正太 「だから、敢えて突っ込んだことまで言えば、電車の中とかで色っぽい女性を見かけて、モヤモヤしたことを考えかけたら、そこで踏みとどまらないといけないんだね。それ以上、ヘンな想像を始めたら、罪になるんだね。反省の対象になるんだよ」
勇二 「そうかあ。それも「心の修行」だね。しんどいような場面もあるからこそ「修行」なんだろうしね(笑)」
正太 「だから、生きていた間、異性に全く触れなかったのに、色情地獄に堕ちてしまった人というのは、すごく反論するんだね。「自分が堕ちるのはおかしい」って言い張るんだけど、「行いだけじゃなくて、思いも裁かれるんだ。心の中で思ったことも罪になるんだ」ということを聞かされて、ショックを受けるんだよ。「行動さえしなきゃいいと思ってたのに、行動は一度もしなかったけれど、心の中はいつも色情の想いばかりだった。こんなことなら、もっとやりたい放題やっておけばよかった」なんて(笑)、悔やんでいる人もいるんだよ」
勇二 「なるほどねえ、行為はなくても、心の中がピンク色の思いばっかりだったら、あの世で待っているのもやっぱり色情の世界ということだね。生きているときに「心の中で何を思い、何を考えていたか」ってことが大切なんだな」
正太 「ただ、これも不思議に思えるかもしれないけど、いっぽうでは、昔の中国の皇帝だとか、日本のお殿様みたいに、幾人もの女性を妻として抱えた人であっても、色情地獄に堕ちずに、天国に還れた人もいるんだよ」
勇二 「ほーお。そういえば、昔の殿様なんかは、奥方が何人もいただろうしね。じゃあ、「複数の異性がいた」という事実によって「即、地獄行きが決定」というわけでもないんだね」
正太 「そう。出家して、異性との交流を全く絶っていたにも関わらず、色情地獄に堕ちた尼さんもいれば、何人もの女性を妻として抱えていても天国に還った人もいる。
これは、どういうことかっていうと、天国・地獄を分ける決定的な要素というのは「その人が生きている間に、いったい何を思い、その思いに基づいて、どのような行動をしたか」ということに、かかっているからなんだ。「動機と行動」だね。心の中で思ったことのうち、よいことのほうが多ければ、天国に行けるけど、悪いこと、マイナスのことを思い続けたら、地獄に行くということなんだ。
言い換えれば、「外側の部分」に、天国・地獄を分ける決定的な要素があるわけではない、ということなんだね。外側の部分というのが何かっていうと、たとえば「その人がお金をどれだけ持っていたか」とか、「異性」との関わりなんかだね。
お金について言えば、同じように大きな財産をつくっても、死んだ後、地獄に堕ちたり、地縛霊になって家屋敷に住みつく人もいれば、天上界で「大黒天」という神様になる人もいるんだよ。大黒天というのは、「世のため、ひとのため」を思って勤勉に働いて富を築き、その豊かな経済力でもって、さらに人々の幸福のために尽くしてきたような人、経営者だね。そういう「福の神」のような方が、あの世にいるんだよ。
いっぽう、同じ金持ちでも、「人生=金、金、金」で、お金に対する執着で生きてきた人は地獄に堕ちているんだね。「金持ちが天国の門に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」っていう有名な言葉があるけど、まさにその言葉のとおり、地獄に堕ちている金持ちというのは多いんだよ」
勇二 「ふーむ。同じ大金持ちでも、あの世に還ってからの姿は、上は「大黒天」から下は「畜生道」の蛇や豚まで、ピンキリだってことだね。その違いというのは、生前のその人のトータルの「思いと行い」「動機と行動」が分けているということだね」
正太 「そう。同じように「じゃあ、貧乏だったら、みんな天国に上がれるのか」というと、そんなことはないんだね。外面は清貧のような生き方をしていたとしても、心の中がお金に対する執着や、お金持ちに対する妬みやひがみに満ちていた人は、やっぱり地獄に堕ちているんだよ。心の中まで見て、「清貧で生ききれた」という人は少なくて、むしろこっちのほうが多いんだね」
勇二 「そうか。お金と同じようなことが異性についても言えるわけだね。
「お金を持ってたか、持ってなかったか」じゃなくて、「お金に執着してきた人生だったかどうか」で天国・地獄が分かれるように、「異性がいたか、いなかったか」じゃなくて「異性に執着してきた人生だったかどうか」で天国・地獄が分かれるわけだ」
正太 「そう。あの世に行ってどういう世界が待っているかというと、その人が、生前、「どういうことを最も強く思ってきたのか」「どういうことを、頻繁に繰り返し繰り返し思って生きてきたのか」で決まるんだよ。たとえていえば、心の中で「どういうメロディを奏でていたのか」「心の中で奏でていた主旋律はどういう性質のものだったか」で決まってくるんだね。あるいは「どういう価値観のもとに人生を生きてきたのか」といってもいいね」
