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【名古屋おもてなし武将隊】二人の出立式~2018/3/31

2018年04月08日 22時05分50秒 | 名古屋おもてなし武将隊

見送るのはもう何度目になるんだろうか。
何度であってもこの感情に慣れることはない。

利家様と一之助さんにお会いしたのは2015年4月4日のお披露目式。
再びよみがえりし利家様はまだ肌白く、若々しく。
でも現世に戻ってきたばかりだというのに、槍を構え、二人の陣笠相手に戦う姿は素直に凄いなあと思った。


見てからして体が細く、ちょっと強く抱きしめたら折れちゃうんじゃないかと感じた一之助さん。
でも直後に見せた演目の時の表情が色っぽくて、先がとっても楽しみになった。


あれから約三年。
名古屋城や遠征先で見る彼らは、どんどん変わっていった。
見るのも撮るのも楽しくて、とにかくそれが楽しくて。
これが『武将隊』という人たちを追ってしまう理由のひとつでもあるんだろうなといつも思う。

今回の出立式は天候の心配をしないで済んだ。
いままでに完全に晴れで送り出せたのは信長様と清正様の出立式だけ。
個人的にはこの時が一番つらかった。主君だったこともあるけれど。
もちろん泣いた。けれど笑って見送れた。
それはそれでとてもよかったのだけど、心が取り残された。
彼らは笑顔でかえっていく。でも自分の中では「もっと見ていたかった」という想いがくすぶっていた。
気持ち的にはいっそ雨が降ってくれていたほうがいいと思いさえする。
彼らも泣いてくれているんじゃないかと思えるから。

でもしばらくしてどこからか聞こえてきた。
「彼らはやりきったから晴れ晴れと天に還る」と。
ああそういうことかと腑に落ちた。
信長様も清正様も本当に長い事いてくださった。だから晴れ晴れとかえっていった。
利家様も一之助さんも、彼らなりにやりきったんだろうと思う。
だから晴れた。で、とてつもなく彼ららしい出立式になった。

利家様はお披露目式の翌日、いきなり「話すぞー」と座談を繰り広げたと聞いた。
その独特の内容と話し方に度肝を抜かれたと、変な人だとすぐばれたとも(笑)
私が初めてしっかりとお会いしたのが一ヶ月後。
その時の座談でもいろいろ迷言が飛び出して、これはおもしろいぞ、でも周りは大変だろうなあと余計な心配もしたっけ。
当時の信長様が「一周周ったら好きになる」という名言を残されたけど、出立された今になってようやくその意味がわかった。
実は腹を立てたこともある。
それくらい変な人だった。
話す事に特徴のある方だから、慣れないと厳しいかもしれないとは今でも思う。


でもね、一年経ち二年経ち、後輩ができ、背負うものがなんなのかを彼自身が知り、それが表情にあらわれてくるようになって。
いい表情だなー、かっこいいなーと思う時が増えていった。




花押を貰う際、見て気に入ってくださった一枚がある。
私もとても気に入っていた一枚なので、それを利家様がいいと言ってくださったのが嬉しかった。



一之助さんは最初、どんな人なのかまったくわからなかった。
けっこうな頻度で会ってたのだけど、なにを話したらいいのかもよくわからなくて。
でも徐々におもしろさがあらわれてきて、会話が楽しくなっていった。

初めてツアーでついてくれたときに、現在の時間なのか残り時間なのか、どちらともとれる返事をして家康様につっこまれた。
おろおろするかと思いきや、それに対しても、やっぱりどちらともとれる返事をしたのである。
家康様に対してその話し方ができるなんて、こやつ、できるな?と思ったことは覚えている。
思い返すと一之助さんの場合、家康様と一緒にいるときには特にいろいろ変な反応された気がする。


お祭り男でわっしょいの連呼、はたまたブログにわっしょいの羅列。
世の中のお祭り問答や武将隊メンバーの問答だったり、日記を見るのも楽しみだった。
参加しやすい日記の提示をしてくれたなーと思う。
なぞなぞの返事なんかはもっとできたらよかったな。


出立式で話してたように、先輩だけど後輩な哉太郎さんに対する態度もおもしろかったよね。
他二人がさん付けで呼んでるのに、一之助さんだけは呼び捨てで。
「後輩じゃからな!」ってドヤ顔してるのがおもしろくて。
でもしっかり哉太郎さんを補佐していて、そういう姿を見るのも幸せだった。




利家様も一之助さんも、いろいろな姿を見せてくれた。
楽しい時間をいっぱいもらった。
本当はもっときちんとありがとうと言いたかった。

天に還ってしまった利家様
お祭りを見るために全国を周ろうとしている一之助さん
三年間ありがとうございました。
素敵な時間をありがとう。






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