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キリスト教を知りたい―『ルターの小教理問答』に学ぶ

2013-08-25 16:01:44 | キリスト教
 キリスト教を知りたい。ならば聖書があります。聖書があることこそキリスト教の最大の特色です。しかし、聖書は旧約39巻、新約27巻、全66巻もある厖大な書物です。これを読みこなしてキリスト教の真髄を正しく読み取ることは容易なことではありません。さらに、教会として一致できる結論を引き出すことはなおさらです。そこで、教会は聖書に基づいてカテキズムというキリスト教要理を作ってきました。教理問答とか信仰問答とも呼ばれます。その先駆となったのが、マルティン・ルターの小教理問答書(1529年)でした。その骨子は十戒、使徒信条、主の祈りというキリスト教の3つの重要な文言と、聖礼典(洗礼と聖餐)についての教えです。これらを分かりやすく説明することで、教会は信徒たちを教育しようとしたのです。教理問答を学ぶことで聖書の教えの中心点がはっきりします。そして、聖書の森に分け入るための見取り図をもつことができるのです。ここにあげるルターの小教理問答書は簡潔明瞭で親しみやすく、今も広く使われているものです。教会の修養会のためにドイツ語からの訳を作ってみました。

マルチン・ルターの小信仰問答書(1529年)

目次
第一部:十戒について
第一の戒め
第二の戒め
第三の戒め
第四の戒め
第五の戒め
第六の戒め
第七の戒め
第八の戒め
第九の戒め
第十の戒め
十戒の結び

第二部:使徒信条について
第一の記事:創造について
第二の記事:あがないについて
第三の記事:聖めについて

第三部:主の祈りについて
神への呼びかけ
一番目の願い
ニ番目の願い
三番目の願い
四番目の願い
五番目の願い
六番目の願い
七番目の願い
アーメン。

第四部:洗礼について

第五部:聖餐式について

(参考文献)
マルティン・ルター「小教理問答書」日本福音ルーテル教会
マルティン・ルター「小教理問答書」(石原謙訳 『信仰要義』岩波文庫 所収)
マルティン・ルター/徳善義和訳「小教理問答」(『宗教改革著作集14』所収)
マルチン・ルターの小信仰問答書(結城浩訳)
  http://www.hyuki.com/trans/smallct.html
Der Kleine Katechismus
 http://www.ekd.de/glauben/bekenntnisse/kleiner_katechismus.html
Luther's Little Instruction Book (The Small Catechism of Martin Luther), translated by Robert E. Smith
 http://www.iclnet.org/pub/resources/text/wittenberg/wittenberg-boc.html#sc
Le petit catéchisme de Martin Luther
  http://www.ekd.de/francais/foi/luther_petit_catechisme.html

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第一部 十戒について

第一の戒め

あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。

問い これはどういう意味ですか。

答え わたしたちは何よりも神を畏れ、愛し、信頼しなければならないということです。

第二の戒め

あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。

問い これはどういう意味ですか。

答え わたしたちは神を畏れ、愛さなければなりません。ですから、神の御名を用いて呪ったり、誓ったり、まじないをしたり、嘘をついたり、人をだましたりしてはいけません。そうではなく、どのような悩みの中でも、神を呼び求め、神に祈り、神を賛美し、神に感謝するのです。

第三の戒め

安息日を心に留め、これを聖別せよ。

問い これはどういう意味ですか。

答え わたしたちは神を畏れ、愛さなければなりません。ですから、説教や神のことばを軽んじてはいけません。そうではなく、これを聖なるものと考え、喜んでこれに耳を傾け、これを学ぶのでなければならない、ということです。

第四の戒め

あなたの父母を敬え。

問い これはどういう意味ですか。

答え わたしたちは神を畏れ、愛さなければなりません。ですから、両親や目上の人たちを軽んじたり、わずらわせたりしてはいけません。そうではなく、この人々を敬い、この人々に仕え、聞き従い、この人々を愛し、重んじなさい、ということです。