勇二 「なるほどね、まあ、同じ昔の殿様でも、「バカ殿」みたいに「人生、酒じゃ、女じゃ」という価値観で、そういう「思いと行い」で一生生きれば、あの世に還ってから落第だろうけど、「名君」みたいに「いかに領民を幸せにしていくか」という思いで一生懸命努力してきた人は、立派な世界に還っているだろうしね。そういう人生を送った人に、側室が何人かいても、そういう「外側の部分」は、その人の本質とは関係がないだろうしね」
正太 「ただし、こんなことを言うと、「じゃあ不倫もOKなんだな。二号さん、三号さんもOKなんだな」と解釈していく人がいるかもしれないけど、決してそんなことはないんだね」
勇二 「そうだね。不倫なんてしたら家庭のユートピアを破壊することになるよね。それで、家庭がこわれてしまったら、子供の教育や将来までめちゃくちゃにしてしまうよね」
正太 「うん。一緒に家庭をつくって、そのなかでユートピアを築いていこうとしている男女の結びつきを、神様は非常に期待しているし、その幸福を祈っているんだね。不倫がなぜいけないかというと、「家庭をはぐくんで、ユートピアづくりをしていく」という仏の理想と合わないし、ユートピアの核としての家庭づくりに反するからなんだ。
そもそも、男女という二種類の生き物が創られたのは「男女がともに協調しながら、ともに手を携えながら、素晴らしいものをつくっていきなさい」という、仏のはからいなんだよ。
だから、男性が女性を見て「美しい」「かわいい」と思う気持ちや、女性が男性を見て、「すばらしい」「たくましい」と憧れる気持ち自体は、単に、善悪の悪として、捨て去らなきゃいけないものではないんだ。そうした本能の中に、今、言ったような大きなメッセージが入っているんだよ。
また、男女がお互いに、ある程度ひかれ合いながら、どこかで一定のルールのもとに抑制をかけているというのが、社会の健全な営みになっているんだね。
だから「異性を思う気持ち」というのは、「煩悩」として根本的に否定しなきゃいけないものじゃなくて、その「調整」あるいは「適度な規制や自制」が要求されているものなんだよ」
勇二 「なるほどね。そういう、異性を思う気持ちを「調整」したり、「適度な規制や自制」をかけられなかった人たちが、色情地獄に堕ちているわけだな。
「異性は全部ダメだ」とか「異性を見ても何も感じない石部金吉みたいな堅物になれ」というのでもなく、逆に「異性なら誰だろうが見境ない。どんどん行けや」みたいな両極端じゃなくて、異性に対しても、「あるべきライン」というものがある、ということだね。職場でも、男性として、あるいは女性として「いいな。素晴らしいな」と好ましく思うのはよくても、自分の配偶者でもない人に対しては、思っちゃいけないこととか、しちゃいけないことってのはあるよね」
正太 「これも繰り返しになるけど、「セックスそのものが悪であり、色情地獄につながる」という短絡的なものじゃないんだね。男女の性的な営みも、健全な夫婦生活のなかでなされたなら、それは家庭の幸福を意味するものだし、生まれてくる子供たちを育てるという聖なる義務が伴っているときは、いかがわしさ、嫌らしさといったものが完全に消えていくんだ。
そうした大きな義務や責任を伴っていれば、もっと高次な幸福をもたらすことになって、聖なる光を放つことになるんだよ。
でも、男女のそうした結びつきが「無軌道」に走ったときには、教えられて知るわけではないのに、誰しも地獄的なものを感じるようになっていくんだ」
勇二 「異性に対する「欲望の調節」ができなくて、「無軌道な思い」、「無軌道な結びつき」に走っていく。こういう生き方が血の池地獄につながっていくんだね」
正太 「この色欲方面というのも、踏み外しやすいものなんだけど、よく反省することなんだね。神様というのは人間が一つ罪を犯したら、「もうお前は絶対に地獄だ」と烙印を押されるほど酷な方ではないんだよ。人間というのは、間違いを犯すものなんだけど、その都度よく反省して、きちっと立ち直ることなんだ。
もし、今、三角関係、四角関係とかにある人がいたら、そのことでもって「即、地獄行きが決定」かというと、そうまでは言えないんだけど、たいていの場合、そういう複雑な関係をつくると、お互い嫉妬にあおられて心は地獄なんだね。お互い嫉妬の目を向け合うことで心がいっぱいになって、家庭も家庭以外も地獄化していくんだ。その心が良くないわけなんだよ。
やはり、人間は妻を大切にし、夫を大切にし、足ることを知って生活するなかに、幸福の芽が開けるということなんだ」
勇二 「そうだね。足ることを知って、感謝の生き方をすることだよね。「過ぎた欲望」「出すぎた欲」というのが地獄に堕ちる原因だから、性欲、色欲方面についても、きちんと堤防を築いて決壊を防ぐ、ということだね。ここを外した生き方をすると、死後、「畜生道」や「血の池地獄」が待っているということなんだな」
正太 「それと、もう一つ付け加えておくと、現代ではこの色情地獄に堕ちる人がたいへん増えているんだけど、その背景としては、もちろん、社会の風潮だとか価値観なんかの影響が大きいんだけど、霊的な面からいうと、実は魔界からの作用というのも相当働いているんだね」
