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千里山ブラウズ

SENRIYAMA BROWSE 千里山の商店街や街並みを散策しながら、素敵な人やお店そして風景と出会えれば‥‥

ベンチで一休み

2006-11-06 00:15:35 | 千里山ウォーカー
千里山のレッチワース・ロードの中程にあるお洒落な輸入雑貨のお店「C.D.F」の、階段下に並べられた子椅子達が街に彩りのアクセントを与えています。もちろん売り物には違いないのですが、坂道の途中でどうぞお休み下さいという店主さんの優しい配慮が伺えます。
ここは元々北堀江の輸入家具屋さんで働いておられた若い御夫婦が、早い時期からネット販売で基礎を作られた上で、リアルなお店もということで故郷の千里山に出店されました。こだわりのステーショナリーや家具・雑貨・本など何時間でも見飽きない楽しいショップです。僕は前に何回か照明器具やボールペン、アレッシーの白いお皿などを衝動買いしています。ボールペンはドイツ製のカラフルなもので、途中不具合が出ましたが直ぐに交換して頂きました。
子椅子のベンチと言えば、阪急千里山マーケットの広場に置かれたものも良く利用されています。例えば色んなお店がこのようなことを提案し合えば、千里山の商店街は一気にプチカフェテラスに変身するのではないでしょうか。小さなことで良いのです、アクションが大事なのだと思います。伝わりますよ、住民やお客様との会話も生まれます。

美空ひばりの“隠れ里”

2006-11-04 00:11:27 | 千里山ウォーカー
千里山月が丘にあるグランドハイツには、アクアブルーに映える共用プールが付いています。現在は静かに水を湛えたままですが、夏の盛りの夜ともなりますと水中ライトに照らされた水着の影が、水しぶきを上げる音が微かに辺りまで響いてきます。
友人の部屋を訪ねる度に、回廊のフェンス越しにプールを見下ろし、このマンションが造られた背景を想います。この建物は大阪万国博覧会の外国パビリオン・スタッフの滞在用として建てられ、イベント終了後は民間に払い下げられました。さすがに老朽化の始まっている部分もあるのでしょうが、現在もその当時のグレード感を漂わせています。
グランドハイツでもう一つ思い起こすのは、昭和の歌姫: 美空ひばりのエピソードです。讀賣テレビの某重役がグランドハイツに部屋を確保し、美空ひばりが公演などで関西方面に来る時には、ゆっくりと寛ろいで貰う“隠れ里”として提供していました。マンションの住民もそんな事情を良く知っていて、できるだけ普段のように接していたとお聞きしています。
美空ひばりもこのプールを見下ろしたり、或いは遠く千里山キリスト教会の尖塔を眺めたりしたのでしょうか。

プールサイド写真  ・プール清掃(ブログ紹介)

千里山ロケーション

2006-10-09 00:47:02 | 千里山ウォーカー
去る1992年放映の関西テレビ系ドラマ「裸の木」(脚本:木々翔太郎)は、現代の高齢化社会を先取りしたテーマで、しかも千里山の住宅地をロケーションして撮影されたことで、多くの住民の記憶に様々なシーンが残されているようです。
大原麗子主演でさとう宗之や小林圭樹共演という演技者揃いの見応えのあるドラマでしたが、その住居の設定が噴水近くの趣のあるK邸で、休憩などで「カフェ・ド・ゴーシュ」に大原麗子が控えていると、勝手口からたくさんのファンが覗き込むということがあったとママさんにお聞きしました。又、K邸への路地向かいにある「稲富酒店」には老人役の小林圭樹が買い物に立ち寄り、その応対に出た店のご主人も少しセリフを貰って演技されたということもありました。
写真は千三保育園の横の急な坂道ですが、大原麗子が夫役のさとう宗之の出勤を、毎朝手を振りながら見送るシーンが何度も見られました。この坂の特徴は何と言っても格子状の植樹壁面で、コンクリート剥き出しのように無機質な印象ではありません。その緑豊かな表情が朝の背景として選ばれた大きな理由だと思います。
さて、それから10年以上が過ぎ去り、高齢化社会は千里山にも容赦なく押し寄せています。その舞台となった千里山に住む僕達は、このドラマの警鐘をこれからどう活かしていけばよいのでしょうか。