第五の戒め

殺してはならない。

問い これはどういう意味ですか。

答え わたしたちは神を畏れ、愛さなければなりません。ですから、隣人のからだを傷つけたり、苦しめたりしてはいけません。そうではなく、困っているときにはいつも、隣人を助け、力づけてあげるのです。

第六の戒め

姦淫してはならない。

問い これはどういう意味ですか。

答え わたしたちは神を畏れ、愛さなければなりません。ですから、言葉においても行いにおいても、きよく、ただしくなければなりません。そして、それぞれ自分の妻や夫を愛し敬うのです。

第七の戒め

盗んではならない。

問い これはどういう意味ですか。

答え わたしたちは神を畏れ、愛さなければなりません。 ですから、隣人のお金や持ち物を奪ったり、不正な品物や取り引きで利益を得たりしてはいけません。そうではなく、隣人が自分の財産や暮らし向きを豊かにし、それを守ることができるように、助けるのでなければなりません。

第八の戒め

隣人に関して偽証してはならない。

問い これはどういう意味ですか。

答え わたしたちは神を畏れ、愛さなければなりません。ですから、隣人をだましたり、裏切ったり、陰口を言ったり、悪い評判を立てたりしてはいけません。そうではなく、隣人をかばい、良く言い、すべてがうまくいくように計らうべきです。

第九の戒め

隣人の家を欲してはならない。

問い これはどういう意味ですか。

答え わたしたちは神を畏れ、愛さなければなりません。ですから、悪いたくらみをもって隣人の財産や家をねらったり、まことしやかな理屈で自分のものにしようとしてはいけません。そうではなく、隣人が自分のものを保つことができるように、相談に乗り、助けになってあげるのです。

第十の戒め

隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。

問い これはどういう意味ですか。

答え わたしたちは神を畏れ、愛さなければなりません。ですから、隣人の妻、雇い人、家畜をそそのかしたり、そむかせたり、奪ったりしてはいけません。 そうではなく、彼らが隣人のところにとどまって、それぞれの義務を果たすようにさせるのでなければなりません。

十戒の結び

問い これらの戒め全体について、神様は何と言っておられますか。

答え 神様は次のように言っておられます。「わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える」(出エジプト20:5~6)。

問い これはどういう意味ですか。

答え 神様はこれらの戒めにそむく者をすべて罰すると警告しておられます。それゆえに、わたしたちは神の怒りを畏れ、これらの戒めにそむかないようにしなければなりません。しかし、神様はこれらの戒めを守る者には恵みとあらゆる良いものを約束してくださいます。それゆえに、わたしたちは神を愛し、信頼し、喜んでこれらの戒めにしたがって歩まなくてはならないのです。


第二部 使徒信条について

第一の箇条 創造について

われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

問い これはどういう意味ですか。

答え わたしは、神様がすべての被造物と一緒にわたしを造られたということを信じます。神様はわたしに、肉体と魂、目と耳とからだのすべて、心と感覚のすべてをお与えになり、それらを保っていてくださいます。また神様は、衣服と靴、食べ物と飲み物、家屋敷、妻や子ども、田畑と家畜と持ち物すべてを与えてくださいます。神様はわたしのからだと命に必要なものをすべてを日々豊かに与えてくださいます。神様はどんな危険の中でも助け、すべての災いを防ぎ、守ってくださいます。神様がそうしてくださるのは、ただ父としての、神の愛と恵みによるのです。わたしの功績のゆえでも、わたしにその資格があるからでもありません。これらすべてのことのゆえに、わたしは神に感謝し、賛美をささげ、神に仕え、従わなくてはならないのです。このことは真実で間違いありません。

第二の箇条 救いについて

われはその独り子、われらの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて、生けるものと死ねるものとを審きたまわん。

問い これはどういう意味ですか。

答え わたしは、イエス・キリストが永遠の父から生まれたまことの神であること、また処女(おとめ)マリアから生まれたまことの人であり、わたしの主であることを信じます。主は、迷い出て罪に定められた者であるわたしを救ってくださいました。すべての罪と、死と、悪魔の力とから解き放ち、ご自分のものとしてくださったのです。それは金や銀によってではなく、主のきよく貴い血によってであり、また罪もないのに受けた苦しみと死によっています。このようにして、わたしは主のものとなり、そのみ国で主のもとに生き、永遠に義とされ、罪ゆるされ、さいわいな者として、主に仕えるのです。主はそのために死者の中からよみがえり、永遠に生きて治めておられるのです。このことは真実で間違いありません。