勇二 「魔界からの影響? そういえば、前に、「この世の人間をめぐって、その人の守護霊と地獄霊が綱引きをしてる場合も多い」って聞いたけど、そういうこと?」
正太 「もちろん、そうした個々の悪霊の働きかけというのもあるんだけど、地獄という世界には、いわゆる「悪魔」といわれる存在がいるんだね。悪魔なんていうと、現代は、「昔の童話かおとぎ話に出てくる空想の産物じゃないか」と笑う人が多いかもしれないけど、天使がいるように、悪魔というのも実際に存在しているんだね」
勇二 「ふーむ。要するに、悪魔っていうのは、地獄に堕ちている霊の中でも特に悪い連中のことを指すわけかい?」
正太 「そうなんだよ。この世にもヤクザや暴力団の親分みたいなのがいるけど、あの世の地獄にもそういう頭のような存在がいるんだね。
もちろん、悪魔といっても、元は人間だし、決して神様が最初から悪魔という存在としてつくったわけじゃないんだよ。だけど、地獄に堕ちてから、反省しないまま長い歳月にわたって悪を重ねていった結果、もはや人間とは思えないような心の持ち主になってしまった存在のことなんだ。
地獄に堕ちたとしても、大半の人は、平均するとだいたい二百年から三百年くらいで天国に上がってくるんだけど、中には我が強くて反省ができずに「堕ちっぱなし」に近いような人もいるんだね。「地獄に千年もいる」なんていうのは、もう立派な悪魔といっていいんだよ。
昔から、悪魔っていうのは「悪賢い」とか「力がある」とか言うけど、実際どういう人がなっているかというと、地上にいた時に、指導者をやっていた人が多いんだね。宗教家だとか、政治的、あるいは思想的リーダーでありながら、間違って人々の心を狂わせていったような人たち。そういう人たちは「無間地獄」という地獄のいちばん深いところに堕ちるんだけど、そこでも反省せず悪事を重ねていくと、いわゆる魔王だとかサタンといわれる存在になっていくんだ。
この悪魔の特徴は何かというと、天上界に対してはっきりした対抗心を燃やしていて、地獄界の勢力を積極的に拡大しようと画策していることなんだ。つまり、地上を混乱に陥れたり、間違った考え方を広めたりして、自分たちが憑依できるような「悪い思い」「マイナスの心」を持った人間を大量に増やそうとしているんだよ」
勇二 「ふーむ。そうやって、自分たちのすみかを地上に広げようとしてるわけなのか」
正太 「そうなんだ。この世を地獄の植民地にしたいと考えているんだね。その結果、地獄に堕ちる人が大量に増えれば、地獄界の勢力を拡大できるし、地獄に堕ちてきた人たちを今度は憑依霊として地上の人に取り憑くよう唆していけば、さらに次の仲間を増やしていけるというわけなんだ」
勇二 「うーん、地獄ってところには、そんな悪意の固まりみたいな連中がいるんだね。「とにかく、他人をおとしてやりたい、不幸にしてやりたい」っていう最低の心境で生きてるんだな」
正太 「うん。情けないことだし、とても嫌な話ではあるんだけど、それが霊的な実情なんだね。普通の地獄霊っていうのは、まだ同情すべき余地があって、どうしたらいいのかがわからなくて、ただ「苦しい、逃れたい」っていう気持ちから、人に憑依して悪さをしている面があるんだね。もちろん、それもエゴイスティックで悪いことなんだけど、普通の人間に近い気持ちであって、たとえば「お金に困って苦しいときに、やむなく畑の大根を一本抜いて逃げた」みたいな「悪いかもしれんが、自分が苦しいからな」という意識の地獄霊も多いんだ。
ところが、この悪魔だとかサタンの類になると、「悪い」という気持ちは全くなくなって、積極的に「悪」といわれることを犯したくなるんだね。それはちょうど、人によっては、若い頃、力があふれて何でもぶっ壊したくなるという暴力学生みたいな時期があるけど、同じように、とにかく何もかもメチャメチャにしたくなるんだね。
こういう悪への積極的な面が出てくると、これが小悪魔あたりになってきて、さらにその上の大悪魔になってくると、いろんなことを組織的にやり始めるんだよ」
勇二 「そうか。昔、「エクソシスト」っていう悪魔祓いの映画を見たけど、そうしたことが現実にあるんだね」
正太 「ただ、この悪魔というのは、普通の人、一般の人の所にはこないんだね。彼らは、この地上を混乱させるのにもっとも効率のよい方法を心得ているんだ。つまり、多くの人に影響を与えている指導的立場にある人のところにやって来て、その人を迷わそうとするんだよ。指導者を狂わせてしまえば、その人に従っている、あるいは、その人の影響下にある人を、みんな地獄に引っ張っていくことができるからなんだね。
そうしたケースというのは、歴史上の政治的な指導者でも起きたし、思想的なリーダーの場合にもあったんだね。特に現代では、さまざまな新興宗教の教祖にこうした魔が入って、狂った教義を説かせたり、犯罪や社会問題を引き起こしているんだけど、宗教というのは、そのものズバリ「人々の心を指導する」ものなので、悪魔の側からすれば格好のターゲットになりやすいわけなんだ。
