団地夫婦の日々

常盤平団地夫婦の54年、団地内で気付いた事を時々に、妻の料理、私の買い物等

高田馬場の思い出2横丁の商店

2017-01-21 20:40:17 | 日記
戦災が町並みを変えた、焼け野原に次々建てられたバラックから文化住宅、そして本格的な家屋、それが今寂れつつある高田馬場の路地横町、戦前昭和15年頃、実家旧淀橋区戸塚町3丁目(今は新宿区高田馬場4丁目)高田馬場駅から大通りを左へ500m位、(距離感が掴めないのは子供の感覚と違うせいだと思う)左側路地へ入った途中に実家が在る、この路地の100mの間に戦前は商店が有ったのだ、入り口の左の角が②熊田畳屋、①唐木酒店の裏口はL字方の小道を通って元の路地へと繋がっている、その出口の手前角が③浜田と言うノコギリ目立の職人のお店だった、狭い横町には④ビリヤード店も有った、この路地を入って右側に⑤松田米店、10m進んで左側に⑥守屋魚屋、その先右側に⑧青山湯、この銭湯の前が⑦遠山理髪店、銭湯の脇の角にはには⑨チャンポンそば店、小さな路地を跨いで変な⑩カフェ入った事は無いし店内は謎めいていた、そして更に路地を上ると⑪タバコ屋、その前が町工場で◎私の実家、隣が⑫呉服屋で、その隣が高橋大工店の筋向いに⑬豆腐屋さん、色んな人達が住んでいた実家のある戸塚3丁目873番地の路地横町だ、この路地通りの左右の商店、でも今は普通の所でも無くなってしまうような商店が一軒置きに並んでいた訳である。
戦後残っていたり、再開された店が、米屋、酒屋位か、銭湯青山湯は50m離れた隣の横町に戦後福の湯(新潟の人)が出来て今でも営業中である。古い記憶を辿って1店1店思い起こしながら書いていくと、どうしても長くなってしまう、ご勘弁を・・
この100m程の路地両側に畳屋、酒店、米店、魚屋、銭湯、床屋、チャンポン蕎麦、カフェ?タバコ屋、呉服店、豆腐屋と商店が11軒、無いのは八百屋位だが、これは大通りに出て右側にチャンと八百吉と言う店が有って今は3間ほど横にずれたが、今回前を通ったらシッカリ営業していた、更に一つ高田馬場寄りの通りには昭和マーケットと言う総合市場が有って(今はパチンコ店に変わっている)更に高田馬場寄りに50m辺りにミツワマーケットも有ったのだから、何故この路地にこんなに多種の店が有ったのか、昔神田川の周辺に染物業が多く、この路地にも2軒の織物問屋が有ったが、そのせいか、或は銭湯青山湯と遠山理髪店に遠くから客が来てたのか、大人、子供、家族、人口密度が濃かったのか、流石、大通りは店も並んでいたが、この路地のお店の数、今思うと不思議でもある。1店1店昔の思い出もある、大体は悪戯腕白時代のそれでも今は懐かしい、一つ又一つ思い出したら綴りたいと思ってます。82歳耄碌爺少しづつ、思い出しては綴ります。
こんな絵図で恥ずかしいの極みですが・・・

右側の松田米店、最近店を閉じて遂に、この路地通り1店も店が無くなった、子供のいない静かな通り道、この先の戸山が原跡では更に大変貌の町に出くわした・・