12-12 | 広告
日本は忘年会シーズンですね。この時期が来るたびに思い出す、日本のTVコマーシャルがあります。「飲む前に飲む」という薬の宣伝です。その薬を飲んでおけば、いくら暴飲暴食しても次の日に残らない、と謳っていましたね(今年も流れてるの?)。このコマーシャルを目にするたび、「暴飲暴食なんかしなけりゃあ、こんな薬も飲まなくていいのに」と思っていました。無駄を省くシンプル・ライフを志向するわたしには、敵のようなコマーシャルです。ま、中には暴飲暴食したくなくても、会社の付き合いでしなければならない人もいるのでしょうね。日本ではいまだに、「ほら、飲めよ、飲めよ」とうるさいのでしょうか?会社では「勤勉、規律」など、現代企業社会の価値観に沿って働くが、飲み会では一転、豊作を祝う祭りやカーニバルの「乱舞狂乱」の精神に則って、暴飲暴食に走ってもよい日本の企業文化。相反する現代と古代の価値観のバランスを取ることによって発展している現代社会を、これほど明快に表してるところは他に無いのでは?このバランスを取るのが、簡単ではないときがあるでしょうね。平日の夜遅く暴飲暴食しても、次の日の朝、早く起きて働かなければならない・・・。「あ~あ。前の晩にどんなに飲み食いしても、朝はすっきり目覚められる、そんな魔法のような薬はないかな~」という多くの日本の企業戦士の願いに応えるべく、「飲む前に飲む」などという薬で出てきたのでしょうね。

アメリカで、現代広告の基礎になったのは薬の宣伝です。それ以前の広告というのは、例えば「金物売ってます。住所○○」というように、売っているものとその住所だけが、地元の新聞に掲載されていました。今でいう求人広告のようであったそうです。しかし、19世紀後半に怪しげな薬がいっぱい開発されると、広告も様変わり。薬というのは、その効果を謳わなければなりません。「この薬は効果抜群」と簡潔に謳うにはどうしたか?「魔法(magic)」という概念を使ったんですね。

科学が発達した現代では、魔法なんて『魔法使いサリー』みたく、ただの子供だましの感じがしますが、太古の昔は、(おそらく多くの)宗教の要になっていた概念。シャーマン(卑弥呼も?)が魔術師だったのはご存知でしょう。霊と交信して病気を治療したり、雨を降らせようとしたり・・・。アニミズム信仰の古代では、魔法は、現代における科学の位置づけだっといっても過言ではないようです。

この魔法という概念を、薬商人たちが広告に利用したのは当然ですね。「飲む前に飲む」のTVコマーシャルだって、どんなに暴飲暴食しても次の日には、「あら不思議!すっきりしてる!」。その薬さえ飲めば、あとは何をしなくても問題(次の日に残る)が解決している・・・。これを魔法と呼ばずに、何と呼ぶ?ダイエットのコマーシャルも多くが魔法の概念を用いていますね。「努力しなくても痩せる」なんて究極です。このブログで以前、英語に「marketing ploy」という言葉がある、と言いましたが、消費者を騙そうとするにさいによく使われるのがこの「魔法」。魔法にかからないように、賢い消費者になりませうね。魔法というのは、昔の超自然的な話だけでも、『ハリー・ポッター』の話だけでもなく、広告が氾濫するこの現代消費社会の一部になっているのです。わたし達にはあまりにも当たり前で、普段気付きもしないのです。

このように、太古の昔に存在した魔法という概念は、この21世紀にも広告の世界にしっかり受け継がれています。科学の目的だって、結局は魔法と同じ。いかに楽に早く、そして便利に物事をこなすようにするか、という人間の欲を実現しようとするのが科学。立花隆が以前、「インターネットは『どこでもドア』」だと言ってましたが、科学の進歩というのは魔法に近づくことだ、と言っても過言ではないでしょう。