「ぶらっと吹田」発行

2006-10-03 00:37:32 | 千里山ウォーカー


市報すいた」10月1日号にも告知されていましたが、「ぶらっと吹田」マップが発行され、今日から緑化公園室や情報公開課で先着順に配られています。僕も昼休みを兼ねて南千里出張所まで貰いに行きました。
千里山がどのような位置づけで紹介されているのか早速確認しました。
 ・千里山界隈コース
 ・佐井寺・関大コース
ともそれぞれに、千里山.NETの「街並み案内」でもお馴染みの名所が挙げられ、副題の「花と緑、水めぐる遊歩道」に相応しい内容になっています。千里山の説明文に、「新旧の住宅群と吹田市内には珍しくなった棚田・溜め池・雑木林‥‥」と述べられているのは、街のアイデンティティーを確かに捉えた視点だと評価します。千里山のH氏なども編集に関わられたとお聞きしましたが、なるほどと思いました。
情報では初版1,000部しか発行されないそうですので、皆さんお早めに入手されることをお薦めします。

緑のアーケード

2006-09-13 00:07:00 | 千里山ウォーカー
千里山団地の桜坂は「緑のトンネル」としても知られていますが、葉桜の季節でもそこを歩くと何とも爽やかな気分になるのを覚えます。僕がイメージする千里山の街並みは、そういう木々の葉陰のアーケードで繋がれた坂道の風景です。
千里山の街の中でも一本の大きな桜や楠などが、道上に空を覆うように張り出している所は幾つかあります。例えばちさと図書館から高塚へ向かう並木道や、第1噴水から一中への途中に残された桜、又千里山保育園の横に立つ桜などがそれで、誰もがその下を通り抜ける毎に気付かずに癒されているのです。それらの木々が仮に無くなったと想像すれば、その風景の味気なさがお分かり頂けるのではないでしょうか?
市報すいた」9月15日号には、佐竹台小学校の「緑のカーテン」で窓を覆う取り組みに、NPO法人の環境学習協会(SELF)がお手伝いをされている記事が載っています。街のスケールで考えると「緑のアーケード」ということになると思います。何十年か掛かると想われますが、イメージすることから全ては始まると思います。そんな千里山はどうでしょうか?

千里山で“そうめん流し”

2006-08-31 02:01:49 | 千里山ウォーカー
フジテレビの朝番組で今週の特集「道」シリーズは、日本各地のさり気ない道を採りあげて、人々の思いや表情を描いて見応えがあります。
その中で大分県の湯平(ゆのひら)温泉という、有名な湯布院温泉街からまだ奥に入った、鄙びた小さな湯治場温泉の石畳の坂道通りが紹介されていました。その坂道を上る地元の人と観光客とは姿が見えなくても、その息づかいで区別ができるということでした。
そこでは伝統のイベントとして、坂道を利用した“そうめん流し”をします。実は以前から千里山の新しいイベントとして、例えば七夕やお月見の季節に、レッチワース通りの両側に竹樋を渡して、噴水辺りから駅までそうめんを流すと楽しいのではないかと考えていました。「千里竹の会」の皆さんに協力して頂いて竹樋を作り、そして終われば噴水公園の中でその竹を使って、子供達に竹とんぼや水鉄砲などの竹遊びを教えて貰います。実現できれば楽しいだろうなと思っています。
さて、写真は千里山月が丘の通称地獄坂ですが、斜度が急なので先の方が見えなくなっています。僕は大丸ピーコックでの買い物帰りに敢えてこの坂を運動を兼ねて上るようにしています。峠を越える時にはもちろん息を切らせてしまいます。まだ地元の人間に成りきれていないということでしょうか。

