うさぎのひとり言

唐突な思いつきで、脈絡なく不定期に書いてます。

あのねぇ~

2014-02-26 | Weblog

ゴーストライターと言うと聞こえが悪いが、そう遠くない昔、代書屋みたいな職業がありました。

今もあるのかなぁ? 昔は、文字が書けない人が手紙の代筆を頼んだり、より達筆で書きたい人が頼んでいたように理解している。今あるとしたら、証書とか、特別な書類とか、結婚披露宴とかの宛名の代行とか。いずれにしても、内容よりも見た目重視ってことかな? でも昔は、内容にも踏み込んで文章を作ってあげてたんだよね。

そんな映画を見たような気がするのは気の迷いかしらん? 貧しい学生さんが顔見知りのお姐さんに頼まれて、美文字で美文を書いたら恋がうまく進んで…なんていうエピソード。少女マンガだったかな?

私は、ガッキ―がわざわざ身を晒して記者会見をしたのは、ゴーストライターをしていたことを罪だと思ったからではなく、自分が書いた曲や楽譜を利用してのさばっていく人間のサクセスロードの片棒を担いでいる現実に耐えられない、その罪深さを認識しての告白だったと理解している。

単にのさばっていくだけではなく、のさばることで得た《力》を他人にまで差し向けて他人の人生に看過できない影響を与えようとしていることに耐えられなかったことと、自分の心が真の音楽の精神に背くことが出来ないということだったと理解している。

ゴーストライターを非難している意見は、自分がゴーストを使って稼いでいることを今更ながら隠したい人と、少しでもゴーチの悪行を軽減したいと目論んでいる人だと思う。

私も、Nスペでゴーチを知った一人だが、番組は見ていない。

番宣のスポットがやたらと多いなぁと思ったのと、冒頭の数分を見て、なんか最後まで見るのが耐えられなくてやめてしまったので。

まだ慈音さんが小さい時、一冊の本をもらった。

『奇跡の詩人』が書いた詩集だった。著者は、後日知ったのだが、Nスペから飛び出した障害児スターだった。

その後、たぶん民放の番組でたまたま著者のドキュメンタリーを見てギョッとしたのを覚えている。

たぶん、その本をわざわざ私にくれた人は、もう10何年も前で誰だったか覚えていないが、重い障害を持っていても素晴らしい才能を花開かせている人がいるからがんばって!!!!!!と言いたかったのだろう。

本をもらった時より、著者のドキュメンタリーを見た後の方がショックだった。

「これを手本にがんばれってことか!?」 同情とか励ましとかって、発信する側は絶対的に良い事と信じているのかもしれないけど、強制的に受信する側に置かれると重荷なのよね~。

とはいえ、いろいろ彷徨いました。大なり小なり《お手本》として望んでも望まなくても目に入って来る教則本にはまりたい願望に捕われたり、拒絶しまくって相手の好意を粉砕して滅茶苦茶にして泥沼に突っ込んで二度と好意の発動なんかしたくないってところまで落としたい願望に捕われたり、自分のなかの悪意に自分自身が傷ついたり、ホント、大変!

『五体不満足』をもらった頃は、あちらは欠損障害、こちらは脳障害と思える程度にこなれて来ました。

今は、たった一言。「人間が違う」

世の中の人は、「みんなちがって みんないい」っていうフレーズが好きな方が多いですが、なにかに感動しちゃうと、「これと同じになれ」っていう強制を、好意にまみれて平然とやってのける。

もっとも、自分が感動した本を渡す人は純粋な気持ちで、困難に直面している人に有効なテキストだと信じているのだろうという前提は否定しない。

これを否定しちゃうと世捨て人として生きるしかないけど、そんなに頑強ではないので。

でも、障害があってもこんな素晴らしい事が出来るということを知って、こんな素晴らしい事をしている人を応援したいという気持ちがあるなら、障害者スポーツに関わっている団体や、盲導犬、聴導犬、介助犬とかの育成に携わっている団体とか、経済的に厳しい環境に置かれながらも信念と熱意を持って活動を続けているところはたくさんあるので、そういうところを自分自身で吟味して、その人に上げる本の代金分でもいいから寄付に回して欲しい。 

