嵐山石造物調査会

嵐山町と近隣地域の石造物・道・文化財

市野川改修記念碑建つ 1951年

2009年02月25日 | 川島

 朝な夕な照るにつけ曇るにつけ我々の念願してやまなかった市の川改修工事は地元民の熱意が県政を動かしたのか、県が積極的に之を取り上げたのか、何れにしても両々相俟って行はれたと言はねばならないのであるが、其の大事業が成って茲に十年、この大業を記念すべく幾度か記念碑建設のことが話題に上ったが、種々困難が伴ひ其の実現を見ることが出来なかったのは我々の最も痛惜に堪えない所であった。処が今度川島水房数名の発起人の努力と関係者一同の認識有る協力に依り、遂に立派なる記念碑が建立されたのである。そして初夏の風薫る五月十五日荘厳なる除幕式が挙行された。ここに於て我々の念願は達成され、この事業を永遠に記録し得ると共に後世人をして前人の労苦を偲ばせ益々農業に精進せしめ得ることとなったのである。
 碑は仙台石で巾二尺五寸、高さ八尺五寸、台石の高さを加へれば実に一丈余尺。「市の川改修記念碑」の天額は建設大臣の書で碑文の起草は小川伊三郎翁(川島)、吉野仁堂先生(水房)の合作になり松崎春川先生が之を揮毫し、彫刻は長沼石工(みずふさ)の手になったもので、治水事業の重大性を碑の全面に如実に表したものである。
 そして当日の参列者は改修当時の県会議員工営所長現在の土木工営所長関係地域の町村長村会議員技術者功労者等関係者全員であった。
 顧れば市の川九十九曲りの面影は何処へやら、今は絵のやうな美しい流れが淙々として流域をうるほしている。これを見る時、当時の関係者の労苦を偲びただ無量の感慨に打たれるのみである。そして今回の事業に努力された発起人並び関係者一同に満腔の謝意を表し、尚永遠に朽ちることなく流域の幸多かれと祈念して止まぬものである。(森田與資)
     『菅谷村報道』14号 1951年(昭和26)7月10日


最新の画像もっと見る

コメントを投稿