千里山団地の木立の路

2006-08-26 00:25:51 | 千里山ウォーカー
朝夕はいくぶん過ごしやすい季節になってきましたが、未だまだ日中はきびしい残暑が続いています。今日のニュースの特集でも都市のヒートアイランド現象のことがテーマになっていました。その対策として最近のいろんな取り組みが紹介されていました。
先ず最初は六本木ヒルズでも採用されているドライミストです。非常に細かい水蒸気を撒き、その気化熱で辺りの空気をひんやりさせます。六本木のスタイリッシュなOLの上に降り注ぐドライミストは、未来的で何かおシャレな香水のように見えました。
次ぎはビルのガラスの表面に光触媒の薄い膜を塗布し、その上を何と0.1mmの厚さの滝を流し、その気化熱でビルを冷却しようとするものでした。建物の内側からも水の流れを通して涼しげな風景が眺められ、コスト的にも現実的な段階に入ってきているようです。
上記の二つの方法はテクノロジーを使った解決ですが、最後は自然の緑が発する水蒸気の冷却効果を利用した例で、小学校のコンクリート校舎の周囲にゴーヤを植え、すっぽりと緑葉で包み込むというものでした。TVカメラが教室に入ると、まるで雑木林の中にいるような感じがしました。後でゴーヤカレーの給食が楽しめるかも知れません。
千里山でも例えば大丸ピーコック前の舗装道路を通るよりも、平行する千里山団地の中の緑の路を歩いて図書館や駅まで行く方が、同じ理由で快適なのだということです。この素敵な路を毎日もっと利用しましょう!!

千里山の桜坂

2006-08-18 00:08:32 | 千里山ウォーカー
「桜坂」と言えば一般的には福山雅治の曲で、TV番組とのタイアップで大ヒットしたものが有名ですが、高槻出身のシンガーソングライターのマッキーこと槙原敬之の初期の曲にも「桜坂」があり、私小説的なスタイルで青春のリアルな心情を描くその詞「この坂道が花吹雪になる前に、君はこの街を出ていった‥‥」の花吹雪は、実は千里山の桜坂に舞っていたものらしいということを最近になって知りました。
彼の歌には生まれ育った高槻の街や、通った春日丘高校のある茨木周辺を彷彿とさせる風景がよく出てきます。ファンにとってはこの場所探しがとても楽しみになっているようで、サイト上でもいろんな憶測・説が飛び交っています。そういう意味では「千里山の桜坂」説が正しいことなのかどうかも僕にはまだ分かりません。
しかし僕は、かつて幼なじみの親友と新御堂筋を無免許でかっ飛ばしていたというマッキーを信じます。ただ「千里山の桜坂」ってどこだろうという素朴な疑問が涌いてきました。先ず思うのは千里山団地の桜のトンネルです。関大女子寮の石畳坂愛宕社の石段も雰囲気的に候補にあげられます。千里寺の表参道や関大正門横の道、そして一中の桜並木も‥‥。千里山には当然のことですが桜坂が多すぎると改めて思いました。

君が笑うとき、君の胸が痛まないように
槇原敬之
WEAミュージック

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槇原敬之の本。

松野ひと実
幻冬舎

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イングリッシュ・ガーデン

2006-08-16 00:13:24 | 千里山ウォーカー
千里山の街の始まりは約80年ほど前に、世界的な傾向であった都市への人口集中による住宅不足から、郊外型のガーデンシティーとして千里丘陵で宅地開発が行われたことにあります。
イギリスの田園都市レッチワースをモデルにして、東京の田園調布などと同じ時期に開発されたことから、当初は自然環境も豊かな中に、モダンで瀟洒な住宅が建ち並んでいたと言われています。又ちょうど関東大震災という未曾有の災害があり、本社機能を大阪に移す企業の転勤組も多く、千里山の住民の間では関西弁と標準語が入り交じり、生活文化も高く醸成されていたものと思われます。
その頃の住宅も多くは建て変わり、多様なテイストの家々がモザイクのように並ぶ街並みになってしまいました。しかし、ガーデンや木立・生け垣などを見て歩くと、生活にセンス良く馴染んだガーデンに出会う事もまだ多く、レッチワースをモデルとしたという千里山の街の伝統を今に見る思いがします。千里山.NETではそういった千里山の素敵な雰囲気の住宅やガーデンを、少しずつ紹介させて頂きたいと思っています。

