1992年(平成4年)登場の現金機デジパチ「フィーバーアタックGP」(SANKYO)
初打ちは、新宿・西早稲田の「みよし」(現・「MIYOSHI344」)。授業の合間に良く打ちに行ったが、確変絵柄の「金7」がなかなか引けず、意地になって金7が出るまでシマに通い続けた。結局、最初に金7を引くまでに1か月くらいかかった。「みよし」では、同時期にパチスロの「ビッグパルサー」「スーパープラネット」「ホールインワン」の山佐3兄弟も良く打った。
★大当り確率:1/248
★最高16ラウンド継続、出玉2300個
★SANKYO得意のドラム機。有効ラインは中段・右下がり、右上がりの3ライン。停止順は左⇒右⇒中。
★リーチになると、中ドラムが2段階でスピードを落とす(リーチ後2周目から、速度がガクッと落ちる)。これは、三共ドラム機初の試みであり、打ち手に期待を持たせる演出だった。
★大当り絵柄…全8種類
金7、BIG、2段BAR、JP、赤7、緑7の各三つ揃いと、赤7緑7赤7、緑7赤7緑7。
赤7と緑7は、中ドラムの色が違ってもOK(実質はダブルリーチ)。
★金7で当るとプラス2回、BIGで当ると次回までの確変に突入する。
このようなダブルリーチも存在。どちらで当っても確変というアツいリーチだった。
★確変中は、小デジタル(ドラム上部、右側の7セグ)の確率が1/15⇒1/1.5にアップ。電チューは3秒又は3カウントまで開放。
★さらに、確変中は大当り確率も1/31にアップしており、次の大当りがすぐに来る仕様。
★金7⇒金7と続けて当った場合、2回目の金7は「単発絵柄」扱いとなる為、次の当りが単発だと確変終了(ガッカリパターン)。一方、金7⇒単発⇒金7の順で当れば、最後の金7から再度2回の確変となる(嬉しいパターン)。BIG⇒金7、BIG⇒BIGのパターンでも、確変は継続する。
★確変時、単発時ともに、大当り終了後の保留玉連チャンあり。保留一つにつき、1/31の確率で連チャンする。よって、トータルの連チャン率は、4/31=約12.9%となる。
★一旦確変に入ると、かなり速いスピードで出玉が増えた。確変中の引き戻しや保留連などが絡むと、一気に10連チャン位する事もあった。その分、ドラムの回りが悪い店が大半だった。
★大当り絵柄の出現率は、確変絵柄と単発絵柄の偏りはなく、均等に1/8である。
★ラッキーナンバー用の小デジタルも搭載(ドラム上部、左側の7セグ)。0~9の10種類で、プログラム上、数字毎に出現率の偏りが存在。
LNの数字別出現率…3、5、7⇒各5%、2、4、6⇒各15%、0、1、8、9⇒各10%。
⇒ご覧の通り、「3、5、7」の出現率が極端に悪い。当時、「3,5,7」をLNにしているホールも散見されたので、メーカーサイドからアドバイスがあったものと思われる。
(参考)当時の各店における「フィーバーアタックGP」のLNシステム(一例)
西早稲田「みよし」…確変中は持ち玉遊戯、その他は1回交換
高田馬場「日拓」…確変中は持ち玉遊戯、その他は1回交換
上野「東京会館」…無制限
上野「丸善」…赤7、緑7は継続OK(中ドラムは色違いでもOK)
小岩「大野屋トマト」…ラッキーナンバー「3、5、7」で継続
袖ヶ浦「ナポレオン」…ラッキーナンバー「3、7」で継続
★余談…1993年(平成5年)に某・民放で放映されたパチンコ番組での一コマ
番組のワンコーナーで、「パチンコ台マニア」として岐阜県在住の「K」さんが紹介された。Kさんは、名古屋の中古台販売会社「清本商会」に車で訪問。Kさんはここの常連で、欲しい中古台がある度に車で遠征していた。その時にKさんが買ったのが、「フィーバーアタックGP」だった。
岐阜の自宅に戻ったKさん、自宅の2階に台を運ぶと、部屋に設置した自作のシマに、買ったばかりのアタックGPを手際よく取り付ける。自分で釘調整を行い、思う存分甘釘台のアタックGPを堪能するKさん。廊下や部屋の奥には、無数のパチンコ台が所狭しと積まれている。その数、およそ1000台。中には、6,7年前に千葉県の店舗にしか設置されなかったという、「超レア台」もある。「死ぬまで集める」とテレビキャメラの前で宣言するKさんを見て、「世の中には、凄い蒐集家の方もいるものだ」と、本当に驚かされた。
当時のパチンコは当たるドキドキと.この図柄で当たったら持ち玉遊戯が出来る♪って云うドキドキとダブルで味わえましたね~ また当たった時にLMランプの停止も当たり以上に重要でした(笑) Fパワフルの両サイドのラッキーナンバーランプとかも偏りがあった記憶があります
当時の店員さんは色々大変だったと思いますよ
読売ランドの店は1シマ一時間無制限.(一時間ごとに交換)とかやってました
思い起こせばあちこち随分パチンコ屋ばっかり行ってたな(汗)