第三の箇条 きよめについて

われは聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒のまじわり、罪の赦し、からだのよみがえり、とこしえの命を信ず。アーメン。

問い これはどういう意味ですか。

答え わたしは、自分の知恵や力で、わたしの主イエス・キリストを信じることも、みもとに近づくこともできないと信じます。けれども、聖霊は福音によってわたしを召し、その賜物をもって照らし、正しい信仰を与えてきよめ、わたしをしっかり立ててくださいました。同じように、聖霊は地上のキリスト者すべてを召し集め、照らし、きよめ、ひとつの正しい信仰によってイエス・キリストのもとにしっかり立ててくださいます。こういうキリスト者のつどいの中で、聖霊は日々わたしとすべての信徒が犯した罪をみな惜しみなくゆるしてくださるのです。そして、終わりの日には、わたしとすべての死者たちを復活させ、キリストを信じるすべての人たちと一緒に、わたしに永遠の命を授けてくださるのです。このことは真実で間違いありません。


第三部 主の祈りについて

神への呼びかけ

天にまします我らの父よ、

問い これはどういう意味ですか。

答え 神様がこれによって教えておられるのは、ご自分がわたしたちの本当の父であり、わたしたちが神の本当の子どもであると信じなさいということです。また、そのことによって、わたしたちが励まされ、心から信頼して神に祈らなくてはいけないということです。それはちょうど、かわいい子どもたちが、自分の愛する父親のところへ、自分の願いごとをもっていくときと同じです。

一番目の願い

ねがわくはみ名をあがめさせたまえ。

問い これはどういう意味ですか。

答え 神の御名はもちろんそのままで聖なるものです。それでも、この願いを通して、御名がわたしたちのもとでも聖なるものとなりますようにと、祈らずにいられないのです。

問い どうすれば、そのようになりますか。

答え 神の言葉が純粋に混じりけなく教えられ、わたしたちが御言葉にしたがって神の子にふさわしい生活をするときにです。天におられる愛する父よ、そのことができるように、わたしたちをお助けください。しかし、神の言葉が教えるのとは違った教えを説いたり、違った生活をしたりする者は、 わたしたちの間にあって、神の御名をけがすことになるのです。天におられる父よ、そのようなことにならないように、わたしたちをお守りください。

ニ番目の願い

み国を来たらせたまえ。

問い これはどういう意味ですか。

答え たしかに、わたしたちが祈らなくても、神の国は自分のほうからやってきます。それでも、わたしたちはこの願いを通して、神の国がわたしたちのところにも来てくださいますようにと、祈らずにいられないのです。

問い どうすれば、そのようになりますか。

答え それは、天の父がわたしたちに聖霊を送ってくださり、わたしたちが神の恵みによって聖なる御言葉を信じるようになり、今も後もとこしえに御心にかなう生活を送るようになるときにです。

三番目の願い

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

問い これはどういう意味ですか。

答え たしかに、わたしたちが祈らなくても、神様はただしい、恵み深い御心を行われます。それでも、わたしたちはこの願いを通して、神様がわたしたちのもとでも御心を行ってくださいと、祈らずにいられないのです。

問い どうすれば、そのようになりますか。

答え 悪魔やこの世の思い、わたしたちの肉の思いが、わたしたちに神の御名を聖なるものとさせまいとし、御国が来ることを妨げようとしています。御心が地にも行われるのは、そういうすべての悪いたくらみや欲望を、神様がことごとく打ち砕き、防いでくださり、それだけでなく、わたしたちを強め、みことばと信仰とのうちにしっかりと立ててくださるときにです。これこそ、恵みにあふれた、ただしい神の御心です。

