背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

アルヌールよ、再び。

2005年09月16日 21時52分30秒 | フランス映画
 仕事の関係でフランス映画のビデオを毎晩見ている。
 最近フランソワーズ・アルヌールの映画を3本見た。20年ほど前にテレビから録画したもので、どれも3,4回は見ているが、再見するは15年ぶりだった。『ヘッドライト』と『過去を持つ愛情』と『フレンチ・カンカン』である。
 フランソワーズ・アルヌールは今でも好きな女優だが、しばらく彼女の映画を見ていなかったので、大変懐かしく感じた。
 アルヌールは1950年代の人気女優だった。とくに当時の日本人男性の憧れのフランス人女優だったという。「という」といった伝聞表現をつかったのは、私自身リアルタイムで見たわけではないからだ。
 私は1952年生まれなので、アルヌールの全盛期を知らない。私どもの世代が10代から20代初めの頃のスター女優は、フランス人ならカトリーヌ・ドヌーヴだった。ドヌーヴの氷のような冷たい美しさに対し、アルヌールは可憐でアンニュイが漂う美しさといったらいいか。小柄でなにより小顔なところが日本人好みである。抱きしめても抵抗する力が弱い女、それでいて身体の芯では燃えている女。それがアルヌールの魅力なのだろう。
 私が見た3本のなかでは、『ヘッドライト』のアルヌールがいちばん素晴らしく、映画自体もフランス映画らしい悲恋物の名作である。原題は、”Les Gens Sans Importance” (重要でない人々)。日本では封切り時のタイトル『ヘッドライト』で通っているが、この英語まがいの邦題はあまり良くない。が、映画は何度見ても胸にじーんと迫るものがある。暗い映画だが、ジャン・ギャバンとアルヌールの愛人関係が実にせつない。二人とも饒舌でないところが良い。監督はアンリ・ヴェルヌイユで、心理を投影した情景描写がうまい。白黒映画ならではの陰影に富んだ美しさ。黒いエナメルのレインコートを着たアルヌール。歩く姿が瞼に焼きつく。彼女がパリに出てきて、売春宿で仕事を見つける場面はハラハラする。もしや娼婦になってしまうのではないか、という不安。その半面、娼婦に堕ちたアルヌールも見たい、という男の願望。男に黙って、さりげなく堕胎に行く場面は、可哀相で涙がこぼれる。