ただし、悪魔の意図というのは、そうした団体を地獄に引っ張っていくだけじゃなくて、いろんな騒動を起こすことによって、「宗教に対するネガティブなイメージを一般社会の中に植えつけたい」というのがあるんだよ。それによって「宗教的真理に対する人々の目をふさぎたい」というのが悪魔の真の狙いだから、「宗教否定」という短絡的な方向に流れていくことは、まさに悪魔の術中に陥ることを意味しているし、警戒しなくちゃいけないことなんだ。
仏典や聖書の中には、お釈迦様やイエス様が悟りを開こうとする前に、悪魔がやってきて、それを妨害したり惑わそうとしたエピソードが書かれているけど、これはフィクションじゃなくて、本当にあったことなんだね。なぜ悪魔がこんなことをするかというと、こういう「人類の教師」のような方が、真理を悟って人々に「正しい心のあり方」を教えてしまうと、地獄に行く人間が減ってしまうからなんだ。地上の人々の心が調和してしまうと、地獄霊たちは地上の人間に取り憑けなくなって、自分たちの「地上のすみか」を失ってしまうからなんだよ」
勇二 「ふーむ、なるほどな。で、その悪魔というのが、現代人たちを色情地獄に引っ張っていこうとして、暗躍しているわけ?」
正太 「そうなんだ。現代、特に日本なんかでは、人々の性欲や色情を煽るものが世の中に氾濫しているよね。風俗関係の商売もさかんだけど、ヘアヌードだとかエロ本だとかアダルトものなんかの類が巷に溢れている。こうしたものは、昔からなかったわけじゃないんだけど、あくまでも「日陰の存在」で、社会の中でコソコソ隠れて扱われるようなものだったんだね。
ところが、現代では、そうしたものが白昼大手を振っているような状況だし、子供たちも入れるようなコンビニなんかにも溢れているんだね」
勇二 「なるほどな。現代はそういう出版物だとかメディアをとおして、悪魔は人々の色情を煽ってくるというわけか」
正太 「そうなんだ。百年くらい前に活躍したルドルフ・シュタイナーという思想家・教育者がいるんだけど、(この人はいわゆる「シュタイナー教育」で有名で、霊能者でもあったんだけど)「現代の悪魔は活字を通してやってくる」という言葉を残しているんだね。これは、まさしくその通りで、活字、あるいは視覚を通じて入って来る情報をとおして、悪魔は人々の心を悪い方向に染め上げようとしているんだよ。
さっき、悪魔というのは、多くの人に影響力を持つ人のところにやってくる、と言ったけど、じゃあ現代で人々に対して一番大きな影響力を持っているのがどこかというと、「マスコミ」なんだね。もちろん「一部の」という表現をするけど、霊的な目で見ると、そうした一部マスコミの中に悪魔というのが入って来ているわけなんだ。
「劣情を煽る」なんて言うと物々しく聞こえるみたいだけど、事実、そうした内容のものが大手出版社のようなマスコミからも、週刊誌その他によって大量に垂れ流されているんだね。こうしたものは、「精神的な公害」そのものだし、心の環境汚染になっているんだよ。
マスコミの側も「出版不況から逃れたい」という事情から走った面もあるんだろうけど、こういう「乱れた性表現」の背後には、「この世を色情地獄化したい」という、霊的世界からの悪い意図が働いていることは厳然とした事実なんだ」
勇二 「ふーむ。たしかに、子供たちが買い物をするようなコンビニまで、エロ雑誌がズラーッと並んでても、「今は、そうした世の中になりましたから」で済ませてしまうのはおかしいよね。やっぱりどこか感覚がマヒしてきてるんだろうな。ネットの世界なんかでも、ワイセツ系だとか、出会い系の不倫サイトだとかすごいしね」
正太 「そうしたエロ本だとかアダルトものを並べた本屋のコーナーなんかには、霊的に見ると、モヤモヤーッとしたピンク色の波動が漂っているんだね。そうしたところに行くと、やはり憑くべきものがペターッと憑いてくるんだよ」
勇二 「なるほどな。まずは、そういう心の環境汚染みたいなものから自分を守る、家族や子供たちを守るということが大切だね」
正太 「地獄に堕ちる原因は「執着」、つまり「過ぎた欲望」だということは何度も説明したけど、悪魔が真っ先に攻めて来るのは、まさしくこの「欲望」の部分なんだね。「人々の欲望を煽って、かき立てる」というのが悪魔の常套手段なんだ。この世の人を地獄に引きずり込んでいくのに、いちばん簡単なのはこのやり方なんだよ。
そうした欲望のなかでも、いちばん攻めやすいものの一つが、この「性欲」の部分なんだね。これなんかも、たとえばイスラム圏みたいに戒律の非常に厳しい社会ではやりにくいんだけど、アメリカや現在の日本のような社会だと、きわめてアプローチしやすいという面があるわけなんだ。
以上、色情地獄については、今回、もっともオーソドックスな「血の池地獄」について紹介したけど、色情系の地獄には、他にもポルノ作家だとかAVなんかの映画監督、自称アーティストたちが堕ちている一風変わった地獄なんかもあるんだね。そのあたりについては、いずれ三途の川を渡ってからの説明で詳しくすることにしよう」
