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【徳川家康のおもてなしツアー「故郷」篇】②大樹寺

2014年06月01日 09時05分52秒 | 名古屋おもてなし武将隊

結構な勢いですでに満足してる私を乗せたバスは、次の目的地・大樹寺へと向かいます。向かう間のバス内でもさまざまな話をしてくださって、いったいこの方の引き出しにはどれくらい入ってるんだろうと思いながら揺られておりました(笑)
また“騎馬隊”の話したしw 道路ですからね、そりゃバイク通りますよねw



大樹寺到着し、まず最初にしたことといえば「ビスタライン」の確認。
いつぞや秀吉様も話しておりましたが、岡崎の地では大樹寺と岡崎城を一直線で結ぶラインができていて、そのライン上には高い建物を経ててはいけないということが昔から守られてきているんです。それが今でも根付いている、そういった現実が秀吉様をいたく感激させたようで、かなりの勢いで話してたなー、なんて思い出しながら家康様の話を聞いておりました。

これが大樹寺門から見える岡崎城。


大樹寺と、この写真の門との間には小学校があるのですが、その小学校で運動会が行われていてかなりの人でごった返しておりました。それでもちゃんと岡崎城が見える。これは本当にすごいなあと思いましたね。
法令ができてるわけでもなさそうなのに、400年近く経った今でもしっかり守られているんですよ。なんでもかんでも守ればいいというわけじゃないけれど、こういった想いを受け継いでいっている、というのが日本だよなあと思ったり。


ビスタラインを確認した後は、大樹寺内に入ります。



ご用意いただいていた椅子に座り、まずは大住職さんのお話を聞きました。この方おもしろい方でした♪。ちょちょっと出てきてちょろっと将軍をからかって、そしてすぐに戻っていかれて。え、そんな短くていいの?って思ってたら、今度は案内をしてくださる住職さんが出てこられて。
この方もまた面白い方でして、家康様を殿、殿、と呼びつつ、徳川家&大樹寺の話をしながらも、時々(時々・・・か?)冗談が飛び出るんですよ。ゆえに家康様も遅れてツッコミ入れたりして。軽妙な語り口の方でしたので、楽しくお話を聞くことができました。


軽妙に語られるからこそ、逆に重たい話が重厚に聞こえるんでしょうね。家康様が桶狭間の戦い時に織田軍の追手から大樹寺に逃げ込み、さらにそこで自害しようとして止められた。そのあたりの話を聞いているとき、思わず涙してしまいました。感情移入しすぎw(^^;

大樹寺での出来事でなにが一番って、間違いなくコレでしょう!!


普段は入れない場所に通していただいただけでなく、上座に座らせていただき・・・。しかもこの後ろにある掛け軸には、甦られる前の家康公直筆のお経が書かれているんですよ
しかもしかも写真まで撮らせていただけるんですよ
嬉しい以外の言葉がありません

連写機能を使ったわけでもないのにかなりの枚数撮ってました・・・。だって撮るでしょう

この後に襖絵を保管している部屋に通され、お話を聞きます。襖に書かれている絵によって、その部屋に通される武将の位が分けらているんだそうです。
それをですね、家康様は名古屋おもてなし武将隊になぞらえるんですよ。信長様、秀吉様はこの部屋、利家様、清正様はこの部屋、だけど慶次様だけは・・・どの部屋にも通されないw ですね、大名じゃないですしねw


そして大樹寺でのメイン場所である、位牌堂へ。こちらがすごかった・・・!
両側に徳川家代々の位牌が並べられているんです。江戸幕府がなくなるまでの徳川将軍の位牌がずらーっ。もちろん家康様も。それはもう、荘厳な場所でした。入った瞬間に「これは手を合わせねば・・・!」となりましたから。当たり前といえば当たり前か。
将軍といえども様々なことがありましたから、一概に全員がいい人だったとは言えません。ですが短期長期にかかわらず、日本の歴史を作ってきた方々でもあります。それはやはりすごい事。

こちらの位牌堂は何かのテレビ番組で見たことがあります。ですので家康様の位牌が実際の身長に合わせて作られていることは存じていたんですが、生で見るとやっぱり驚きますね。なるほどなあという気持ちもあれば、小さかったんだなあという気持ちもありました。
でも今現在の家康様は高身長だから違和感ある・・・かと思いきや、それはあんまり感じなかったなあ。家康様は家康様なんだなって思ったにすぎなかった。これも不思議っていえば不思議な感覚。



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