・薔薇の蔓がからまるストーブの煙突が陽光に映えて。

Wの歩道

2006-08-14 00:10:12 | 千里山ウォーカー
千里山・佐井寺図書館へ向かう途中のローソン前の歩道を通っていると、千二小学校の生徒が友達と連れだって、また自転車に乗って楽しそうに追い抜いて行くのですが、その時歩道ではなく一段上がった植え込みの基礎の部分を利用するのを、誰もが見たことがあると思います。でも子供達の真似をしてその脇道を歩いた人は少ないのではないでしょうか。
お奨めします、一度歩いてみて下さい。すごく新鮮な感覚が甦ってくると思います。
一つには正規の歩道がアスファルトであるのに対し、雑草の生えた土の路になっていることが理由かと思われますが、そればかりではあの不思議な感覚は生じません。確かに普段とは違う視線の高さも面白いし、大きな桜の木々の懐を潜り抜ける気持ちよさもあります。
しかし想うに、一番の理由はそこが正規の路でないという、或る種の冒険心に因るものではないでしょうか。街の家のコンクリート塀の上を、綱渡りよろしく伝って歩いた子供の頃のあの誘惑を、現代の子供達も無意識的に欲しているのだろうと思います。

竹薮の小径

2006-07-29 00:23:44 | 千里山ウォーカー

千里山駅が終点だった頃には、街の北側には雑木林や竹薮が連なっていたと言います。山丘の真ん中を切り通しにして削られ、南千里(当時は新千里山駅)まで延長された線路に沿って、元々から竹薮の中に設けられた里道が、現在も自然豊かな昔の面影を残して、静かに南千里へと続いています。
千里山キリスト教会の下の道を線路に沿って北上し、突き当たりで小さく右・左折すると、竹薮の小径の入り口が見えてきます。小さな山田と貯水池を左に見ながら入っていくと、昼間も竹笹の重なりで薄暗く、夏でもひんやりした空気が感じられます。足下に目を落とすと簡易舗装を突き破って根性竹の子があちこちに生えて、いかにも山の里道の風情を醸し出しています。
小径の中程に至ると竹薮が開けて一つ目の橋となりますが、そこには農作業用の軽トラックが通るので自転車は邪魔にならないように、というお願い看板が掛けられています。とても軽トラックが通れる幅ではないので驚かされます。
左の階段を下りるとジャスコの辺りに出ますが、そのまま右へと橋を渡って行くとようやく尾谷跨線橋の上に出ます。そこからは視界が開けて南千里駅やガーデンモール、そして箕面の山々が遠望されます。
尾谷跨線橋を渡ると再び竹薮に入りますが、そこを抜ければ日本大阪教会の横を過ぎて、南千里に続く街路になり自然散歩の小径は終わります。 【マップ

※ 「千里山.NET」の「街並み案内」に「竹薮の小径」としてページ作成しましたので、そちらの方もぜひご覧下さい。

【注】意外と頻繁に人が通りますが、痴漢やひったくり事件も噂されていますのでご注意下さい。

千里山の4つの跨線橋

2006-07-23 00:07:06 | 千里山ウォーカー
千里山には阪急千里線の上を渡る跨線橋が4本架けられています。南から順に「千里山陸橋・関大自動車部前跨線橋・永楽園跨線橋・尾谷跨線橋」と呼ばれています。
ブルーに塗装された千里山陸橋だけが、跨線橋ではなく陸橋と言われているのは、線路と「上の川」を跨いでいるからだと思われます。この橋から千里山西に向かって夕陽が綺麗に見えることが多く、商栄会ガイドマップや千里山.NETのイメージの元になりました。
シルバーに輝く関大自動車部前跨線橋からの眺めも、周りの建物などに視界が遮られることも無く、駅や教会の尖塔そして千里山の丘に建つ住宅がつくる稜線が、とても美しく見えるスポットでもあります。教会の尖塔の上を飛行機が横切る午後6時10分頃にぜひここを訪れてみて下さい!!
永楽園跨線橋と尾谷跨線橋には階段がありません。丘を削って線路を通したことで、従来の里道が宙に浮いて残りそのまま橋になった形です。又、永楽園跨線橋は自動車も通行可能なので、東西をつなげる意味としては利用価値は本来高いものがあります。その辺りの経緯は「のらねこ商会」さんのサイトにも詳しく解説されていますのでご参照下さい。
最後は千里山と南千里の境界線に架かる尾谷跨線橋ですが、ここは次の機会に「竹薮の小径」というエントリーでご紹介する予定です。