四番目の願い

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

問い これはどういう意味ですか。

答え たしかに、わたしたちが祈らなくても、神様は悪い人たちにさえ日毎の糧をお与えになります。けれども、この願いを通して、そのことを神様がわたしたちに気づかせ、 わたしたちが感謝をもって日毎の糧を受けるようにしてくださいと、祈らずにいられないのです。

問い 「日用の糧」とはどういう意味ですか。

答え わたしたちのからだを養い、必要を満たしてくれるすべてのものです。 たとえば、食べ物、飲み物、着る物、靴、家、庭、土地、家畜、金銭、財産、善い妻や夫、愛する子どもたち、忠実な雇い人、誠実な指導者、善い政府、好い天気、平和、健康、学問、名誉、良い友だち、信頼できる隣人などです。

五番目の願い

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。

問い これはどういう意味ですか。

答え この祈りを通してわたしたちがお願いすることは、天の父がわたしたちの罪に目を留めようとなさらず、また罪のゆえにわたしたちの願いごとを拒むことがないように、ということです。なぜなら、わたしたちには祈る資格さえもありませんし、祈りをかなえていただく値打ちもないからです。しかし、わたしたちが毎日多くの罪を犯し、裁きに価する者でしかなくても、天の父はすべてを恵みによって与えることを望んでおられます。また、それゆえにわたしたちもまた、自分に罪を犯す人たちを心から赦し、その人たちに喜んでよいことをしたい、と願うようになるのです。

六番目の願い

我らをこころみにあわせず、

問い これはどういう意味ですか。

答え もちろん、神様は人を誘惑したりはなさいません。ただ、わたしたちがこの祈りを通してお願いすることは、神様がいつもわたしたちを守り、助けてくださるように、ということです。すなわち、悪魔やこの世や肉の欲がわたしたちを惑わし、不信仰や絶望、その他の大きな過ちや悪事へと誘い込んだりすることのないように、そして、たとえわたしたちがそういう試みにさらされたとしても、最後にはそれに打ち勝ち、勝利することができますように、と祈るのです。

七番目の願い

悪より救い出(いだ)したまえ。

問い これはどういう意味ですか。

答え 全体の結びとして、わたしたちがこの願いを通して祈ることは、天の父がからだと魂についても、財産と名誉についても、わたしたちをあらゆる悪から守ってくださるように、ということです。そして、ついに世を去る時がきたときには、さいわいな最後をお与えくださり、み恵みによって、この悩み多い世から天のみもとへ導いてくださいますように、と祈るのです。

結び 国と力と栄えとは限りなくなんじのものなればなり。アーメン。

問い アーメンとはどういう意味ですか。

答え わたしが確信しなければならないことは、これらの願いが天の父に受け入れられ、聞き入れられているということです。なぜなら、神様ご自身がこのように祈るようにお命じになり、わたしたちの祈りを聞き入れると約束しておられるからです。アーメン、アーメン。 これは「そうです、そうです。そのようになるのです」という意味です。


第四部 洗礼について

問い 洗礼とは何ですか。

答え 洗礼はただ単なる水の洗いではありません。神によって定められ、神の言葉と結びついた水の洗いなのです。

問い それはどのような御言葉ですか。

答え わたしたちの主であるキリストが、マタイによる福音書の最後の章で語られた御言葉です。「全世界に出て行き、すべての民を弟子とし、父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」(マタイ28:19)。

問い 洗礼によって何が得られ、どんなよいことがあるのですか。

答え 洗礼は罪の赦しをもたらし、死と悪魔から救い出し、信じる者すべてに永遠の救いを与えます。それは神の言葉と約束とが宣言しているとおりです。

問い その神の言葉と約束とは何ですか。

答え わたしたちの主であるキリストが、マルコによる福音書の最後の章で語られた御言葉です。「信じて洗礼を受ける者は救われる。しかし、信じない者は罪に定められる」(マルコ16:16)。