そして、障害があっても~している人は素晴らしいことを否定しないけど、~していないからってがんばってない訳ではないということを理解して欲しいと切に願う。どんな業界にも、スーパーエリートがいてそうじゃない人がいて、それは障害があってもそういうことなんだってこと。そういう意味で同じなのよ。

同じ先生の授業受けて100点取る人もいればそうじゃない人もいる。みんなが100点取るシステムの学習塾もあるけど、進度は人それぞれでしょ。そういうこと。

福祉の番組を、なかば義務として制作しているNHKが、ねつ造された障害にお墨付きを与えるなんてねぇ。後追いか先行か知らないけど、民放でも同じか。でも手帳持っていたから、そこを突っ込むのは失礼だと思うよね。ゴーチやる前に、手帳発行の闇を特番した方が良かったのでは? 順序として。

慈音さんがまだ小さくて、まだ障害も特定されてなくて、もちろん障害者手帳の交付なんて検討課題にもなっていない頃の受診を思い返すと、そこらへんのポンコツ小児科医は、発達の遅れを聴力と結びつけたがる傾向があるんだと思う。

こっちもまだ障害なんて疑っていない時に、結構なしかめっ面で「聞こえじゃないの」って言われてごらんなさいよ。で、そういう医者って確かめないのよ!! 「ゴメン! 聞こえてるみたい」とも、「専門医紹介するから聴力検査を受けてみた方がいいよ」のどっちもないの!! だからポンコツって言うんだよって、今なら言えるけどさぁ~。その時は驚きと不安だけよ。若いお母さん、医者のもっともらしい文言に負けないでね!! 

慈音さんと一緒に母子入院をした時に脳波の検査があって、その時に、『一応聴覚も調べておくから』という説明があった。その時に脳波で聴力を調べられることを知ったのだが、先生が、「慈音君が聞こえていることはわかっているけど、聞こえている範囲まではっきりわかるから」というお話で心穏やかになった。母子入院をした時には障害者手帳を取得していたけれど、その後、再認定とか、まぁ、いろいろ手続きはやってくる。

だんだんと経験も増えてくると、手続きをする側の心情にも触れる気持ち的余裕が出てくる。

不正があってはいけないから踏まなければならない手続きがあって、でもその手続きが当事者や当事者家族の負担になってしまうということも知っていて、だからこそ、可能な限り負担が軽くなる様に心砕いている。

たとえ個人的にこんなの省いてもいいのにって思っていても、定められている手続きを個人の判断ではしょることは許されない。だから、横浜市の担当部署の職員に詰め寄っても筋違いなんだって。

障害者手帳申請の為に必要な診断書を書くドクターは、医学では治せない状態にある目の前の患者に対して、せめて医者として出来る事として書類を書くから手帳を取得することで利用できる制度を活用して、少しでも暮らしやすくしてくださいねって願いがあると思う。

そんなの幻想だっていう人がいるかもしれない。認定医は、その分の書類代をもらっているって言うかもしれない。

だけど、結構重厚な書類なんだよ。任意の保険の支払い申請に使う診断書は、病院サイドで書類代を決められるけど、公的書類だからその金額は公的に決められている。

それに、認定医は、それだけ深刻な状態にある患者と向き合っている。

だから、そんなドクターたちが邪悪な福祉制度悪用軍団のメンバーみたいに見られて欲しくない。みんながみんなじゃないんだから。

でも、今回思ったのだけれど、聴覚の手帳取得には脳波検査を義務化したほうがいいと思う。検査そのものを不快に感じる人もいるとは思うけど、疑わしいからこっちの検査法を追加しますって言われた方も不快だろうし、診断した医者も軍団に加担している悪徳ドクターのレッテルを貼られるのは迷惑だろうし。医師免許剥奪をかけて加担しているなら論外だけど、結果だまされたなんて不愉快じゃない。

障害があっても~みたいに(個人名)凄い人もいるんだからがんばれっていうのも、障害者手帳ってうまく立ち回れば取得できるのっていうのも、本当にしゃくに障る誤解だ。

思わず、「あのねぇ~」と不快度マックスで切り返したくなる。