※ 千里山.NETの「街並み案内」に、踏切・地下通路・跨線橋のページを作成しました。

【追記-1】阪急千里線を潜る「地下連絡通路」のエントリー記事はこちらにあります。
【追記-2】その後「竹薮の小径」・尾谷跨線橋はこちらにエントリーしました。

地下連絡通路

2006-07-19 00:35:18 | 千里山ウォーカー
千里山は阪急千里線により東西に分断されている、ということは先日の記事でも触れましたが、文化踏切の遮断機が下りても地下連絡通路は、元気に駆け下りていく子供達以外は、余り使われていないようです。僕はあえて足腰の鍛錬のために階段を降昇することにしています。
もう一方の北側にある地下連絡通路は、近くのナオミ幼稚園の園児達が集団で使う他は人通りもまばらで、夜などは女性一人で通ることはとても勇気がいることでしょう。確かに蛍光灯も数少なく昼間でも薄暗くて、いつも少し湿気を感じるような場所です。
しかし、意外に僕はこの反響の良い地下通路は気に入っています。何を隠そう、ここは僕のオリジナル曲の音楽室なのです。向かい側にも人が居ないのを確認すると、潜り抜ける一分くらいの間にサビの部分を歌って歩きます。

 Sky Full of Stars 君の心が見えてく~
 Sky Full of Stars 遠い銀河を探して Deep purple
 Sky Full of Stars 果てしない季宙(ときぞら)を~
 Sky Full of Stars 流れろ~♪

そして、階段から出口の方を見上げると眩しい程の明るさが広がり、僕はしばしの夢宙遊泳から街の喧噪の中へ再び帰っていくのです。

文化踏切 : 駅側の踏切をこう呼ぶそうで、その名が千里山住民の小さな自慢になっているそうです。

【追記-1】「千里山の4つの跨線橋」の記事を書きました。

【追記-2】千里山.NETの「NET放送局」メニューの「千里山の音」コレクションに、北側の地下連絡通路を通る足音を掲載しました。

松が丘の細道

2006-07-14 00:08:43 | 千里山ウォーカー
千里山・佐井寺図書館の前を通って河田新池へと向かう辺りは、松が丘の起伏に富んだ細道が自然の佇まいを残しながら迷路のように入り組み、散策ウォーキングには持ってこいのコースになっています。中でもこの坂道は宅地開発が進むこの一帯では、まだ田舎然とした懐かしい風景が楽しめます。
道傍にさく野の花を横に見ながら上っていくと、ポッカリと緑の木立に囲まれた白いアパートが、ゆったりと取られた専用駐車場の奥に見えてきます。
例えばこのアパートの住民が夜遅く喧噪から逃れて帰ってくる時などに、この坂道を上りながらホッと自然体に戻る様子が想像でき、僕は少し羨ましくさえ感じられました。

雨上がりの西空

2006-07-13 00:19:39 | 千里山ウォーカー


千里山の街は阪急千里線によって東西に分けられています。大きな地区分も東側を千二地区、西側は南に千三地区と北に千里新田地区とになり、公民館や保育園・小学校などもそれに倣っています。その為に地区開催の運動会や盆踊りなど、それぞれの地区間の交流が図られない状態となっていました。
しかし、最近新たな動きとして関大生グループの「千里山グルービーブルーム」やボランティア・グループの「Rua Feliz 千里山平和市」、そして商栄会の「X'mas コンサート」や千里第一中学校の「たそがれコンサート」など、街全体のイベントが多彩な主催団体で企画されることにより、千里山の一体化の意識が高まりつつあるのを実感しています。まだ正式にはなっていませんが、「千里山 Asian Day」といった国際交流イベントなども計画されているようです。こういう傾向がもっと展がり、地域内外から千里山の活気を呼び起こすことを願っています。
ところで、阪急千里線を東西に渡る方法として、踏切と並んで4つの跨線橋と2つの地下通路があります。特に跨線橋からの眺めは視界を遮る建物が少なく、僕の好きな場所でもあります。写真は月が丘の跨線橋から、梅雨明けが近づくのを感じた今日の西空です。