社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

私も若い頃、当時のベンチャー会社社長から土下座させられた

2013-10-14 19:58:38 | 会社の仕事

「しまむら店員に土下座させる…強要容疑で女逮捕」の記事がTV等でも放映され、また「半沢直樹」などでも騒がれている(堺雅人:「半沢直樹」一番好きなシーンは大和田常務の土下座)。

ふと、昔の事を思い出した。

私が大学を卒業する時は、大変な不況で、やむなく入った企業はコンピュータシステム(マイコン)の製造販売を行うベンチャー企業だった。恐ろしい程急激に成長する中で、私は、入社数年で管理職となった。受け持った係は3つ、部下が12人いた。

年度末の3月に社長から、私の課から一人、米国のマサチューセッツ(ボストン)に出張させてくれと指示があった。年度末の駆け込みで課員は皆忙しかった為、仕方なく私が米国出張する事にした。

この出張の目的は、米国のコンピュータシステムのベンチャーと提携して、日本でOEM販売を始める事だった。そしてこの出張が、私の海外への初めての出張となったが、この出張が仇となり、半ば強制的に、このプロジェクトに参加する事になった。

そして、営業責任者として、その後約2年間このプロジェクトの推進を担うのだが、1システムで数千万円もするシステムが簡単に売れる訳はなかった。ソフトがなければタダの箱と云われるコンピュータシステム。売るツールが必要だった為にCADソフト等も大手コンピュータ会社と提携して、導入した。しかし上手くいかなかった。

なかなか販売が軌道に乗らない為に、私は、毎週月曜日の朝8:30から社長へ直接、現状を会議で報告させられた。

私には直属の上司である次長とその上の部長がいたが、この上司たちは私を守ってくれる事はなかった。

毎週日曜日の夜がくると、翌日の月曜日が恐怖となり、なかなか眠れなかった。

依然として販売が進まない私の報告に、ある時社長が、遂に激怒して、私に言った。「そこで土下座しろ!お前の後ろに何人の社員や家族がいるのか?お前はその責任を果たしていない!すぐ土下座しろ!」と。

私は「なぜ私一人が責任を負わされなければならないのか?上司がいるではないか?彼らは何もしていないではないか?」と悔しくで悔しくで涙が出そうになるのを我慢して、土下座をした。

その後、このベンチャー企業は危なくなり始めるのだが、私はその前に辞表を提出した。もちろんこの事だけが私がその会社をやめた理由ではない。

米国から仕入れたこのコンピュータシステムの大半は、私が辞めるまで無理やり、叩き売った。とりあえず最低限の責任は果たしたと考えているが、その後どうなったか知らない。このプロジェクトに関係して、外部からヘッドハンゲィングした人たちは私と同じように会社を去って行ったようだが・・・。

今考えると、社長は私に期待してくれたのだと思う。それだけの権限も与えてくれたと思う。力も認めていた気がする。それに十分答えられなかったのは私の力不足かも知れない。

しかしそれなら、なぜ私の上に上司がいたのか?全て直轄でプロジェクトを率いたのに!プロジェクトの全体の責任者や他にも私より上の方がいたのに・・・。と言う思いがその後も続くのだが、それにしても土下座とは、とんでも無いことを私にさせたものだ。今ならおそらくパワハラで訴えられるかも知れないが、当時はこう言う時代でもあった。

話は変わるが、同じ土下座でもこれを仕事にされている方の話を、懇意にさせていただいた大手家電メーカーの品質部門の課長さん(当時の私のお客様だった)から聞いた。

その会社には、家電製品の不良トラブル(家庭用のTVから火が出た時等)で重大な事故があると、謝り専門の方がいらして、事故先の家庭に飛んでいかれて土下座をされるのだそうだ。なるほどこれは確かに土下座を専門とする仕事だと妙に納得した。土下座をする事で許して貰えるならこれは安いものだろう。

いずれにしてもそう言う時代だった。

しかし、今でも私は、当時のベンチャーの社長を許す事はないだろう。そして上司達も。しかし、今でも苦い記憶としてこれが残っている。そして、昔の懐かしい思い出になっているので、これはまたある意味では良かったのかも知れない。と言うのは、その後、当社で様々な仕事をする上で、無能な上司と言うのにいくらでもあったからだが・・・。


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