社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

定年を迎えた社長の激励会

2011-12-17 15:00:12 | 会社の仕事

先日、当社の社長が60歳つまり定年を迎えられた。恒例により長年の勤続に対する感謝・ご苦労様と今後もご活躍される事を祈願して激励会が開催された。このブログでも何回かこの定年の激励会に関して掲載しているが、今回は当社の社長と言う事で、今までの1個人としての先輩方の激励会とかなり趣が異なった。今までの激励会はどちらかと言うと、先輩方に仕事上関係したごく親しい方々に参加いただいて、後輩有志がボランティア的に開催していた。先例を見習って、先輩に一番関係する(お世話になった)後輩がその中心となり、2~3か月前から何人かを巻き込んで準備した。そして当日も、多くの先輩方が参加されても、司会もその議事進行も後輩たちがくだけた笑いのある中で取り仕切った。そして、無事終了となっていた。

さて、今回の社長の場合は最初から実は混乱した。当初は親会社から出向している者達中心で、準備開催する事を関係する仲間では考えていた。しかし気を効かした先輩の一人が当社の社長だから、会社主体で進めるべきではないかと提案した。つまり社長にお世話になっているのは、親会社から出向している者もそうだが、当社の社員の方だろうと。

結果、会社主体で進める事になった。つまり総務課長と企画部長中心で。従って、通常この手の激励会では事前に必ず回覧して、みんなが記入するお世話になった寄せ書きも回る事はなかった。もちろん会の最中も。事前に間に合わなかった時や忘れた時、或いは割とくだけた会等では当日でもこの寄せ書きは回していたが・・・。

実は会社主体と言っても、会社の仕事でも行事でもない為、この激励会の位置づけは、かなり難しい。

なにが難しいか?この激励会の為に、勤務時間中に、打ち合わせや準備などする事が。当日、会社全体会議が行われていたが、その会議は通常は時間いっぱいまで行われている。しかし当日は16:00には強制的に終了した。そして企画部・総務部主体の激励会準備係が大勢会社を出て開催会場へと出発した。私の所の部長殿も、司会を仰せつかったとの事で、17:00前には会社を出た。一部の人間はその会が開催される事も知らせれていない。

そして、この激励会に参加する事もしない事も(難しい)。参加しなければ、社長の印象は悪くなるだろうし、しかし無料ではなく、この手の会としてはかなり高額だ。当社の社員の感覚からしても。そして、顔を売る為に参加しよう(と言う人はいないと思うが)と思っても、参加する方のYES/NOも社長の意向が反映されていたのだから・・・。マアーこれはこれで良いのかも知れない。社長の為の激励会なのだから・・・。

しかし、社長の取り巻きも気遣いはない方が多いので、自分が参加するメンバーなのに、いつ開催されるかも知らされていなかった方もいた。私の部下の大先輩だ。何とメールが入っていなかった。これには唖然としたが、そう言う私には参加要請もなにもなく、最初から勝手に参加メンバーに入っていた。そして開催まじかに企画部長が出欠の最終確認を取りに来た。

当日、開始前に会場に付いたので、先に会場入りして、みんなと会談して、開始時間を待った。ふと正面・左側つまり司会者の部長を見ると、顔をしかめて、悩んでいた。私が知る限らり、仕事で見た事がない顔だ。ウーンこの仕事(彼にとってはそうだろう。決して自分の意志でなった訳ではないだろう。社長の側近或いは社長の意向だろう)は、通常の仕事より、難しいようだ。さてどうなるだろうか?

と思っていたら、やはり、彼にとっては、やりにくい場面の連発となった。諸先輩がたの挨拶が進む中で、先輩よっては、かれを良く知る先輩がたが登場された。そうすると彼の司会をボロクソに批判した上で、挨拶の言葉を話される物だから、途中から、ふてくされたような態度を取り始めた(もっともそういうふりをしただけで、それも部長殿のシナリオには入っていたかも知れない)。最も話す内容を間違えたり、紹介する来賓が抜けていたり、それの指摘を社長自らされていたりで、なかなか大変な司会だったのは確かだ。つまりこの激励会を仕切っていたのはやはり社長だったと言う事になる。それはそれで構わないと思う。社長の為の激励会なのだから・・・。

普通は、多少落ち度が合っても周りに任すが・・・。その方が何か落ち度があっても、その落ち度の直接の責任は担当者となり、結果自分は恥をかく事になろうが、それは愛嬌だろう。こう言う激励会では。しかし、自分が仕切って落ち度があれば、その責任も自分だろう。いずれにしても、最後は自分(社長)が責任をとる事になるのは同じだが。どちらが良いかは判断が分かれる所だ(???)これは社長の仕事の進め方が全てそうなので、これも判断が分かれる所だ。そう結果が全てとなるのだろう。

この諸先輩の方の挨拶の中で、社長への共通する性格が話されていた。そう情熱がある。上司へもどうどうと発言する。情熱的だ。思い込みが激しい。最初の言葉は良い意味と解釈するが、後半の思い込みが激しいとはこれは良い意味で使われたのだろうか?それとも皮肉だろうか?そうこれは諸先輩が感じていた、好き嫌いが激しいと言う事と人の言う事を聞かないと言う事を表現したかったのだろうか?

マアー色々ありながら無事終了した。

そして、普通だと2次会へと出発と言うのが恒例だが、最近では限りなく、この2次会と言うイベントはなくなった。社長の側近と言うか取り巻きは、社長の意向で動くので、2次会は社長が指名したメンバーだけとなり、後は知らないとなる。

この激励会に参加された先輩の方に私が大変親しい方がいらした。東京時代に毎日のように一緒に飲みに行った方だ。抱き合って再会を喜んだ後、この後どうされるのか聞くと「次が決まっているので、残念だけど・・・」。つまりこの方は社長の2次会参加リストに入っていた。従って時間も21:00を回っていたし、昔の様に騒ぎたいとも思わなくなっているので、さっさと一人で帰った。

確か、取り巻きの方が、司会の部長や企画部長にも2次会の場所が印刷された紙を渡していたので、司会の部長も社長の取り巻き(好き)の方に入っているようだった。しかし親会社の当社を管理する部門トップ(つまり社長の上司)には何も知らされていなかったようだ。実は激励会の最初の乾杯のあいさつをお願いした本社から来られた唯一の来賓だった。組織的に社長の上司となる方や仕事で親会社で多くの方が関係されているが、自分の部門で呼んだのが、一人とはこれも凄い。上司へのおべっかなど一人だけで良いと言う考え方だろうか?これもはっきりして良いのだろう?

会社人生と言う中で、定年までの3年間を100程の会社ではあるが、社長と言う独裁者の立場でむかえられたのはすばらしい人生だ。そしてこの立場も継続される。おそらくリタイヤする時まで。親会社で課長と言う立場で会社人生を送るより、はるかに面白い人生だったと思う(私の勝手な感想だが)。

さて、私は社長にとってどう言う立場なのだろうか?自分を困った時に助けてくれる便利屋的な存在なのだろうか?少なくとも取り巻きではない。つまり社長の好きな人間ではなさそうだ。しかし嫌いな人間かと言うとそうではない?

いや嫌いまではいかないが、どうでもよい人間の部類だ。従って社長に文句を言わず、社長が好きにできる間は、嫌いにはならないだろう。これが社長も司会の部長も、私に対するタンスだ。従って少なくとも私の仕事に対しては、一切の文句を言わない。これが今後も続くのだろうか?


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