平成31年1月24日(木)
お早うございます。
今日は久しぶりに「英霊の言乃葉」を紹介いたします。
<遺稿 母の愛>
海軍中尉 杉本 芳樹 命 昭和20年6月15日 沖縄方面にて戦死
京都帝国大学 徳島県阿波郡伊沢村出身 二十四歳
自分が戦場に赴いた後で、最も心ひかるるものは二つある。
一つは老いし父、老いし母であり、二つには幼き弟妹である。
親にとって、子の喪失ぐらい直接的な絶対的な痛手はないであろう。
父母は、未来の大きな夢を、自分の上にかけられていたことであろう。
それがむざむざと現実の歯車に踏みにじられ、一切が一場の夢と化すかもしれない。
殊に女性としての母にとっては、それがどんなに大きいことか。
彼女はただ母として子に生きるばかりであるからである。
休みに起床した時のあの母の愛。
自分にとっては何物にも代え難く尊い。
母の愛は独自の絶対価値をもつ。
それだけに、また、母は子の喪失に、深く傷つけられることであろう。
ただ自分は、父母に対して「立派に国の為に戦いました。喜んで下さい」
こう言って、父母の余生の幸福ならんことを祈るばかりである。
お早うございます。
今日は久しぶりに「英霊の言乃葉」を紹介いたします。
<遺稿 母の愛>
海軍中尉 杉本 芳樹 命 昭和20年6月15日 沖縄方面にて戦死
京都帝国大学 徳島県阿波郡伊沢村出身 二十四歳
自分が戦場に赴いた後で、最も心ひかるるものは二つある。
一つは老いし父、老いし母であり、二つには幼き弟妹である。
親にとって、子の喪失ぐらい直接的な絶対的な痛手はないであろう。
父母は、未来の大きな夢を、自分の上にかけられていたことであろう。
それがむざむざと現実の歯車に踏みにじられ、一切が一場の夢と化すかもしれない。
殊に女性としての母にとっては、それがどんなに大きいことか。
彼女はただ母として子に生きるばかりであるからである。
休みに起床した時のあの母の愛。
自分にとっては何物にも代え難く尊い。
母の愛は独自の絶対価値をもつ。
それだけに、また、母は子の喪失に、深く傷つけられることであろう。
ただ自分は、父母に対して「立派に国の為に戦いました。喜んで下さい」
こう言って、父母の余生の幸福ならんことを祈るばかりである。