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オレゴンでの学生生活から南下して社会人生活へ。IT産業でホットなサンフランシスコ・ベイエリアで地味~に文系の仕事してます

「パラダイス工場」が意味すること-映画『チャーリーとチョコレート工場』考察

2005-11-02 | 映画
昨日はハロウィーン。ハロウィーンといえばチョコレート。チョコレートといえば、しばらく前に映画『チャーリーとチョコレート工場』を観ました。日本では9月10日に公開されたようですね。



この映画の「売り」は工場内。そこで招待者が最初に案内された広場は、まさに「豊かな(abundant)パラダイス」(写真上)。聖書に描写された「乳と蜜の流れる場所」ならぬ、チョコレートの川が流れる場所でした。また、工場がある町が白黒で薄暗い印象だったのと対照的に、この広場はカラフルでした。「色」というのはガラスや光とともに、元々教会のステンドグラスのように、「あの世」、つまり天国を表すために用いられてきたもの。アーミッシュの人たちにとっても、ろうそくの光は神を表すそうですし。このガラス、光、そして色は、消費社会の到来ととものに、デパートをはじめとする商業施設が積極的に利用して、モノで溢れた「この世」のパラダイスを演出するようになってきました。

しかし、このパラダイスも、チョコレートを大量生産する近代的工場の一部であることに変わりはなく、いわば「パラダイス工場」という矛盾語法(oxymoron)的な場所でした。このoxymoronは、ジョニー・デップ演じる「怪しげな魔術師のような工場経営者」にもあてはまります。パラダイスでは、現実世界の人間が直面する「苦労」や「不安」などとは無縁。経営者は全ての問題は魔法で解決し、ハッピーに暮らしていたようです。たいてい映画は、2つの相反する世界や時間、人物をきっちり分けている場合が多いのですが(「都会」と「田舎・自然」、「現代」と「未来または過去」、それに「会計士」と「ダンサー」など)、この映画は、工場にもそこの経営者にも二面性を持たせていました。

時代設定もファジーでした。映画の冒頭では、これは100年ほど前の、工業化が進んでいた時代が舞台だと思いました。主人公の貧乏家族も、いかにもその時代の人たちといった感じでした。工業化の前には教会があったであろう町の中心部に、今はチョコレート工場がでーんとありましたし。しかし、その工場に招待された他の4人の「罰せられた子どもたち」は、紛れもなく現代の子どもたち。場所、時代設定ともにファジーなのが、この映画がおもしろいひとつの理由でしょうか?特にこのようなファンタジー映画は、現実離れすればするほどおもしろいと感じますから。

この「パラダイス工場」の従業員がいわゆる有色人種だったのは、単なる偶然ではないと思います。マルコ・ポーロの昔から、「黄金の国ジパング」がヨーロッパで知られていたように、豊かさはエキゾチックなものと結びつけられています。コロンブスが航海に出たのも、インドに香辛料を求めてでしたし、インドだと勘違いして上陸したキューバ(でしたっけ?)では、いかにその土地が果実が実った桃源郷のような所であるかのような記述を残しているようです。砂糖、コーヒー、バナナ、それにチョコレートなど、現在先進国では当たり前の食べ物は、もともと有色人種が住んでいた南国のもの。ヨーロッパ人やその血を引くアメリカ人にとって、豊かさのシンボルとは、しばしばエキゾチックなものなのです。

砂糖は元々アフリカから奴隷を連れてきて、カリブ諸島で大量生産をしていたもの。アメリカに砂糖やバナナなどが大量に入ってきたのも、1898年に起こった米西戦争の結果、アメリカがフィリピン、グアム、プエルトリコなどのスペイン植民地を獲得してからだそうです。つまり、南国産の食べ物がヨーロッパやアメリカで手に入るようになるのは、帝国拡大主義の成果。同じように、「パラダイス工場」では、ジョニー・デップ演じる経営者が、つまりヨーロッパ人が有色人種を「征服」していました。デップがどこかのジャングルで出会ったその有色人種は、現地に住む部族の頭のような風貌で、毛虫をつぶしてゼリー状にしたものを、嫌がるデップに半ば強引に食べさせます。この時は、両者の力関係は有色人種の方が「上」でした。しかし、この有色人種は小人となって(デップが魔法をかけた?)「パラダイス工場」を管理するようになっていました。文字通り、デップの「下」で働くようになったのです。



チョコレートを世界中に大量生産・出荷するには、生産管理をして作業の効率化を図ることが不可欠。「非文明」のもとで育ったその有色人種を「大量生産」し(写真上)、工場内のあらゆる場所を管理させることによって、その有色人種を「現代文明」に組み入れていました。大量生産時代は、土地、動物、それに工場作業員など、生産過程に組み込まれているものは全て「管理」する必要がありますから。しかし、ここは工場であると同時にパラダイス。工場に招待された子どもが次々に「罰せられる」たびに出てきて踊りまくるこの「大量生産された有色人種」は、工場をしっかり管理する「現代人」であるだけではなく、昔からの伝統行事であるカーニバルの精神もしっかり持ち合わせています。パラダイスは楽しい場所であるのが基本ですから。

豊かさは賛美するが、いわゆる「豊かな社会」で育った子どもは甘やかされてしまうのが気がかりだ、という相反する感情もこの映画に反映されていました。大食いの子ども、空手が強くて多くのトロフィーを手に入れ、生意気になっている子ども、父親の財力に任せて欲しいものは何でも手に入れようとする子ども、それに、コンピュータ・ゲームにはまり、やたら挑戦的になっている子どもなど、その工場に招待された「甘やかされた4人の子ども達」は次々に「罰」を受けていきます。最後に残ったのは、貧乏だけど心がピュアな少年。結局この少年も、最後には確かこの工場で働くようになって、それなりに生活は豊かになっていくようですが。その豊かさの象徴としてでてきたのが、夕食のローストチキン(おそらく)。「豊かになる=肉を、ステーキやローストで食べる」という昔からある方程式は、現代でも通用するようですね。

何はともあれ、子どもだけでなく大人にも大人気のチョコレート。そのチョコレートを現代、わたし達が簡単に手にできるのも、元々はアングロサクソン主導の帝国拡大主義と産業革命のおかげなのですね。「美しいバラにはとげがある」ではないけれど、甘いチョコレートには、間違いなく「血と汗」が含まれています。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Miho)
2005-11-04 00:23:50
子供向けの映画っぽいですが、いろんなメッセージが含まれているものなのですね。確か原作も子供向けだったような?
Unknown (しんのすけ)
2005-11-04 06:00:59
原作はイギリスです。ハリー・ポッターといい、イギリスはファンタジーが多いですね。『チャーリー~』の上映では子どもがいっぱいで、大きな声で笑ってました。

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