問い どうして、そのような大いなることが水にできるのですか。

答え もちろん、水にはそのようなことはできません。水とともに働く神の言葉と、水とともに働く神の言葉を信じる信仰によって、そのようなことが起こるのです。なぜなら、神の言葉がなければ、水の洗いはただの水の洗いにすぎず、洗礼ではないからです。しかし神の言葉があるとき、水の洗いは洗礼となり、恵みに満ちた命の水となり、聖霊による新生の洗いとなるのです。それは、パウロがテトスへの手紙3章で述べている通りです。「神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです」(3:5~8)。このことは真実で、間違いありません。

問い 水による洗礼にはどんな意味があるのですか。

答え わたしたちの内にある古いアダムは、日々のざんげと悔い改めによって、すべての罪と悪しき欲望もろともおぼれ死に、もう一方で、新しい人が日々現れ出て、よみがえってくるということです。その新しい人が、神の御前で、義ときよさをまとって、永遠に生きるのです。

問い どこにそれが書いてありますか。

答え 使徒パウロが、ローマの信徒への手紙6章で次のように言っています。「わたしたちは洗礼によってキリストとともに葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです」(6:4)


第五部 聖餐式について

問い 聖餐式とは何ですか。

答え 聖餐式は、わたしたちの主イエス・キリストのまことのからだ、まことの血潮です。パンとぶどう酒というかたちで、わたしたちキリスト者が食べ、飲むようにと、キリストご自身によって制定されたものです。

問い どこにそのことが書いてありますか。

答え 福音書記者マタイ、マルコ、ルカ、そして使徒パウロが書いています。

「主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを割き、弟子たちに与えて言われました。『取って食べなさい。これは、あなたがたのために与えられるわたしのからだである。わたしの記念としてこれを行いなさい』。また、食事の後で、杯も同じように取り、感謝の祈りをささげてそれを弟子たちに与え、言われました。『皆、取って飲みなさい。この杯は、罪が赦されるように、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこれを行いなさい』」。

問い そのように食べたり飲んだりすることに、どんなよいことがあるのでしょうか。

答え そのことを示しているのは、「あなたがたのために与えられる」と「罪が赦されるように流される」という御言葉です。 すなわち聖餐式で、これらの御言葉を通して、罪の赦し、いのちと救いがわたしたちにもたらされるのです。 なぜならば、罪の赦しがあるところ、いのちと救いもまた同じようにあるからです。

問い どうして、口から食べたり飲んだりすることによって、そんなに大いなることが起こるのでしょうか。

答え もちろん、食べたり飲んだりすることによって、それが起こるわけではありません。ここに書かれている「あなたがたのために与えられる」と「罪が赦されるように流される」という御言葉によってそれが起こるのです。これらの御言葉は、口で食べたり飲んだりすることとならんで、聖餐式の重要な部分を占めているのです。これらの御言葉を信じる人は、そこで述べられている通りのもの、記されている通りのもの、すなわち罪の赦しを得るのです。

問い それでは、誰が聖餐式にあずかることができるのでしょうか。
答え 断食などの肉体的な準備は、たしかにからだの良い訓練にはなるでしょう。しかし、「あなたがたのために与えられる」と「罪が赦されるように流される」という御言葉を信じる人なら、誰でも聖餐式にあずかる十分な資格があり、準備ができているのです。これらの言葉を信じなかったり疑ったりする人は、聖餐式にあずかる資格がないのであり、準備ができていないのです。なぜなら「あなたたちのために」という御言葉は、何よりも信じる心を求めているからです。

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2 コメント

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たすけてください (大学生)
2013-09-24 21:35:34
初めまして。こんなコメントを書くことをお許しください。私は浜松で大学生をしている者です。私の両親は統一教会の熱心な信者です。しかし私はその教えをどうしてもうけいれられません。高校もカトリックのミッションスクールに通っていましたが、そこで学んだこともあり、ますます統一教会の教えを信じられなくなりました。しかし、両親はとても教えに厳しく、私に統一教会の教えをしいてきます。それが嫌で県外の浜松にきましたが、両親の姿勢はますます厳しくなるばかりです。
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小教理問答書を探しています (Unknown)
2019-06-27 22:41:41
初めまして。急な質問ですみませんが、こちらに書かれてある小教理問答書についてもっと詳しい情報お聞きしたいのですが
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