勇二 「そうかあ。それも「心の修行」だね。しんどいような場面もあるからこそ「修行」なんだろうしね(笑)」
正太 「だから、生きていた間、異性に全く触れなかったのに、色情地獄に堕ちてしまった人というのは、すごく反論するんだね。「自分が堕ちるのはおかしい」って言い張るんだけど、「行いだけじゃなくて、思いも裁かれるんだ。心の中で思ったことも罪になるんだ」ということを聞かされて、ショックを受けるんだよ。「行動さえしなきゃいいと思ってたのに、行動は一度もしなかったけれど、心の中はいつも色情の想いばかりだった。こんなことなら、もっとやりたい放題やっておけばよかった」なんて(笑)、悔やんでいる人もいるんだよ」
勇二 「なるほどねえ、行為はなくても、心の中がピンク色の思いばっかりだったら、あの世で待っているのもやっぱり色情の世界ということだね。生きているときに「心の中で何を思い、何を考えていたか」ってことが大切なんだな」
正太 「ただ、これも不思議に思えるかもしれないけど、いっぽうでは、昔の中国の皇帝だとか、日本のお殿様みたいに、幾人もの女性を妻として抱えた人であっても、色情地獄に堕ちずに、天国に還れた人もいるんだよ」
勇二 「ほーお。そういえば、昔の殿様なんかは、奥方が何人もいただろうしね。じゃあ、「複数の異性がいた」という事実によって「即、地獄行きが決定」というわけでもないんだね」
正太 「そう。出家して、異性との交流を全く絶っていたにも関わらず、色情地獄に堕ちた尼さんもいれば、何人もの女性を妻として抱えていても天国に還った人もいる。
これは、どういうことかっていうと、天国・地獄を分ける決定的な要素というのは「その人が生きている間に、いったい何を思い、その思いに基づいて、どのような行動をしたか」ということに、かかっているからなんだ。「動機と行動」だね。心の中で思ったことのうち、よいことのほうが多ければ、天国に行けるけど、悪いこと、マイナスのことを思い続けたら、地獄に行くということなんだ。
言い換えれば、「外側の部分」に、天国・地獄を分ける決定的な要素があるわけではない、ということなんだね。外側の部分というのが何かっていうと、たとえば「その人がお金をどれだけ持っていたか」とか、「異性」との関わりなんかだね。
お金について言えば、同じように大きな財産をつくっても、死んだ後、地獄に堕ちたり、地縛霊になって家屋敷に住みつく人もいれば、天上界で「大黒天」という神様になる人もいるんだよ。大黒天というのは、「世のため、ひとのため」を思って勤勉に働いて富を築き、その豊かな経済力でもって、さらに人々の幸福のために尽くしてきたような人、経営者だね。そういう「福の神」のような方が、あの世にいるんだよ。
いっぽう、同じ金持ちでも、「人生=金、金、金」で、お金に対する執着で生きてきた人は地獄に堕ちているんだね。「金持ちが天国の門に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」っていう有名な言葉があるけど、まさにその言葉のとおり、地獄に堕ちている金持ちというのは多いんだよ」
勇二 「ふーむ。同じ大金持ちでも、あの世に還ってからの姿は、上は「大黒天」から下は「畜生道」の蛇や豚まで、ピンキリだってことだね。その違いというのは、生前のその人のトータルの「思いと行い」「動機と行動」が分けているということだね」
正太 「そう。同じように「じゃあ、貧乏だったら、みんな天国に上がれるのか」というと、そんなことはないんだね。外面は清貧のような生き方をしていたとしても、心の中がお金に対する執着や、お金持ちに対する妬みやひがみに満ちていた人は、やっぱり地獄に堕ちているんだよ。心の中まで見て、「清貧で生ききれた」という人は少なくて、むしろこっちのほうが多いんだね」
勇二 「そうか。お金と同じようなことが異性についても言えるわけだね。
「お金を持ってたか、持ってなかったか」じゃなくて、「お金に執着してきた人生だったかどうか」で天国・地獄が分かれるように、「異性がいたか、いなかったか」じゃなくて「異性に執着してきた人生だったかどうか」で天国・地獄が分かれるわけだ」
正太 「そう。あの世に行ってどういう世界が待っているかというと、その人が、生前、「どういうことを最も強く思ってきたのか」「どういうことを、頻繁に繰り返し繰り返し思って生きてきたのか」で決まるんだよ。たとえていえば、心の中で「どういうメロディを奏でていたのか」「心の中で奏でていた主旋律はどういう性質のものだったか」で決まってくるんだね。あるいは「どういう価値観のもとに人生を生きてきたのか」といってもいいね」
