竹内しげやす 市政チャレンジ日記

新米議員から四期目を向えて市政にチャレンジする奮戦記。
一歩一歩目標に向け前進する日々の行動を日記風に。

閻魔賽日(えんまさいじつ)

2016年07月16日 | 十王経
平成28年7月16日(月)
お早う御座います。
今日は何の日、”閻魔賽日(えんまさいじつ)”の日です。


閻魔賽日とは。
 1月16日と7月16日は閻魔賽日と言い、地獄の釜の蓋が開いて鬼も亡者も休むとされる日(賽日とは、「藪入り:奉公人が主家から休暇をもらい親元などに帰ること」にあたり、閻魔に参詣する日のことである)。

閻魔は、地獄にいて亡くなった人の罪を裁く10人の裁判官(十王)の一人だそうです。
十王というのは、秦広王、初江王、宋帝王、五官王、閻魔王、変成王、泰山王、平等王、都市王、五道転輪王、のことで、人の死後初七日から七日ごとに最初の王から順にに裁かれ 五×七日=三十五日目 に閻魔王のところで最も重要な、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の何処に生まれ変わるかを閻魔王が決定するのだそうです。だから、閻魔王は十王の中心的な裁判官といった存在のようです。

子供の頃、「ウソをつけば、閻魔さんに舌を抜かれるよ」などと言われたことがあります。


今昔物語 第20巻 第45話 「小野(おの)篁(たかむら)、情に依り西三条の大臣を助くる語」 に閻魔王と小野篁の面白い話が載ってます。少し長いですが全文口語訳で記載します。

昔、小野篁と言う人がいました。まだ学生の頃、罪を犯してしまい罰せられる事になりましたが、 その時、西三条大臣藤原良相(よしみ)という方が、宰相として、何かにつけて篁をかばい、難を逃れる事が出来ました。篁はその事を有り難いことだと思い、良相に大変感謝しました。

何年か経ってから、篁は宰相に、良相も大臣になりました。そのうち、良相は重病となり、しばらくたって亡くなってしまいました。 良相は閻魔王の使につかまり、閻魔王宮に連れていかれ裁判を受けることになりました。

裁判員の中に小野篁を見つけました。良相はこれはいったいどうしたことだろうか、と思っていると、篁は閻魔王に「この方は、心の正直な人で、人の為になる方です。 今度の罪は私に免じて
許してもらえないでしょうか」と言いました。閻魔王は 「それは難しい事だが、篁がそう言うなら許してやろう。」と答えました。篁が良相を捕らえた者に「すぐに現世に連れ帰りなさい。」と言うと、 良相は、目覚め、自分の部屋にいたのでした。

その後、良相は病も癒え内裏に上がりました。 そしてある時誰もいないことを確かめて篁に尋ねました。篁は、 「先年の御親切が有り難く、そのお礼をしただけですよ。 ただしこの事は誰にも言わないで
くださいね。」と答えました。良相はこれを聞いて 「篁は只の人ではない、閻魔王宮の臣だ。」と知り、いよいよ恐れ、「人に対しては情けをかけてやるべきだ」と、いろんな人に説いてまわりました。

しばらくするとこの事は自然に世間の知る所となり、「篁は閻魔王宮の臣として、この世との間を行き来している人なのだ」と、 皆、恐ろしがったという事です。

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