ニュース週刊誌『タイム』先週号で特集されたアメリカ第26代大統領(1901年~1909年)、セオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt)。この名前に聞き覚えがありますか?知るかー!っと言う方でも、日露戦争を終結した1905年のポーツマス条約において、日露間の仲介役を果たしたのがルーズベルトだったと聞けば、「そういえばそんな人いたかも」と思い出すのでは?この仲介が評価されて翌年、ルーズベルトはノーベル平和賞を受賞しています。
ルーズベルトはまた、ナチュラリスト&環境保護者としても知られています。『タイム』誌によると、大統領在職中に150ヵ所を国有林に、51ヵ所を野生動物保護地区に、それに5ヵ所を国立公園に指定したそうです。
そんなルーズベルトの自然観とは?一口に自然観といっても、いろいろな自然観がありますね。「自然とは人間がコントロールするもの」という考えや、人間も自然の一部だと見なし、自然と共存しようという考え。それに1960年か70年代に出てきたディープ・エコロジー(deep ecology)という概念は、自然を人間との関係において考えるのではなくて自然それ自体に価値を置くなど、様々な自然観があります。
ルーズベルトの自然観とは、人間(男らしさ)形成&セラピー効果としての場所だったように思われます。19世紀中旬、ニューヨーク市に生まれたルーズベルト。幼少時代は喘息持ちの虚弱体質だったそうです。それを克服するべく少年時代以降に精を出したのが、ボクシング、レスリング、ウエイト・リフティング、それにボートレースなどのスポーツとアウトドア活動。狩をしたり悪天候にもめげずに山登りをしたりするなどして、肉体的&精神的タフさを身に付けていったとか。また、大統領就任以降にも休暇にはノース・ダコタ州に所有していた牧場に行き、エネルギーを充電していたそうです。つまりルーズベルトにとって自然とは、自分の肉体的&精神的健康を維持する場所だったようです。

(いつどこで撮った写真か知りませんが、キャンプ中のルーズベルト。堂々とした立ち姿がさすが!喘息には生涯悩まされたそうですが、その事実を国民が知るのを嫌い、ヘルシーで堂々とした印象をいつも植え付けようとしていたようです)

(ノース・ダコタ州にセオドア・ルーズベルト国立公園があるって初めて知りました。ここに牧場を所有していたのでしょう。写っている方はこの記事とは関係ありません)
ちなみにわたしはといえば、
雨に濡れた新緑を「湯上りの松嶋菜々子」の美しさに例えて歌に詠んでみたような、日本人的な自然観を持っています。(←これを「日本人的な自然観」と言っていいんかい!?)このような自然観をディープ・エコロジーだと呼べるのかどうかは知りませんが、ルーズベルトがこのような審美的な自然観を持っていたのかどうかは疑問ですね。雨に濡れた新緑自体には、自然に対して実用本位な見方をしていたルーズベルトは価値を見出さなかったのではないでしょうか。それよりは、「
男たるもの、森で雨が降ってきてもひるむな!雨の中でもひるまず狩をしてこそ、男らしさが培われるのだ、ウォー!」という感じでしょうか?
というわけで、あなたの自然観は?地球温暖化がクローズアップされるようになって以来、多くの方の自然観は変わったのでしょうか?わたし自身はルーズベルトのように、「人間の健康維持のために自然は必要」だとは思います。が、自分の利益に関係なく、自然を慈しむ気持ちも持っていたいですね。自然の美を目の当たりにすると癒しを感じるように、結局は人間への得があるのは事実ですけど。自然自体の美や価値も認め、かつ自然がもたらす人間への利益も有難く頂戴するって・・・、これもロハス的発想!?(←あんた、ロハスが何だか分かってんの?)
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