勇二 「なるほどね、まあ、同じ昔の殿様でも、「バカ殿」みたいに「人生、酒じゃ、女じゃ」という価値観で、そういう「思いと行い」で一生生きれば、あの世に還ってから落第だろうけど、「名君」みたいに「いかに領民を幸せにしていくか」という思いで一生懸命努力してきた人は、立派な世界に還っているだろうしね。そういう人生を送った人に、側室が何人かいても、そういう「外側の部分」は、その人の本質とは関係がないだろうしね」
正太 「ただし、こんなことを言うと、「じゃあ不倫もOKなんだな。二号さん、三号さんもOKなんだな」と解釈していく人がいるかもしれないけど、決してそんなことはないんだね」
勇二 「そうだね。不倫なんてしたら家庭のユートピアを破壊することになるよね。それで、家庭がこわれてしまったら、子供の教育や将来までめちゃくちゃにしてしまうよね」
正太 「うん。一緒に家庭をつくって、そのなかでユートピアを築いていこうとしている男女の結びつきを、神様は非常に期待しているし、その幸福を祈っているんだね。不倫がなぜいけないかというと、「家庭をはぐくんで、ユートピアづくりをしていく」という仏の理想と合わないし、ユートピアの核としての家庭づくりに反するからなんだ。
そもそも、男女という二種類の生き物が創られたのは「男女がともに協調しながら、ともに手を携えながら、素晴らしいものをつくっていきなさい」という、仏のはからいなんだよ。
だから、男性が女性を見て「美しい」「かわいい」と思う気持ちや、女性が男性を見て、「すばらしい」「たくましい」と憧れる気持ち自体は、単に、善悪の悪として、捨て去らなきゃいけないものではないんだ。そうした本能の中に、今、言ったような大きなメッセージが入っているんだよ。
また、男女がお互いに、ある程度ひかれ合いながら、どこかで一定のルールのもとに抑制をかけているというのが、社会の健全な営みになっているんだね。
だから「異性を思う気持ち」というのは、「煩悩」として根本的に否定しなきゃいけないものじゃなくて、その「調整」あるいは「適度な規制や自制」が要求されているものなんだよ」
勇二 「なるほどね。そういう、異性を思う気持ちを「調整」したり、「適度な規制や自制」をかけられなかった人たちが、色情地獄に堕ちているわけだな。
「異性は全部ダメだ」とか「異性を見ても何も感じない石部金吉みたいな堅物になれ」というのでもなく、逆に「異性なら誰だろうが見境ない。どんどん行けや」みたいな両極端じゃなくて、異性に対しても、「あるべきライン」というものがある、ということだね。職場でも、男性として、あるいは女性として「いいな。素晴らしいな」と好ましく思うのはよくても、自分の配偶者でもない人に対しては、思っちゃいけないこととか、しちゃいけないことってのはあるよね」
正太 「これも繰り返しになるけど、「セックスそのものが悪であり、色情地獄につながる」という短絡的なものじゃないんだね。男女の性的な営みも、健全な夫婦生活のなかでなされたなら、それは家庭の幸福を意味するものだし、生まれてくる子供たちを育てるという聖なる義務が伴っているときは、いかがわしさ、嫌らしさといったものが完全に消えていくんだ。
そうした大きな義務や責任を伴っていれば、もっと高次な幸福をもたらすことになって、聖なる光を放つことになるんだよ。
でも、男女のそうした結びつきが「無軌道」に走ったときには、教えられて知るわけではないのに、誰しも地獄的なものを感じるようになっていくんだ」
勇二 「異性に対する「欲望の調節」ができなくて、「無軌道な思い」、「無軌道な結びつき」に走っていく。こういう生き方が血の池地獄につながっていくんだね」
正太 「この色欲方面というのも、踏み外しやすいものなんだけど、よく反省することなんだね。神様というのは人間が一つ罪を犯したら、「もうお前は絶対に地獄だ」と烙印を押されるほど酷な方ではないんだよ。人間というのは、間違いを犯すものなんだけど、その都度よく反省して、きちっと立ち直ることなんだ。
もし、今、三角関係、四角関係とかにある人がいたら、そのことでもって「即、地獄行きが決定」かというと、そうまでは言えないんだけど、たいていの場合、そういう複雑な関係をつくると、お互い嫉妬にあおられて心は地獄なんだね。お互い嫉妬の目を向け合うことで心がいっぱいになって、家庭も家庭以外も地獄化していくんだ。その心が良くないわけなんだよ。
やはり、人間は妻を大切にし、夫を大切にし、足ることを知って生活するなかに、幸福の芽が開けるということなんだ」
勇二 「そうだね。足ることを知って、感謝の生き方をすることだよね。「過ぎた欲望」「出すぎた欲」というのが地獄に堕ちる原因だから、性欲、色欲方面についても、きちんと堤防を築いて決壊を防ぐ、ということだね。ここを外した生き方をすると、死後、「畜生道」や「血の池地獄」が待っているということなんだな」
正太 「それと、もう一つ付け加えておくと、現代ではこの色情地獄に堕ちる人がたいへん増えているんだけど、その背景としては、もちろん、社会の風潮だとか価値観なんかの影響が大きいんだけど、霊的な面からいうと、実は魔界からの作用というのも相当働いているんだね」
勇二 「魔界からの影響? そういえば、前に、「この世の人間をめぐって、その人の守護霊と地獄霊が綱引きをしてる場合も多い」って聞いたけど、そういうこと?」
正太 「もちろん、そうした個々の悪霊の働きかけというのもあるんだけど、地獄という世界には、いわゆる「悪魔」といわれる存在がいるんだね。悪魔なんていうと、現代は、「昔の童話かおとぎ話に出てくる空想の産物じゃないか」と笑う人が多いかもしれないけど、天使がいるように、悪魔というのも実際に存在しているんだね」
勇二 「ふーむ。要するに、悪魔っていうのは、地獄に堕ちている霊の中でも特に悪い連中のことを指すわけかい?」
正太 「そうなんだよ。この世にもヤクザや暴力団の親分みたいなのがいるけど、あの世の地獄にもそういう頭のような存在がいるんだね。
もちろん、悪魔といっても、元は人間だし、決して神様が最初から悪魔という存在としてつくったわけじゃないんだよ。だけど、地獄に堕ちてから、反省しないまま長い歳月にわたって悪を重ねていった結果、もはや人間とは思えないような心の持ち主になってしまった存在のことなんだ。
地獄に堕ちたとしても、大半の人は、平均するとだいたい二百年から三百年くらいで天国に上がってくるんだけど、中には我が強くて反省ができずに「堕ちっぱなし」に近いような人もいるんだね。「地獄に千年もいる」なんていうのは、もう立派な悪魔といっていいんだよ。
昔から、悪魔っていうのは「悪賢い」とか「力がある」とか言うけど、実際どういう人がなっているかというと、地上にいた時に、指導者をやっていた人が多いんだね。宗教家だとか、政治的、あるいは思想的リーダーでありながら、間違って人々の心を狂わせていったような人たち。そういう人たちは「無間地獄」という地獄のいちばん深いところに堕ちるんだけど、そこでも反省せず悪事を重ねていくと、いわゆる魔王だとかサタンといわれる存在になっていくんだ。
この悪魔の特徴は何かというと、天上界に対してはっきりした対抗心を燃やしていて、地獄界の勢力を積極的に拡大しようと画策していることなんだ。つまり、地上を混乱に陥れたり、間違った考え方を広めたりして、自分たちが憑依できるような「悪い思い」「マイナスの心」を持った人間を大量に増やそうとしているんだよ」
勇二 「ふーむ。そうやって、自分たちのすみかを地上に広げようとしてるわけなのか」
正太 「そうなんだ。この世を地獄の植民地にしたいと考えているんだね。その結果、地獄に堕ちる人が大量に増えれば、地獄界の勢力を拡大できるし、地獄に堕ちてきた人たちを今度は憑依霊として地上の人に取り憑くよう唆していけば、さらに次の仲間を増やしていけるというわけなんだ」
勇二 「うーん、地獄ってところには、そんな悪意の固まりみたいな連中がいるんだね。「とにかく、他人をおとしてやりたい、不幸にしてやりたい」っていう最低の心境で生きてるんだな」
正太 「うん。情けないことだし、とても嫌な話ではあるんだけど、それが霊的な実情なんだね。普通の地獄霊っていうのは、まだ同情すべき余地があって、どうしたらいいのかがわからなくて、ただ「苦しい、逃れたい」っていう気持ちから、人に憑依して悪さをしている面があるんだね。もちろん、それもエゴイスティックで悪いことなんだけど、普通の人間に近い気持ちであって、たとえば「お金に困って苦しいときに、やむなく畑の大根を一本抜いて逃げた」みたいな「悪いかもしれんが、自分が苦しいからな」という意識の地獄霊も多いんだ。
ところが、この悪魔だとかサタンの類になると、「悪い」という気持ちは全くなくなって、積極的に「悪」といわれることを犯したくなるんだね。それはちょうど、人によっては、若い頃、力があふれて何でもぶっ壊したくなるという暴力学生みたいな時期があるけど、同じように、とにかく何もかもメチャメチャにしたくなるんだね。
こういう悪への積極的な面が出てくると、これが小悪魔あたりになってきて、さらにその上の大悪魔になってくると、いろんなことを組織的にやり始めるんだよ」
勇二 「そうか。昔、「エクソシスト」っていう悪魔祓いの映画を見たけど、そうしたことが現実にあるんだね」
正太 「ただ、この悪魔というのは、普通の人、一般の人の所にはこないんだね。彼らは、この地上を混乱させるのにもっとも効率のよい方法を心得ているんだ。つまり、多くの人に影響を与えている指導的立場にある人のところにやって来て、その人を迷わそうとするんだよ。指導者を狂わせてしまえば、その人に従っている、あるいは、その人の影響下にある人を、みんな地獄に引っ張っていくことができるからなんだね。
そうしたケースというのは、歴史上の政治的な指導者でも起きたし、思想的なリーダーの場合にもあったんだね。特に現代では、さまざまな新興宗教の教祖にこうした魔が入って、狂った教義を説かせたり、犯罪や社会問題を引き起こしているんだけど、宗教というのは、そのものズバリ「人々の心を指導する」ものなので、悪魔の側からすれば格好のターゲットになりやすいわけなんだ。
ただし、悪魔の意図というのは、そうした団体を地獄に引っ張っていくだけじゃなくて、いろんな騒動を起こすことによって、「宗教に対するネガティブなイメージを一般社会の中に植えつけたい」というのがあるんだよ。それによって「宗教的真理に対する人々の目をふさぎたい」というのが悪魔の真の狙いだから、「宗教否定」という短絡的な方向に流れていくことは、まさに悪魔の術中に陥ることを意味しているし、警戒しなくちゃいけないことなんだ。
仏典や聖書の中には、お釈迦様やイエス様が悟りを開こうとする前に、悪魔がやってきて、それを妨害したり惑わそうとしたエピソードが書かれているけど、これはフィクションじゃなくて、本当にあったことなんだね。なぜ悪魔がこんなことをするかというと、こういう「人類の教師」のような方が、真理を悟って人々に「正しい心のあり方」を教えてしまうと、地獄に行く人間が減ってしまうからなんだ。地上の人々の心が調和してしまうと、地獄霊たちは地上の人間に取り憑けなくなって、自分たちの「地上のすみか」を失ってしまうからなんだよ」
勇二 「ふーむ、なるほどな。で、その悪魔というのが、現代人たちを色情地獄に引っ張っていこうとして、暗躍しているわけ?」
正太 「そうなんだ。現代、特に日本なんかでは、人々の性欲や色情を煽るものが世の中に氾濫しているよね。風俗関係の商売もさかんだけど、ヘアヌードだとかエロ本だとかアダルトものなんかの類が巷に溢れている。こうしたものは、昔からなかったわけじゃないんだけど、あくまでも「日陰の存在」で、社会の中でコソコソ隠れて扱われるようなものだったんだね。
ところが、現代では、そうしたものが白昼大手を振っているような状況だし、子供たちも入れるようなコンビニなんかにも溢れているんだね」
勇二 「なるほどな。現代はそういう出版物だとかメディアをとおして、悪魔は人々の色情を煽ってくるというわけか」
正太 「そうなんだ。百年くらい前に活躍したルドルフ・シュタイナーという思想家・教育者がいるんだけど、(この人はいわゆる「シュタイナー教育」で有名で、霊能者でもあったんだけど)「現代の悪魔は活字を通してやってくる」という言葉を残しているんだね。これは、まさしくその通りで、活字、あるいは視覚を通じて入って来る情報をとおして、悪魔は人々の心を悪い方向に染め上げようとしているんだよ。
さっき、悪魔というのは、多くの人に影響力を持つ人のところにやってくる、と言ったけど、じゃあ現代で人々に対して一番大きな影響力を持っているのがどこかというと、「マスコミ」なんだね。もちろん「一部の」という表現をするけど、霊的な目で見ると、そうした一部マスコミの中に悪魔というのが入って来ているわけなんだ。
「劣情を煽る」なんて言うと物々しく聞こえるみたいだけど、事実、そうした内容のものが大手出版社のようなマスコミからも、週刊誌その他によって大量に垂れ流されているんだね。こうしたものは、「精神的な公害」そのものだし、心の環境汚染になっているんだよ。
マスコミの側も「出版不況から逃れたい」という事情から走った面もあるんだろうけど、こういう「乱れた性表現」の背後には、「この世を色情地獄化したい」という、霊的世界からの悪い意図が働いていることは厳然とした事実なんだ」
勇二 「ふーむ。たしかに、子供たちが買い物をするようなコンビニまで、エロ雑誌がズラーッと並んでても、「今は、そうした世の中になりましたから」で済ませてしまうのはおかしいよね。やっぱりどこか感覚がマヒしてきてるんだろうな。ネットの世界なんかでも、ワイセツ系だとか、出会い系の不倫サイトだとかすごいしね」
正太 「そうしたエロ本だとかアダルトものを並べた本屋のコーナーなんかには、霊的に見ると、モヤモヤーッとしたピンク色の波動が漂っているんだね。そうしたところに行くと、やはり憑くべきものがペターッと憑いてくるんだよ」
勇二 「なるほどな。まずは、そういう心の環境汚染みたいなものから自分を守る、家族や子供たちを守るということが大切だね」
正太 「地獄に堕ちる原因は「執着」、つまり「過ぎた欲望」だということは何度も説明したけど、悪魔が真っ先に攻めて来るのは、まさしくこの「欲望」の部分なんだね。「人々の欲望を煽って、かき立てる」というのが悪魔の常套手段なんだ。この世の人を地獄に引きずり込んでいくのに、いちばん簡単なのはこのやり方なんだよ。
そうした欲望のなかでも、いちばん攻めやすいものの一つが、この「性欲」の部分なんだね。これなんかも、たとえばイスラム圏みたいに戒律の非常に厳しい社会ではやりにくいんだけど、アメリカや現在の日本のような社会だと、きわめてアプローチしやすいという面があるわけなんだ。
以上、色情地獄については、今回、もっともオーソドックスな「血の池地獄」について紹介したけど、色情系の地獄には、他にもポルノ作家だとかAVなんかの映画監督、自称アーティストたちが堕ちている一風変わった地獄なんかもあるんだね。そのあたりについては、いずれ三途の川を渡ってからの説明で詳しくすることにしよう」