死んだらどうなる?

誰もが一度は抱く関心「人間は死後どうなるか」を中心に、あの世、生まれ変わり、守護霊等について詳しく解説していきます。

「大宰相」と呼ばれた、戦後の大物政治家が、なぜ地獄に堕ちて苦しんでいるか?

2007-09-10 | プロローグ
正太 「この「怒り」の毒の怖さについてだけど、まず、ひとつの例を取り上げてみよう。
 日本でいちばん偉い人というと、たいていの人は総理大臣のことを思い浮かべるかもしれないね。戦後の総理大臣のなかで、いちばん力を持っていた人は誰かを考えてみると、たとえば、戦後まもなく、リーダーシップを非常に持ったワンマンの首相がいたよね。いわゆる「バカヤロー解散」をしたことでも有名な人で…」

勇二 「ああ、吉田茂という人だよね。僕もいちおう大学で政治のほうを専攻したから、それくらいのことならわかるよ」

正太 「この人は、力を非常に持っていたし、なした仕事そのものは、政治的に見ても、政治学的に見ても、確かに立派な仕事を残しているんだね。日本の外交に関しても立派な選択をしているんだよ」

勇二 「たしか、サンフランシスコ講和条約を結んで、戦後日本の独立を回復させたんだよね」

正太 「そう。その時も、マスコミとかの大反対の声を押し切って断行したし、同時に日米安保条約を結ぶことによって、共産主義ではなく自由主義、民主主義国家の一員としての日本の立場や針路を確立したんだね。
 もちろん、どんな政治家にも功罪両面の部分はあるから、オール・オア・ナッシングでは評価できないんだけど、日本の戦後復興やその後の経済発展に大きな功績があったことは事実なんだ」

勇二 「ふーむ。日本のため、日本の国民のために、いい仕事、立派な仕事をしたわけだね」

正太 「そうだね。でも、この人が、死後どうなったかというと、現在は地獄にいるんだよ」

勇二 「えーっ。せっかく、日本の人々のためになるような、大きな仕事をしたのに、この世の試験に落第なわけ?」

正太 「うん。なぜ地獄に堕ちたのか、その人自身がわからずにいるんだね。「自分は総理大臣だった。そして立派な仕事をした。なぜ地獄にいる?」わからないんだね。教えてくれる人は誰もいないんだよ。
 でも、この人が地獄に堕ちた理由は、単純なことなんだよ。この人は、すぐカッとなる性格だったんだね。だから、心がいつも乱れていたんだよ。心がいつも怒りに満ちていたんだね。
 この人の娘さんが書いた回想録には、「家庭で、父親の雷が落ちてきそうになる度に、「避雷針」役になる人を呼んで、その人に雷を落としてもらっていた」といったエピソードが書かれているけど、普段そうした日常を送っていたんだね。
 すぐカッとなって、人を叱りつける ― そういう波動で生きてきたら、「その心の波動が、来世で行くところを決める」のであって、その人の仕事が決めているんではないんだよ」

勇二 「ふーむ。その人が、あの世のどういう世界に行くかは、「生前にその人が出していた思いの平均の波長の世界に行く」って前に聞いたね。しょっちゅうカッと怒って、心が乱れていたら、「波長の乱れた世界」つまり「地獄」に行かざるをえないわけだ」

正太 「そう。まず、「心が清いか清くないか」、「心が善いか悪いか」という基準があるんだね。
 心の善い人がよい仕事をしたら、さらに立派な世界に還れるんだけど、心の悪い人がよい仕事をしても、残念ながら天国には入れないんだよ。それくらい厳しいんだよ」

勇二 「そうかあ。まず、心が善い状態で生きてきたかどうかが重要なんだな。心の状態が、キーっとか、カーッとか乱れていずに、穏やかだったかどうかが大切なわけだ。これが天国に還るための必要条件というわけだね。ここの部分がクリアできてなくて、いくら仕事だけよかったとしても天国には行けないわけだ。
 よく「心穏やかに生きる」なんていうと、品がいいとか道徳的にいいっていうイメージだけど、それだけじゃないんだな。何のことはない、「心がどれだけ穏やかだったか、乱れていたか」で、あの世での自分の行き先が決まっちゃうわけだ」

正太 「だから「幼子のごとくでなければ、天国の門が開かない」というのは、このことを言うんだね。心が清くなければ、つまり怒りや愚痴や妬みとかで心が濁っていれば、澄んでいなければ、この世でいくら立派な地位を築いても、大会社の社長をやってもダメなんだよ。
 怒りの炎を抑えるということが、どれほど大事なことであるか。これは単なる道徳論じゃないんだね。心の世界の真実を知れば、怒りというものはなんとしてでも抑えていかなきゃいけないものだ、ということが切実にわかるんだよ」