「息長氏は秋永氏である。」の顛末記

秋永氏探求から紐解く日本古代史

同一人物を考える。

2014-04-05 | 古代史

古代史ブロガーに『綾杉るな』さま。と仰るお方が居られます。九州を中心とした『神社』に足を運び、研究を重ねて古代史に迫っておられて、『ひもろぎ逍遥』の名前にて全国に多くのファンをお持ちの方です。わたくしも、そのチャーミングなお名前に魅せられファンに成った一人です。笑。

先日、わたくしの故郷久留米にて『綾杉るな』さまの、神功皇后(息長帯比賣命)の九州での足取りを『神社伝承』をもって検証した講演が有ったので、興味が湧き聴講。初めてお顔を拝見致しました。

わたくしが想像していた40歳代より、少し年を重ねておられますが、想っていた通りのチャーミングな美人で、思わず、傍で発売されていた『神功皇后伝承を歩く』の本を手に取りサインをおねだり、年甲斐もなく浮き浮きして帰って来ました。(古代に興味の無い妻には内緒です。)

講演から受けた印象は、積極的で旺盛な仕事ぶりと慎重にじっくりと積み上げていく研究者としての意欲・熱意が伝わって来ました。

『るな』さま、ポチッポチッポチッと応援しています!!!

 

この『るな』さまのブログ『宇佐・安心院トレッキング』を拝見させて頂いていた所、『姫神の謎を追って3 二女神とは』にて、

前回にわたくしが述べた宇佐の『二女神社』の解釈{市杵嶋比賣命=瀛津嶋姫(おきつしまひめ)と多祁理比賣命は同一人物である。と考えられるので二女になっている}に対して、多祁理比賣命と田湍津比賣命が同一人物かも。と解釈されて、楯崎神社縁起のチャートを示されいるのに驚きました。

『るな』さまの考察は正しいと思われ、わたくしの考察を重ねますと、三女神{多祁理比賣命=田心姫・田湍津比賣命=高津姫・市杵嶋比賣命=瀛津嶋姫}は一女神であった。と考えられます。

多分、多祁理比賣命お一人で宗像から『沖の島』に渡り祭祀をしたものと考えられます。

そうしますと、思い浮かびますのが、『天道日女命』とその夫と謂われます『天火明命』であります。この『天火明命』は、本来の名前は(先代旧事本紀では)『天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊』と記入されており、研究者からは、『天火明命』と『饒速日尊』は同一人物であろう。と謂われております。

記紀では、『天火明命』は『邇邇芸命』の兄とされ、大物主命の国譲りにて平定された葦原中国に天降すべきは、長男の『天火明命』の筈なのに、何故か二男の『邇邇芸命』が天降して糸島に行っていると考えられます。

そして、『天火明命』についての其の後の行動には何も触れていません。

此れは怪しく、記紀の捏造と考えられ、『天火明命』と『邇邇芸命』は兄弟では無いものと考えられます。

如何も、わたくしには『天火明命』と『瓊瓊杵尊』と『アマテル』と『饒速日命』は、同一人物と考えられます。

ホツマ伝には『大物主命』と『少彦名命(豊祇彦命)』は筑紫(北部九州)を治めていたとされ、此れを信じれば『大己貴命』『大物主命』同一人物と考えられます。

 

『天道日女命』は『瀬織津姫=向津姫』の事になり、『天道日女命』『饒速日尊』の間に生れた『天香山命(尾張氏の祖神)』・『宇摩志摩治命(物部氏の祖神)』は『迦毛大御神』(味鋤高彦根神・阿遅須枳高日子命)と同一人物である事となります。

しかし、『先代旧事本紀』では『天香山命』と『宇摩志摩治命』は母神を異にする兄弟神となっており、『宇摩志摩治命』の母神は『長髄彦』の妹と述べられています『三炊屋媛(みかしきやひめ)』であります。

しかし、わたくしの思考では『長髄彦』と『神武天皇』の実像は第12代景行天皇時代のお方であり、『長髄彦』は時間軸の捏造が考えられ、『三炊屋媛(みかしきやひめ)』『天道日女命』と、同一人物。若しくは捏造と考えられます。

そして、『天香語山命』と『宇摩志摩治命』と『迦毛大御神』同一人物と考える事が出来ます。

ですから、新潟県の『弥彦神社』の『天香語山命』は『宇摩志摩治命』であり、『迦毛大御神』でもある。と考えられます。

その根拠は、出雲・宇佐と同じ『二拝四拍手一礼』の参拝作法であります。此の『二拝四拍手一礼』の作法は他の神社では伝承をしておらず、『出雲大社』が『大物主命=大己貴命』、『宇佐神宮』が『多祁理比賣命』、『弥彦神社』が『迦毛大御神=味鋤高彦根神』を表している。と考える事が出来ます。

 

『大物主命』・『多祁理比賣命』(天道日女命)・『味鋤高彦根神』・『少彦名命』等、大勢の衆は由布院より天降りをして、杵築の大屋毘古命に頼って四国伊予へ逃げていますが、

愛媛県松山市の『櫛玉比賣神社』には『天道日女命』と伴に『御炊屋姫命』が配祀され、『櫛玉比賣神社』と向かい合って在ります、『國津比古命神社』には『天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊』が祀られ、『宇摩志摩治命』が配祀されています。

此れは、『大物主命=大己貴命』とその妻『多祁理比賣命』と、其の子である『味鋤高彦根神(迦毛大御神)』と解釈でき、『大物主命』『國津比古命』『多祁理比賣命』『櫛玉比賣命』同一人物と考える事が出来ます。

 

「大物主命」は「葦原醜男・葦原色許男神(あしはらしこを)」・「八千矛神(やちほこ)」・「杵築大神(きづきのおおかみ)」・「大穴牟遅神(おおなむぢ)」・「大穴持命(おおあなもち)」・「大己貴命(おほなむち)」・「大汝命(おほなむち)」・「国作大己貴命(くにつくりおほなむち)」・「大名持神(おおなもち)」等、多くの名前で称されています。そして、『國津比古命』も加わりますと、其の名前の通り『おおなもち』であり、

『多祁理比賣命』も同様に、『田湍津比賣命』・『高津姫』・『市杵嶋比賣命』・『瀛津嶋姫』・『天道日女命』・『櫛玉比賣命』が考えられます。

 

しかし、何故これだけ多くの名前が附けられたのでしょうか。

ひとつは、民衆の本来の『大王』への思慕と、同情、現在の(クーデター)王権への反発が考えられます。もうひとつは、7世紀の現政権(高御産巣日神と和邇氏の末裔)は、自分たちが、『古来からの王族』をクーデターで倭(北部九州)から追い出し、其の上、逃げ延びた出雲までも奪った事を、体裁を繕う為に、捏造を数多くして、大物主命や多祁理比賣命の影を倭の歴史から消し、須佐之男命から高御産巣日神と和邇氏へ王権が自然に繋がった様にしたかった。ものと考えられます。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする