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Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

太平洋戦争開戦の日

2005年12月08日 23時43分42秒 | 時事・社会
ジョン=レノンが亡くなって、ちょうど25年。
と切り出しておいてなんですが、ジョンやビートルズについて
語れるほどのものは無いので、太平洋戦争開戦のお話を。

以前にも書きましたが、太平洋戦争の開戦は、真珠湾攻撃では
なく、マレーシア(当時はイギリス領)北部のコトバル上陸です。
そしてその後の主戦場は、シンガポールやフィリピンといった
東南アジアでした。
「太平洋戦争」と言うと「日米戦争」だけがクローズアップされます
が、そうした流れを見れば「アジア・太平洋戦争」と呼ぶべきとの
主張はもっともだと思われます。
ただ、当時の日本の指導者たちにも、対米戦争という認識しか
無かったと思われる節はあります。石油の輸入を米国に依存して
いたこと、日米交渉の決裂が開戦を決定付けたことなどからして、
当時も現在と変わらず、米国だけが世界であるかのような認識で
外交も戦争もやっていたのでしょう。対抗から追随に態度を変えた
だけのことです。

さて、日米開戦といえば、真珠湾攻撃は「だまし討ち」であったか、
ということが日本ではいまだに議論されています。
そもそも真珠湾より前に「開戦」しており、そのことは駐米大使を
通しての通告には全く考慮されていなかった点で、「だまし討ち」
であったことは明らかなのですが(少なくとも「過失による遅れ」
では済まない根本的な問題を含んでます)、米国側もそれまでの
外交的中立を放棄して参戦するために、日本が先に仕掛けてくる
のを待っていた(挑発した)という面もあり、開戦も奇襲も「やむを
えなかった」とする主張が日本では幅を利かせています。
しかし、見逃してはならないいくつかの問題があります。
まず、開戦は12月1日の御前会議で最終決定されました。それ
以前に、方針は固まっていたといえます。そして海軍機動部隊も
既に行動を開始していました。「最初の爆弾を落とす前か後か」
といった議論に意味があるとは思えません。
第二に、駐米大使の通告の内容は、対米交渉の打ち切りであり、
「宣戦布告」と呼べるものではなかったのです。当初の予定通りに
渡されていれば問題が無かったわけではありません。
実際、天皇の「宣戦の詔書」が発せられたのは攻撃開始の8時間
後であり、日本の米国大使にも改めて「宣戦布告」が通知されて
います。
第三に、宣戦布告無しの奇襲は日本軍の常套手段でした。真珠
湾は特殊事例ではないのです。

そしてもう一つ見逃せないのは、米国人にとって真珠湾攻撃は
「テロ」であった、ということです。米国が直接攻撃を受け、民間人
を含む多くの死者が出たことを、彼らは問題にしています。
つまり米国にとって対日戦争は「テロとの戦い」だったわけです。
米国もまた、当時も今も全く変わっていないと言わざるをえません。

今回の記事を書くにあたって、東海大学の鳥飼行博助教授の
ホームページの「真珠湾攻撃と日米開戦」という記事を参考に
させて頂きました。

1000件目

2005年12月04日 00時52分26秒 | 時事・社会
このブログの記事の数やアクセス数ではありません。
(言わなくても分かるかな)
アメリカ合衆国で、1976年の死刑制度復活以降、1000件目の
死刑執行が今月2日に行われました。
アムネスティの統計によると、2004年度の死刑執行件数は
中国、イラン、ベトナムに次いで、米国が4番目だったそうです。
しかし、国内での廃止論の高まりもあって、件数は減少傾向に
あるようです。
「凶悪犯罪が多い国」というイメージのある米国ですが、実は
犯罪件数はここ数年減少しており、100万人当たりの殺人認知
件数はロシアやイタリアよりも低い、というデータもあります。
とはいうものの、銃が巷に溢れていることもあり、怖い国には
違いありません。
テロ対策の強化もあって、非常に厳しい取締りと、死刑を含む
厳罰主義が、犯罪減少に一定の役割を果たしているのは事実
かも知れませんが、死刑制度を廃止している州(米国は州に
よって制度が異なり、12州が廃止、6州が制度は存置して
いますが執行停止中です)の殺人発生率は存置州のそれより
低い、というデータもあり、死刑の犯罪抑止効果を認めうるか
どうか微妙なところです。
世界的には、EU諸国とヨーロッパと関係の深い国々で死刑廃止
が多く、イスラム教国と東アジアに存置国が多いようです。
よく「先進国で死刑制度があるのは米国と日本だけ」と言われ
ますが、上に述べたように米国でも廃止した州がありますし、
(ウィスコンシン州では1853年に既に廃止されています)
中国、韓国、台湾、シンガポールなども見方によっては「先進国」
に入るかも知れません。
ただ、執行件数が多い国と、「人権侵害」が多いとされる国が
結構重なっているのは、単なる偶然とは思えません。

米国は、18歳以下の子どもへの死刑執行が世界一多い国でも
ありますが、それを違憲とする判決も先頃出されました。
「テロとの戦い」の展開によっては、今後死刑制度の見直しが
進むことも考えられます。
その時日本はどうするのかな?

在外邦人

2005年12月01日 23時54分54秒 | 時事・社会
旧ソ連軍の侵攻によって追い立てられ、日本の敗戦で帰国することに
なりましたが、かつての「満蒙開拓団」もまた、実質「移民」であった、
と言えると思います。
日本が軍事占領して傀儡政権を作った満州国だから、「日系満州人」
にならなくても開拓できただけの話です。
そう考えると、そのような「在外邦人」の生命・財産の保護を理由に
日本軍が中国に駐留し続け、戦争を起こしたことは、明らかに「自衛」
の範疇を超えていたと言えるでしょう。
また、自国の領内にいる者は外国人であれ保護するのは、国家の務め
です。(日本はその義務をきちんと果たしているかどうか、怪しいところ
ですが。)「邦人保護」目的の軍事行動は、相手国の政治の否定・主権
侵害にほかなりません。

イラクで日本人が人質になった時には、「自己責任」を大義名分とした
凄まじいバッシングが起こりましたが、もしあれが自衛隊が派遣される
前だったら、反応はまるで違っていただろうと思います。
今の自衛隊に人質救出能力があるとは思えませんが、派遣するにして
も止めるにしても、「人質の命を守るために」が合言葉になっていたこと
でしょう。しかし派遣してしまえば、「邦人保護」なんてどこかへ行って
しまうのです。「国益」のためには、個人の権利は無視されます。
それは非常時に限ったことではありません。「公共の福祉」の名目で
国民の権利が奪われた事例は、枚挙に暇がありません。
その際、もっともらしい理由付けがなされますが、よくよく見れば裏には
大きな矛盾をはらんでいたりします。
例えばイラクの人質事件では、「テロに屈しない」以前に民間人、特に
ジャーナリストの拘束は、国際法に反することを主張して国際世論を
味方につけるべきでした。「大義」無き戦争に協力した後ろめたさから
言えなかったのであれば、まだこの国も救いようがありますが。

日系人

2005年11月30日 23時30分58秒 | 時事・社会
耐震強度偽装問題と並んで、連日メディアを賑わしていた、広島の
女児殺害事件は、日系ペルー人ピサロ・ヤギ・フアン・カルロス容疑
者の逮捕という局面を迎えました。
警察は確証を持っているのかも知れませんが、まだ「被疑者」の
段階で、本人も容疑を否認しているにも関わらず、これで事件が
「解決」したかのような報道がなされていることには疑問と怒りを
禁じ得ません。ローカルニュースでは、この間寄せられた不審者
情報の多くは日本人であったことを伝え、外国人差別はしないよう
にと一応呼びかけてはいましたが。
ヤギ容疑者がどのような経緯で広島にやって来たのか、詳しくは
知りませんが、実は広島は、日本で最も海外移住者が多い県です。
新天地で一攫千金を夢見る、と言えばロマンチックで聞こえがいい
ですが、現実には生活が困窮し、「二度と帰れない出稼ぎ」として
出て行かざるを得ない悲惨な状況がありました。
また、彼らの「仕送り」を、外貨獲得の手段にしようと目論んで、海外
移住を推進する政策を国が取ったことも、見逃せない事実です。
そうした移民の子孫たちが、バブル期以降、「安価な労働力」として
日本に出稼ぎにやってくるようになりました。
しかし、地域社会がまだ外国人を受け入れられる状況になく、各地で
トラブルが起こっています。
身寄りも無く言葉も通じない異郷の地で、外国人同士が固まるのは
ある意味自然なことです。日本人だって、海外に行けば多くの人が
そうします。日本人の正社員に比べれば所得はとても少なく、その中
から祖国に仕送りをしたりすれば、1人で生活するのは難しいため、
仲間同士で共同生活を送ることもあるでしょう。それが周辺住民に
理解されずに、アパートを追い出されたりします。
もし今回の事件がヤギ容疑者の犯行だとしても、そうした在日外国人
を取り巻く問題が「免罪符」になるわけではありませんが、彼らは別に
犯罪目的でやって来たわけではないのですから、安心して安定した
生活を送れる環境があれば、このような事件は起こさなかったのでは
ないかと思います。

日系人といえば思い起こすのは、「言葉のアヤ」発言で有名な、昭和
天皇の訪米の時のことです。
街で人々の歓迎を受けた際、白人には愛想を振りまいていましたが、
日系人やアジア系の人たちには冷淡だったそうです。
その時々の都合で「日本人」にしたり「外国人」にしたり、勝手なもの
ですね。

タミフル

2005年11月14日 16時24分59秒 | 時事・社会
タミフルを服用した少年2人がその後、異常行動をとって死亡していた
ことが、昨日の朝刊で報じられていました。
asahi.comには次のような記事がありました。

2005年11月12日23時33分
 インフルエンザ治療薬オセルタミビル(商品名タミフル)を服用した
患者の中高生2人が異常行動を起こした後に死亡した事例がある、と
NPO法人「医薬ビジランスセンター」(大阪市)の浜六郎理事長(医師)
が12日、津市で開かれた日本小児感染症学会で報告した。浜理事長
は「異常行動は薬の副作用」と指摘するが、厚生労働省研究班の
専門家はインフルエンザがきっかけで起きる脳炎・脳症の前にも異常
行動が出ることがあるとして、副作用との見方に否定的だ。(中略)
 販売元の中外製薬によると、タミフルは昨シーズンは大人を含め
約1000万人分が使われたとみられる。また、研究班によれば、インフル
エンザにかかった子どもの9割に処方されているという。(中略)
 厚労省は昨年6月、「医薬品・医療用具等安全性情報」で、タミフルを
服用した10代の女性が窓から飛び降りようとして母親に制止された例
などを報告。薬品の添付文書でも副作用として意識障害などの神経
症状が追加された。

このタミフル、現在各国が対策に躍起になっている鳥インフルエンザに
唯一効果がある薬品として、備蓄合戦が繰り広げられています。
WHOでは鳥インフルエンザの死者を1億5000万人に及ぶ恐れがあると
警告、日本でも厚生労働省が感染者3200万人、死者17万人にのぼる
こともあり得るとの試算を発表し、政府は2500万人分のタミフルの備蓄
を目指しているものの、現在のところ1500万人分がやっとだそうです。
とはいえ、例年の日本での年間販売量が1500万人分で、それだけで
世界の8割以上を占めるといわれています。
桁違いの「鳥インフルエンザ特需」に、製薬メーカーは笑いが止まらない
でしょうね。

タミフルは、発症から48時間以内に服用を始めればウイルスが体内で
増殖するのを抑える働きがある、とされていますが、その効果は「熱が
ある期間を1日縮める」程度だそうです。要するに、1日長く休んで
しんどいのを我慢すれば飲まなくて済む、とも言えるわけです。
欧米では「インフルエンザは自然に治る病気」との見方が一般的で、
日本以外にタミフルを大量使用する国はこれまでありませんでした。
副作用を懸念する声も以前からありました。しかし、ワクチンのリスクを
指摘し効果を疑問視する声と同様、製薬メーカー、医師・薬局、行政が
一体となってキャンペーンを展開し、都合の悪い情報をかき消して
きました。
今回の事件に対しても「脳内には興奮を抑える仕組みがあるが、
タミフルはこの仕組みをさらに抑え異常な興奮などを起こすのでは
ないか」(奥西秀樹・島根大医学部教授)といった指摘もあります。
未成年者や乳幼児は化学物質から脳を守る機構が弱く、特にこうした
副作用を受けやすいと考えられています。他にも幼児6人が服用後に
突然死した事例があり、同様の副作用と疑われているそうです。

また、メディアでは取り上げられませんが、日本で軽い症状の患者に
までタミフルが乱用される現状が続けば、耐性を持ったウイルスが
出てくる懸念があります。そのほうがよっぽど恐ろしいことです。
ただの風邪に抗生物質を処方する医師も相変わらず多いですしね。
(ウイルス感染のインフルエンザと違い、一般の風邪には抗生物質は
効きません。合併症の予防という観点からも、逆に体力を落としかね
ない抗生物質の使用は大いに疑問です。)
医療制度改革が本当に必要なら、まずこうした点から見直してほしい
ものです。




死刑制度について

2005年11月11日 23時53分30秒 | 時事・社会
杉浦正健法務大臣が、「人権擁護法案」の修正に言及したり、死刑執行に
慎重な姿勢を示したりと、このところ話題をさらっています。
杉浦氏といえば、官房副長官時代に、自民党森派の「もち代」疑惑で、
政治資金報告も答弁も二転三転させたお方でして、「法の番人」のトップと
して適正かどうか疑問な点もありますが、これまでのところ「人権派」の
面目躍如といった感じです。少なくとも、南野前法相よりは適任でしょう。
つまり、前任者は「適材適所」でなかったことが明らかになったわけです。

さて、私は死刑制度に反対ですので、杉浦大臣にはぜひとも初志を貫徹
して頂きたいのですが、行政のトップの人間が「個人の信念」を理由に
「職務を果たさない」ことがいいのかどうか、少々迷いもあります。
時の権力者の考えひとつで、人の命が左右される、ということでもあるから
です。
これまでにも「信念」を持って死刑執行を拒否した人はいましたし、あまり
意識は無いけれども執行をためらった人も多くいました。しかし、退任時に
まとめて執行するケースもかなりありました。「後任に迷惑はかけられない」
「もし次の人が執行すれば、自分は手を汚さずに人に殺させたと逆に非難
される」等が理由でしょうか。そういう心情も理解できなくはありません。
結局のところ、「死刑制度に反対」という信念を貫き通そうと思ったら、執行
しないだけでなく、制度廃止に向けて積極的に行動すべきでしょう。それが
トップの人間の務めだと思います。
死刑廃止が可能かどうか、すべきかどうか、検討し、国会で議論するなら、
その間は死刑執行を停止することも当然認められるでしょう。恣意的運用
ではなく手順を踏むということを、権力者は徹底して欲しいものです。

世論調査では、死刑制度の存続を望む意見が大多数を占めています。
「犯罪抑止効果」は疑わしいですが(死刑制度のある日本やアメリカが、
他国よりも治安がいい、或いは良くなってきているとは到底思えません)、
「因果応報」「死を以って償う」という儒教的文化が根強く残っているため
だと考えられます。
しかしどうも、死刑に賛成する人は、自分を「正しい側」に置いて被告人を
裁いているように思えてなりません。「中立」「客観的」ではないのです。
冤罪は、特別な人だけのものとは限りません。「誤認」だけでなく、権力に
都合の悪い人間を意図的に「抹殺」する可能性だってあります。
「内乱首魁」「外患誘致」「外患援助」「爆発物使用」は、殺傷の事実の有無
に関わらず、死刑になる可能性があるのです。
それを決めるのは裁判所です。ごく一部の良心的な裁判官を除けば、権力
寄りの裁判所です。メディアも警察や政府の発表を一方的に流し、「識者」
にワイドショーで好き勝手しゃべらせて世論を誘導します。
どこまでも「大勢」について(流されて)いくのなら別ですが、もし「自分は
ちゃんと自分の頭で考えて、正論を述べている」つもりなら、それが世間の
「常識」から仮に外れたとしても、そのために不利益を受けない世の中で
あるために、どうしたらいいか少し考えてみて下さい。

私の教育論 その1 日教組について

2005年11月06日 03時34分07秒 | 時事・社会
おぐさんという方とのコメントの遣り取り(「広島・昭和20年8月6日」参照)の中で、
日教組の問題が出てきましたので、以前から書こうと思っていた教育に関する
私の考えを少しずつ書いていこうと思います。
おぐさんはコメントの中で、
「日教組については私は日教組による洗脳教育を受けたことがあるので分かり
ます。はっきり言ってマインドコントロール教育です。徹底的に日本=悪を子供
に植え付けます。このような教育が現実に行われていることも知ってください。」
「日教組陰謀論については現場がどうとかいうレベルではありません。これは
そのような学校において教育を受けた人なら誰でも分かると思います。」
という風に書いておられます。
残念ながら私にはおぐさんがどこの学校でどのような教育を受けたのか詳しく
は分かりませんが、「徹底的に日本=悪を子供に植え付け」ることが「マインド
コントロール教育」であると断じておられます。
しかしこれは、おぐさん個人の(あるいはおぐさんが支持する)価値観に基づく、
一方的な価値判断であると、私には思えます。
(もちろんそれを否定はしません。賛同はできませんが、大人の議論としては
こういう主張も大いに歓迎します。)
「マインドコントロール」とは、特定の思想・行動を押し付けることだけではなく、
本人の客観的判断力を奪うことがその本質です。「徹底的に日本=悪を子供
に植えつけ」ることだけでなく「日本=善を子供に植えつけ」ることも、日本の
過去の負の歴史を「自虐的」だと言って子ども達に見せないことも、「マインド
コントロール」に他なりません。
(逆に言えば、日教組を批判できるということは、日教組にマインドコントロール
されていない、或いはマインドコントロールが既に解けたことを意味します。)
また、「日本=悪」という図式は、歴史教育の近現代というごくわずかな部分
に関することに過ぎません。日教組がその部分に力を入れてきたのは確か
ですが、その一事を以って全否定しうるのかという点について、あたかも
自明のことのように書いておられる点も気にかかります。
そもそも「日本=悪」とし、徹底的な民主化・非武装化を推し進めたのは、
他ならぬ文部省であったことは、『あたらしい憲法のはなし』や『民主主義』
などを読めばすぐ分かります。日教組はそれを忠実に守り、文部省の「転向」
に対抗してきたのだ、という側面を見落としてはいけないと思います。
つまり、「権力にとって都合の悪いこと」「隠そうとすること」を明らかにする、
というのがいわゆる「左翼」のやり方であって、方法論やイデオロギーの問題
はあるにせよ、その姿勢は、権力べったりの逆「偏向教育」を目指すのでない
限り、簡単に否定すべきではないというのが私の持論です。

私がこれまで書いた記事もお読み頂いている方はお察しかも知れませんが、
私も日教組の教師による教育を受けた経験はあります。体験的に言って、
日教組だからひどい「洗脳教育」でだめだとか、日教組でないからまともだ、
とひと括りにできないというのが私の実感です。
また、私が小学生だった20年前に日教組の組織率は既に50%を割っており、
現在では3割以下といわれています。非常勤講師の割合も増えており、組合
の影響力は以前とは比べ物にならないほど弱まっています。例えば卒業式
の「日の丸・君が代」実施率などを見れば一目瞭然です。
それでもなお、「陰謀説」「脅威論」が振り撒かれること自体に、作為的な
ものを感じずにはいられません。
そんなに日教組が強いなら、もっと「平和な」国になっててもいいはずなのに。

文化の日

2005年11月03日 23時52分33秒 | 時事・社会
以前にも書きましたが(5月3日記事「憲法記念日」)、今日が「文化の日」と
なったのは、日本国憲法の公布を記念してです。
たまたま読んだ本に経緯が書かれていましたが、日本国憲法が枢密院での
可決により成立したのが10月29日で、その日の閣議で新憲法の公布・施行
日を検討した際、速やかに公布し、かつ切りのいい月初めとした場合、11月
1日公布となるが、それだと施行が5月1日で「メーデー」と重なってしまい、
面白くない。また祝日である5月5日という案もあったが、男子の節句であり
武士の祭りである「端午の節句」は男女同権と戦争放棄を規定した新憲法
には相応しくなくGHQの反対も予想されるということで、その間となるように、
11月3日の「明治節」(明治天皇の誕生日)に公布、5月3日施行ということで
落ち着いたのだそうです。
ちなみに、GHQ側は当初、11月3日の意味に気づかずに承認し、後になって
気づいたけれどももう取り消すわけにはいかず、マッカーサーが地団駄を
踏んだ、という逸話もあります。

で、なぜ日本国憲法の公布が「文化」と結びつくのかといいますと、健全な
文化の形成・発展には、人権が保障されることや平和であることが大事だ
と考えられているからです。
ですからもし、人権を制限し、戦争のできる国になるような憲法に変えられて
しまったら、11月3日は「文化の日」ではなくなります。
「明治の日」制定に動くかどうかは分かりませんが、世の中がどんどん右に
偏っていく中で、自分がどこに立ち、何を大切にするか、ますます問われる
ように思います。


ウォームビズ

2005年11月02日 23時54分10秒 | 時事・社会
この夏の「クールビズ」に続いて「ウォームビズ」が喧伝されています。
「クールビズ」の経済効果や、冷房温度設定の変更による二酸化炭素の
排出量削減効果の試算が以前発表されていましたが、要するに「クール
ビズ商品」と銘打ったシャツなどが飛ぶように売れた、というだけのこと
でした。新商品を次々と作って消費させることが果たして地球環境対策に
なるのか、という視点が全く欠落していました。
お上が号令を掛けて、右にならえで動くのが「国民性」なのか、単に自分
で物事を考えないだけなのかはわかりませんが、従来の「ノーネクタイ
運動」を徹底すれば済む話だったはずなんですけどね。
ついでに言えば、オフィスの冷房設定温度を上げたければ、パソコンを
「クールビズ」にしなければなりません。

さて、今度は「ウォームビズ」です。
軽装の「クールビズ」と違ってこちらは「着込む」ので、より大きな経済波及
効果が見込める、などという声が聞かれますから、人々の意識は変わって
いないようです。まあ、懐は涼しくなるかも知れませんが。
大体、冬でも男性は室内では上着を脱いでることが多いですよね。
女性が真冬も短いスカートを履くのをやめれば、簡単に解決する問題だと
思うのですが。
結局「金もうけ」に走って、当初の目的が忘れ去られるのって、いい加減
見飽きました。


米軍再編

2005年10月31日 16時02分37秒 | 時事・社会
日米安全保障協議委員会(2プラス2)で、在日米軍再編や
自衛隊と米軍の役割分担に関する中間報告について合意
がなされました。
注目の沖縄・普天間飛行場は名護市のキャンプ・シュワブ
沿岸部に移設されることになりました。
また空中給油機の鹿児島・自衛隊鹿屋基地への移駐や、
第三海兵遠征軍司令部のグアム移設などにより、沖縄の
負担「軽減」を実現、と謳っています。
しかし、陸軍第一軍団司令部を神奈川・キャンプ座間に
改編移設するのに加え、航空自衛隊の航空相対司令部
を横田基地に移設して日米の「共同統合運用調整所」を
設置するなど、両国の軍事的一体化は強化されます。
厚木基地の空母艦載機部隊の岩国基地への移転も盛り
込まれました。
またこれとは別に、横須賀に原子力空母を配備することも
公表され、波紋が広がっています。

普天間飛行場を巡っては、'96年に橋本内閣が移設・返還
で合意して以降、10年近くたなざらしにされてきました。
名護市移設受け入れを掲げた岸本氏が市長になってから
も地元の反対運動は収まらず、過去に却下された案である
今回の沿岸移設が理解を得られる見通しは皆無に等しい
でしょう。
横田基地は「軍民共用化」が叶わなかったことで、あの
石原都知事も遺憾の意を述べています。
その他の移転先や周辺自治体でも、事前説明が無かった
ことへの批判や移設反対の声が上がっています。
国防は国の専権事項だとしても、トップダウンによる「押し
付け」はもはや通らない、という認識が政府に欠けている
としか思えません。
また、規定路線の修正や既存の基地の間でのたらい回し
といった従来の手法からの脱却も依然できていません。
そんな旧態依然の政府に、これからの時代に対応できる
のでしょうか。

基地問題の根本解決は日米安保条約の破棄しかありま
せんが、将来の同盟解消を目指すにせよ、日本の安全の
ためには必要不可欠として堅持するにせよ、当面の現実
的対応としては、硫黄島移設がベストだろうと思います。
米軍が不満を抱えている硫黄島でのNLP(夜間離発着
訓練)は継続が決まりました。ならば海兵隊基地を丸ごと
移設したほうが合理的です。
自衛隊基地が既にあり、転用可能な立派な施設もあります
し、現在は民間人は立ち入り禁止になってますから、事件・
事故や騒音などの問題も発生しないでしょう。
隊員の住環境の問題や、元島民の感情への配慮などは
クリアしなければなりませんが、コスト面も含めて、最も
実現が容易な案だと思うのですが。

そうなってくれなきゃ、いずれ岩国にNLPも来るでしょうし、
原子力空母も寄港するかもしれません。
その上、上関に原発ができたら、広島にはもう住みたくなく
なってしまいそうです。