嵐山石造物調査会

嵐山町と近隣地域の石造物・道・文化財

嵐山町川島 鬼鎮神社の祭神は賽神 簾藤惣次郎 1984年

2009年02月01日 | 川島

   きじんさま 祭神は賽神(さいのかみ)
           縁結びの道祖神
 鬼鎮神社 大字志賀第一川島区に在り、元七郷村大字広野の飛地であった当時の民有祠であったが明治二十二年(1889)本地【菅谷村】に属し村社として遠く都鄙(とひ)に鳴りわたる名社である。
 由来鬼神又は近くの林に雉子(きじ)の多く群棲(ぐんせい)しているので雉子之宮(きじのみや)と称号していたが、改革の際、ここに奉仕した社掌並びに敬神有力の人々等相謀り相賛けて現称の尊号を奉上した。
 祭神は賽神(さいのかみ)で、神域の風光は清美の上に大きな松、高く伸びた杉、春は桜、秋は楓も美しく、社頭森厳宏壮にして、春秋の大祭、毎月の例祭は勿論、平日でも遠近よりの参拝者の絶え間がない。
 世間に伝えられる当社は「畠山重忠公が菅谷城の鬼門鎮護の神として崇(あが)め奉斎したが、重忠亡び後、世力を尽して主祭する者が無かった為に長い間さびれていた」と言われていたが、今では重忠時代のように盛大に復しつつある。(稲村坦元先生埼玉県史の菅谷村原稿要旨*)
 鬼鎮神社の祭神については、賽神(さいのかみ)又は衝立久那止神(つきたつくなとのかみ)・八衢彦命(やちまたひこのみこと)・八衢姫命(やちまたひめのみこと)とも書かれている。これらの神々について調べて見ると
◎さいのかみ(賽神・塞神・幸神・道祖神・さえのかみに同じ)
◎さえのかみ(障神・賽神・道祖神・みちのかみに同じ)道行く人を災難から守る神、道路、旅行の安全をつかさどる神。
◎道祖神 道路の悪霊を防いで、行人を守護する神。神話の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が伊弉冉尊(いざなみのみこと)を黄泉の国(よみのくに)(死後の国)に訪ね逃げもどった時、追いかけて来た黄泉醜女(よもつしこめ)(死後の国の悪女…鬼女)をさいぎり止めるために投げた杖(つえ)から成り出た神。
 邪悪の侵入を防ぐ神。日本ではさいのかみ、さえのかみと習合(神仏習合)されて同じ神となった。などのかみ、たむけのかみと同じ。
◎くなどのかみ(久那土神・岐神・ふなどのかみと同じ)
◎ふなどのかみ(岐神) 神話の伊弉諾尊が黄泉国から逃避の後、禊祓(みそぎはらへ、みそぎ)の時、投げ捨てた杖から化生(かせい)した神で聚落(しゅうらく)の入口や道の分岐点に祀(まつ)られたから、道路及び旅行の安全守護の神とされた。くなどのかみ、ちまたのかみ、道祖神、道陸神と同じ。
◎たむけのかみ(手向神) 旅人が道中の安全を祈るために、幣物を手向ける峠など村境に祀る神。
◎ちまたのかみ(岐神) ちまた(道股)【道路の分れるところ、分れ道。辻、町の中の道路、街路、繁華な通り】を守って邪悪の侵入を阻止する神。【古事記】神代記下に衢神とあり、天孫降臨(てんそんこうりん)の時、衢(ちまた)に迎えて先導したから「ちまたのかみ」と言う。猿田彦命(さるたひこのみこと)の異様。
◎八衢比古命(やちまたひこのみこと) 道が八つに分かれた所、道がいくつにも分かれた所。八衢比古命・比売命(ひめのみこと)は道路がいくつにも分れた辻に祀られた男女の神で道路を守り、旅人の安全を守護する神で、道祖神と同じ神である。旅に出たなら必ず無事安全に帰り来る事を祈った。
 路傍にある道祖神で男女両神の彫られた石碓(せきたい)【ママ】もあるが、それは八衢比古命(やちまたひこのみこと)・八衢比売命(やちまたひめのみこと)の両神の幸神で、道路を守り旅の安全を祈ると共に、縁結び、結婚の神として祀られ崇敬されている所もある。
 かく調べて見ると、賽神・塞神・障神・幸神・道祖神・道陸神・道神・久那土神・岐神・手向神・八衢比古命・八衢比売命と神の御名は多くあるけれど、同神異名で時代と信仰のうつり変りにより変化したあとがうかがえる。
 鬼鎮神社の御尊号の由来についても、雉子之宮(きじのみや)・鬼神社(きじんじゃ)・鬼鎮神社(きぢんじんじゃ)と時代の信仰と共に変っている。文政四年(1821)調査の新編武蔵風土記稿には鬼神明神社とあり、徳川期に水房村との間の「鬼神宮別当に関する云々」の文書にも鬼神と記されている**。鬼鎮神社と称されるようになったのは明治三十年(1898)以後と思われる***。
     『嵐山町報道』320号 1984年(昭和59)3月30日

*稲村坦元先生埼玉県史の菅谷村原稿については、「稲村坦元先生菅谷村誌原稿 志賀志 ルビ・注」を参照。
**水房村(滑川町水房)放光寺との争いについては、「鬼神宮(鬼鎮神社)をめぐる帰属争い」を参照。
***鬼鎮神社の名称変更については、「鬼鎮神社の名称の変遷」 を参照。


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