令和6年9月2日(月)
お早うございます。
台風10号は迷走に次ぐ迷走で1週間その進路に注目しながら心配の日々が続きました。
蒲郡市内で起きた土砂災害でお亡くなりになられたお方の、ご冥福をお祈りすると共に、
被災された方の一日も早いご回復を願っています。
さて今日は9月2日。
80年前の1945年9月2日はどんな日だったのでしょうか!
1945年9月2日、トルーマン大統領は今日を正式なアメリカの対日戦勝記念日 V-J Day (Victory over Japan Day) と宣言。
日本の降伏調印式は1945年9月2日、東京湾上に浮かぶ米戦艦ミズーリ号で行われ、その状況はラジオの実況中継で全世界に流された。
トルーマン大統領は、ラジオの実況中継後、全国民向けのラジオ放送で演説。
その中で9月2日を正式にVJデーとし、第二次世界大戦を勝利で終えたことを宣言したのである。
したがってアメリカの第二次世界大戦の終了は1945年9月2日ということになる。
『日本側全権委員一行は、午前9時すこし前にミズリー艦上に現れた。駆逐艦から艦載艇に移り、戦艦のタラップを昇ったのである。一行は直ちに甲板上の式場に導かれ、連合国各代表と相対する位置に整列して開始を待った。』
降伏文書調印式に派遣された日本代表団
『定刻9時、マッカーサーが姿を現し、中央のマイクの前に立った。約2分間の演説である。その後降伏文書の調印が始まる。日本側は調印に先立って、全権に対する天皇陛下の委任状2通と9月2日付けで公布する詔書をマッカーサーに提出した。』
『調印式に先だって、マッカーサーは格調高い演説をした。
「・・この厳粛なる機会に、過去の出血と殺戮の中から、信仰と理解に基礎づけられた世界、人間の威厳とその抱懐する希望のために捧げられたより良き世界が、自由と寛容と正義のために生まれ出でんことは予の熱望するところであり、また全人類の願いである・・」
降伏文書への署名は、日本国代表の重光外相から行われた。午前9時4分だった。
これで戦争は正式に終わった。』
1945年9月2日、USSミズーリ艦上でリチャード・サザランド中将が見守る中、降伏文書に署名する重光葵外務大臣、右随行の加瀬俊一
『続いて日本軍を代表して参謀総長の梅津美治郎大将が署名し、マッカーサー(連合国軍最高司令官として)、ニミッツ(米国を代表して)と署名し、連合国軍の各国代表が次々署名した。』
『上段から重光葵外務大臣と梅津美治郎参謀総長の両全権、続いてマッカーサー司令官はじめアメリカ、中国、イギリス、ソ連、オーストラリア、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランド各国代表が署名しました。』
『いつの間にか雲が切れて、甲板に陽光がさしはじめていた。その雲の切れ間から爆音が聞こえてきた。400機のB29爆撃機と、第3艦隊の艦上機1500機による一大ページェントだった。
『調印式の最後を飾る空のショーが終わると、マッカーサーは米国民向けのラジオ放送を行なった。
「わが同胞諸君、今日、大砲は沈黙している。一大悲劇は終わった。大勝利がかち得られた。空はもはや死を降らさない。海洋はただ通商のみに使用され、人々は、太陽の下をいずこに於いても闊歩できる。全世界は全く穏やかな平和に包まれた。神聖なる使命は完成された・・」
このマッカーサーの寛大さに感動した日本代表団の加瀬俊一随員の報告書をもとに、重光はその日のうちに昭和天皇に調印式の報告を行った。
天皇は「マッカーサー元帥の高潔なステーツマンシップ、深い人間愛、そして遠大な視野」に感動したと伝えられる。
お早うございます。
台風10号は迷走に次ぐ迷走で1週間その進路に注目しながら心配の日々が続きました。
蒲郡市内で起きた土砂災害でお亡くなりになられたお方の、ご冥福をお祈りすると共に、
被災された方の一日も早いご回復を願っています。
さて今日は9月2日。
80年前の1945年9月2日はどんな日だったのでしょうか!
1945年9月2日、トルーマン大統領は今日を正式なアメリカの対日戦勝記念日 V-J Day (Victory over Japan Day) と宣言。
日本の降伏調印式は1945年9月2日、東京湾上に浮かぶ米戦艦ミズーリ号で行われ、その状況はラジオの実況中継で全世界に流された。
トルーマン大統領は、ラジオの実況中継後、全国民向けのラジオ放送で演説。
その中で9月2日を正式にVJデーとし、第二次世界大戦を勝利で終えたことを宣言したのである。
したがってアメリカの第二次世界大戦の終了は1945年9月2日ということになる。
『日本側全権委員一行は、午前9時すこし前にミズリー艦上に現れた。駆逐艦から艦載艇に移り、戦艦のタラップを昇ったのである。一行は直ちに甲板上の式場に導かれ、連合国各代表と相対する位置に整列して開始を待った。』
降伏文書調印式に派遣された日本代表団
『定刻9時、マッカーサーが姿を現し、中央のマイクの前に立った。約2分間の演説である。その後降伏文書の調印が始まる。日本側は調印に先立って、全権に対する天皇陛下の委任状2通と9月2日付けで公布する詔書をマッカーサーに提出した。』
『調印式に先だって、マッカーサーは格調高い演説をした。
「・・この厳粛なる機会に、過去の出血と殺戮の中から、信仰と理解に基礎づけられた世界、人間の威厳とその抱懐する希望のために捧げられたより良き世界が、自由と寛容と正義のために生まれ出でんことは予の熱望するところであり、また全人類の願いである・・」
降伏文書への署名は、日本国代表の重光外相から行われた。午前9時4分だった。
これで戦争は正式に終わった。』
1945年9月2日、USSミズーリ艦上でリチャード・サザランド中将が見守る中、降伏文書に署名する重光葵外務大臣、右随行の加瀬俊一
『続いて日本軍を代表して参謀総長の梅津美治郎大将が署名し、マッカーサー(連合国軍最高司令官として)、ニミッツ(米国を代表して)と署名し、連合国軍の各国代表が次々署名した。』
『上段から重光葵外務大臣と梅津美治郎参謀総長の両全権、続いてマッカーサー司令官はじめアメリカ、中国、イギリス、ソ連、オーストラリア、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランド各国代表が署名しました。』
『いつの間にか雲が切れて、甲板に陽光がさしはじめていた。その雲の切れ間から爆音が聞こえてきた。400機のB29爆撃機と、第3艦隊の艦上機1500機による一大ページェントだった。
『調印式の最後を飾る空のショーが終わると、マッカーサーは米国民向けのラジオ放送を行なった。
「わが同胞諸君、今日、大砲は沈黙している。一大悲劇は終わった。大勝利がかち得られた。空はもはや死を降らさない。海洋はただ通商のみに使用され、人々は、太陽の下をいずこに於いても闊歩できる。全世界は全く穏やかな平和に包まれた。神聖なる使命は完成された・・」
このマッカーサーの寛大さに感動した日本代表団の加瀬俊一随員の報告書をもとに、重光はその日のうちに昭和天皇に調印式の報告を行った。
天皇は「マッカーサー元帥の高潔なステーツマンシップ、深い人間愛、そして遠大な視野」に感動したと伝えられる。